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みやざきのコト

宮崎県で生活していた頃の記憶や帰省した時のコトなど宮崎に関するコトの備忘録。宮崎観光の参考に、昔の宮崎を懐かしむきっかけにでもなれば幸いです。

日本テレビ系列で朝に放送されている情報番組「ZIP!」。

 

「ZIP!」を視聴していると、年に数回は宮崎県でロケをした映像が流れるんですね。

 

先日は、ずんの飯尾さんとやすさんがスーパーとむら油津店さんで買い物をされている方にインタビューされていたり、大堂津に移住された家族の方が住まわれている住居とカフェにお二人が訪れて、住居の価格を予想したりしている映像が流れてました。

 

こちらは「夏に移住したくなる海の街」みたいな特集だったので、以前放送された分の再編集版だったのかもしれません。

 

昨年(2023年)もずんの飯尾さん「ZIP!」の司会をされている時に放送されていた移住先を紹介するコーナーで、日南市に他県から移住されて方を何組かインタビューされて、最後に日南市に移住されて山の方でイチゴ農家をされているお宅に訪問されたロケ映像が流れてました。

 

「ZIP!」では毎朝8時45分頃から「旅するエプロン」というコーナーがあるのですが、2024年5月頃には、担当のお二人が宮崎でロケをしていて、月曜から木曜までは収録した映像でした。

 

5月の連休の時は、ぐんけい本店隠蔵さんから生中継で、地頭鶏の炭火焼を食べられたり、お店の方から頼まれてレバーのアレンジメニューを作られたりもされていらっしゃいました。

 

5月中旬くらいの確か火曜日に母から「今週は宮崎みたいよ」と聴いたので、水曜分から録画セットして観ましたが、水曜は都城市でチキン南蛮のソースに日向夏を使ったアレンジ料理、木曜は宮崎市で牛タンのタン元を鶏メシ風にアレンジした料理で、金曜はどこか違う県になってましたけどね。

 

私は観てないけど、その週の月曜日には都城でマンゴーを使ったお菓子で火曜は宮崎市内のご家庭でピーマンを使ってスパゲッティを作っていたと両親は言ってました。

 

宮崎では日本テレビ系列のチャンネルはなくて、フジテレビの系列局のUMKが日本テレビとテレビ朝日をクロスネットしているので、朝の情報番組は「めざましテレビ」で「ZIP!」は放送されてないのになぁっていつも思うのですが、ケーブルテレビで視聴されている方も多いのかなとか、県外からも「旅するエプロン」に出演されているお二人のファンとかが食べに来られたりするのかななんて考えながら観ましたね。

 

それでもテレビでよく映る観光スポットではない、よく知っているところに有名人が訪れてロケをしている映像を観るとかなりテンションが上がってしまいます。

 

何年前か忘れましたけど、出川哲郎さんが電動バイクで旅する「出川哲郎の充電させてもらえませんか?」でも、アンガールズの田中さんと油津だと直ちゃんラーメンさんの付近や油津駅辺りに立ち寄ったり、飫肥城まで電動バイクで移動する映像を観て、なんかめちゃくちゃよく知っている風景を出川さんや田中さんが電動バイクで移動していている映像にテンション上がったのを思い出しました。

 

両親も同じ感じでテレビで知っている場所が映ったりするとテンションが上がるのですが、血筋なのかな。

 

 

 

 

昭和の頃から令和に至っても母は百貨店で買い物をすることが大好きで、宮崎にいる間は、宮崎山形屋さんで服から化粧品から食料品を買ってましたし、日南山形屋さんでは主に贈答品などを買ってました。

 

帰省した際にも宮崎に遊びに行けば、私なんかはイオンモール宮崎さんや宮交シティさんの方があれこれあって楽しいのですが、母が服や化粧品、食料品などを買うのは宮崎山形屋さん。

 

今でこそユニクロさんや無印良品さんなんかも着るようになりましたが、平成の頃までは宮崎山形屋さんの決まった婦人服売場で、有名ブランド並みに高額な服をよく購入してましたねぇ。

 

そんな母でも贈答品以外はどんどん日南山形屋さんの方では買い物をあんまりしなくなっていたそうです。

 

やっぱり宮崎山形屋さんの方が品揃えがいいですし、父も母も車の運転が好きですから、1時間ほどのドライブみたいなもんですから、買い物や食事は宮崎市内へ行く訳ですね。

 

そんな山形屋さんが「事業再生ADR」で経営再建に動き出すとのこと。

 

「事業再生ADR」は本業を継続しながら金融機関などと交渉することで解決策を探る「私的整理」ですね。

 

宮崎寿屋さんは裁判所が関与する「民事再生法(法的整理)」で経営再建に動きましたが、風評被害で全店舗閉鎖ということになりました。

 

「事業再生ADR(私的整理)」は裁判所が関与せず、内々で再建のための動きをするので、情報があまり漏れないため風評被害が少なく済む訳ですね。

 

「民事再生法(法的整理)」は裁判所が関与するので、再建のための動きは誰もが知れる訳ですが、そこからの憶測だったり噂が広まって風評被害が増える訳です。

 

以前、電車内で銀行に就職が決まった女子高生に「あそこの銀行危ないらしいよ」と友達の女子高生が冗談で言ったら、その女子高生同士の雑談を周囲の大人が聴いていて、「あの銀行危ないらしい」、「あの銀行は潰れるらしい」という噂が一気に広まり、銀行に解約者が殺到したという通称「豊川信用金庫事件」という風評被害事件がありましたが、あれと同じような人の噂で寿屋さんは取引ができなくなり、全店舗閉鎖になってしまった訳です。

 

寿屋も風評被害が広まらなければ、未だに経営していたのかもしれないと思うと、寿屋さんが大好きだった私は残念なのですが、同じような土地柄で経営していた寿屋さんの同じ轍を踏まない選択をしたのでしょう。

 

年末に帰省すると日南山形屋さんの食料品売場でオードブルや食料品を見たり、たまに2階も見たりしていましたが、昭和の頃の日南山形屋さんを知っていると、いつ行ってもあまりに人がいなくて悲しくなるんですよね。

 

昭和の頃の日南山形屋さんは、今はアーケードがある方の入口には花屋さんがあって、食料品売場には円盤形の陳列台でゆっくり数種類のお菓子が回転する小さいメリーゴーラウンドのような什器があったり、おこわの香りがしていて、人もそれなりにいたのを記憶しています。

 

2階へ階段で上がると狭い通路にゲーム機とかが数台置いてあって、小学生の頃までは母親と食堂でたまに休憩して飲食したりしてました。

 

宮崎山形屋さんの方はいつ行ってもそれなりに人はいるような気がしますが、日南山形屋さんの方はいつ行っても全然人がいない感じがするので、いつ無くなってもおかしくないと思っていたので、今回の事業再生ADRで特に日南山形屋はどうなるのか気になりますね。

 

 

 

 

昭和の頃は宮崎市内から青島を抜けて峠道の坂を上がると、堀切峠の手前の駐車スペースで、移動販売スタイルで営業されていたホットドッグ屋さん。

 

うちは子供の頃は毎週のように車で宮崎市内へ買い物などに車で行っていたので、だいたい帰りは夕方以降になりますから、帰りの道中で青島を抜けたあたりで母が「今日ホットドック食べる?」とよく確認してくれていたので、私もお腹が空いていると立ち寄ってもらって日南への帰りの道中に食べたりしていました。

 

一般的に想像されるホットドッグはパンにソーセージを挟んだモノが主流だと思いますが、堀切峠のホットドッグはハムとコールスローのようなキャベツ和えが挟んであり、ケチャップがかけてあるというイメージ。

 

中高校生の頃になると、南宮崎の方の書店(※令和6年5月現在は明林堂書店さんですが、昭和の頃は明屋書店じゃなかったでしたっけ?漢字がピンと来ないけど、ここの本屋の事をハルヤショテンと言ってた記憶があります)に父も私もこちらの書店に立ち寄りたいということで、立ち寄ることが定番のようになりました。

 

中学生の頃だったか高校生になってからだったか定かではないですが、母が「マクドナルド買う?」と言ってくれて、「高いからいらんわ」とか言ったけど「食べてみよや」と言ってくれたのがきっかけで、それからは日南へ帰る前に書店に寄って、その後にハンバーガーとフライドポテトを買ってもらうようになってしまい、堀切峠のところでホットドッグを買うことは無くなってしまいました。

 

それから約30年。

 

私も40代中頃だったか後半だったか、それぐらいの頃に堀切峠のところでホットドッグを販売されていた方が、清武とか田野の方でお店を構えて販売されていると両親が知り、両親が宮崎へ行ったついでに立ち寄って久しぶりに食べたと聴きました。

 

その後に帰省した際に宮崎へ遊びに行った帰りにお店まで道案内されて買いに行きましたね。

 

子供の頃は堀切峠のところでは母が買ってくれていたので、お店の方のお顔や声などには全く記憶がなかったのですが、昭和の頃にはよく見掛けた筋柄の茶色い紙袋にホットドッグを入れて渡された際には懐かしかった。

 

30年以上ぶりに食べた訳ですが、キャベツとハムとケチャップの味だけでなくカレー粉のような風味があったり、パンももう少し当時の記憶ではトースターで焼かれて上の方がカリカリに硬くなっていたような気がするとか、記憶している味とは全然違う気がしました。

 

その後、コロナ過に日南へ帰省した際に、台風で土砂崩れが原因で日南海岸が通行止めだったので、仕方なく田野から日南へ向かう際に、そういえばこの道沿いに堀切峠のホットドッグのお店があったから買おうと思って意識しながら車を走らせましたが、ふと気が付くもう田野IC方面への抜け道まで来てしまっていて、通り過ぎていることに気が付きました。

 

意識していたから見落とすわけがないのにと思い、日南に着いてからネットで検索してみたらすでに閉店されていたとのことで、ストリートビューで住所を確認したら違う店舗になっていました。

 

ホットドッグの味に関しては、どこで食べたのか記憶が定かではないのですが、20代の頃に旅行に行った際、移動販売の車のホットドッグが堀切峠のホットドッグのようにキャベツとハムのコールスローにケチャップとイエローマスタードで、堀切峠のホットドッグを思い出して買って食べたことがあったので、20代の頃に食べたこの時のホットドッグに味の記憶が書き換えられているのかもしれないです。

 

どこか大きい神社の駐車場で食べた記憶なんだけど、どこの神社だったか食べたか思い出せない。

 

けど、堀切峠のホットドッグは小学生だった昭和の頃、日曜に宮崎市内で遊んだり買い物して夕方暗くなって日南への帰りの道中に父の車でよく食べた思い出の味。
 
 
 

最近は宮崎の名物料理と言えば「チキン南蛮」がメジャーになり、なんかちょっと嬉しい。

 

昭和の頃って宮崎の名物といえばだいたい「冷や汁」と紹介されてましたからね。

 

私は日南で18年、県外へ出て30年以上生きていますが、「冷や汁」ってほとんど食べた記憶がありません。

 

味覚の記憶はあるので1度くらいは食べたことがあるのか、味噌ときゅうりといった材料だから想像できているだけなのか分からないし、少なくとも家では食べたことがないし、宮崎へ外食に行っても冷や汁って食べようと思わないですからね。

 

中学生か高校生くらいの頃でしょうか。

 

母親に「宮崎名物で冷や汁って言うけど食べたことあるっけ?」と確認すると、「私が嫌いだから出さんわ」と言われたのを覚えています。

 

昭和世代や平成世代に、「宮崎ならでは名物料理と言えば?」と質問すると「チキン南蛮」と「肉巻きおにぎり」、「冷や汁」あたりが回答される気がします。

 

「地鶏の炭火焼」、「宮崎辛麺」あたりも回答されるくらい全国的にメジャーになっているのかなぁ。

 

私が県外に出て、お寿司屋さんや回転寿司屋へ行き、ちょっとカルチャーショックだったのが「レタス巻」が無いこと。

 

日南に住んでいた頃、小中学生くらいの頃はお寿司屋さんに行って「レタス巻」を注文することはあんまりなかったけど、222号線の県病院入口の交差点から1本入った道にあった「小僧寿し」さんで「レタス巻」をよく買ってもらっていました。

 

大人になってからは母が宮崎市にある「一平寿し」さんが「レタス巻の元祖」だと教えてくれたので、イオンモールなどに遊びや買い物に行った帰りに何度か立ち寄り、お持ち帰りで買って帰りましたね。

 

「レタス巻」は、巻きずしの中身が海老とレタスとマヨネーズですから、子供の頃は小僧寿しだし安くて美味しい食べ応えのある手巻き寿司って感じだったけど、さすがに「一平寿し」さんだとお寿司屋さんですから子供の頃に食べていた味よりしっかりした味で美味しかった記憶です。

 

「肉巻きおにぎり」って極楽とんぼの山本さんが宣伝したりしていたこともあって、結構取り上げられたりしてなんか一気にメジャーになり、結構今でもあちらこちらで見掛けるくらい定番のおにぎりになったように思いますが、「レタス巻」も回転寿司店のメニューにあったら子供に人気出そうだし、もっとメジャーになってもいいポテンシャルがあると思うんですけどね。

 

がんばれ「レタス巻」。

 

 

 

青島の子供の国の辺りには、ういろうを売っている店舗が数軒並んでますよね。

 

子供の頃は「黒」が好きでしたが、大人になると「白」が好きになりました。

 

うちの母はいつも買う店舗が決まっていて、気が付いたら電話番号まで知っていて、サッと買えるように手前から電話をかけて個数を伝えておき、車で立ち寄ると名前を伝えてお金を支払うだけで受け取れるようにしてて、ビックリしたことがありました。

 

よくこちらへ飛行機で遊びに来たりする際に買ってきたりしたこともあったし、あまり宮崎方面へ買い物などに行かない年配の親戚とか免許を持っていない友人などへ買って行ったりしていたようです。

 

私はずっと宮崎(青島)の名物だと思っていたけど、大人になって初めて気が付きましたが、ういろうは名古屋名物として有名でした。

 

名古屋へ遊びに行った際に買って食べてみましたが、青島のういろうはお餅とだんごの中間のような柔らかい食感で素朴な甘さですが、名古屋のういろうは、どちらかというと水ようかんとだんごの中間のようなプルンとした食感で、甘味なども青島のよりしっかりしていた印象。

 

名古屋のういろうは20代の頃の味の記憶なので、間違っていたらすみません。

 

青島のういろうは県外に住んでいると、テレビで宮崎の特集なんかがあっても全くと言っていいほど取り上げられないし、全然知名度がないように思いますし、バイパスが出来て青島を通る車が圧倒的に少なくなったと思いますが、頑張って欲しいです。