NHKラジオ講座「漢詩をよむ」第31回です。


今回より<五山文化の時代>で、五山文化全盛期を扱います。義堂周信、絶海中津、一休宗純を順にみていくとのこと。

まず今回は「五山の絶頂(一)―義堂周信」です。義堂周信・絶海中津はともに夢窓疎石の門下ですが、“学問の義堂周信”“詩の絶海中津”といわれる特色があったそうです。


義堂周信の詩は多様な題材・スタイルを持ちますが、総じて繊細な感受性や心遣いが感じられるといいます。


今回ながめた詩です。

「出山釈迦」(七言絶句)。よく絵の題材とされる場面です。

義堂周信は、六年にわたる山中での孤独な厳しい修行に耐え下山してきた釈迦が、「無端」(悟りのいとぐちをつかめず)自問自答しているさまを、自分なりの解釈で描きます。


次に「対花憶旧」(七言絶句)。花を眺めながら、南北朝の騒乱の中で亡くなっていった旧友たちのことを思い出して作った詩。

最終句「暮檐雨洒紫荊花」で(暮れ方の軒端から雨が延々と滴り落ち、蘇芳の花をしとどにぬらし続けているよ)という描写が印象的。同じ嘆きをずっと抱いている心境がよくあらわれており、しかも視覚的に美しい。蘇芳の花のことを「紫荊花」といいますが、漢詩での「紫」は、日本の紫とは少し違い、赤茶~赤紫色なのだそう。


「題芳上人扇」(七言絶句)。これは、いわゆる“題詠詩”です。「芳上人」は、水墨画で有名な玉畹梵芳をさします。義堂周信の弟子筋に当たるのだそうで、詩を教わっていたそうです。私も玉畹梵芳の蘭図が好きです。

題詠詩とは、大体決まった型があるそうで、まずは絵の描写をおこない、後半で自分の感慨をうたいます。

この詩でも前半の2句で、広々としたもやのかかった川岸に蘆花が咲き、カワセミが鋭い視線で水中の魚を狙っているという、扇絵の描写がなされます。後半2句では、義堂周信が、これから起こる展開を想像して描いています。「日落波心魚不見 翻身啄破水中天」――カワセミが水中へ鮮やかに身を躍らせますが、なぜか「水中天」と、視点が水の底からのようになっているのが面白いです。


「竹雀三首」(五言絶句)。居心地が悪いからといって立派な建物に近づいちゃダメだよ、そこでは君をはじきゆみで狙っている貴公子たちがいるよ、と雀に話しかけている面白い詩です。

雀に託しながら、実は、富貴や権力から遠ざかるべき寓意があらわれています。中国の故事が下敷きにされています。


最期「和韻寄観中書記」(七言律詩)で、これだけ律詩です。「和韻」というのは、人と詩をやりとりするときのテクニック(ここでは「観中書記」からもらった詩に和している)だそうで、詠まれた詩と同一の韻を用いて詩を作ることをさします。高等テク!

「和韻」には、(1)同じ字を同じ順で用いる、(2)順にこだわらず用いる、(3)同一の韻に属するほかの字を用いる、の方法があるということです。