昭和の頃から令和に至っても母は百貨店で買い物をすることが大好きで、宮崎にいる間は、宮崎山形屋さんで服から化粧品から食料品を買ってましたし、日南山形屋さんでは主に贈答品などを買ってました。
帰省した際にも宮崎に遊びに行けば、私なんかはイオンモール宮崎さんや宮交シティさんの方があれこれあって楽しいのですが、母が服や化粧品、食料品などを買うのは宮崎山形屋さん。
今でこそユニクロさんや無印良品さんなんかも着るようになりましたが、平成の頃までは宮崎山形屋さんの決まった婦人服売場で、有名ブランド並みに高額な服をよく購入してましたねぇ。
そんな母でも贈答品以外はどんどん日南山形屋さんの方では買い物をあんまりしなくなっていたそうです。
やっぱり宮崎山形屋さんの方が品揃えがいいですし、父も母も車の運転が好きですから、1時間ほどのドライブみたいなもんですから、買い物や食事は宮崎市内へ行く訳ですね。
そんな山形屋さんが「事業再生ADR」で経営再建に動き出すとのこと。
「事業再生ADR」は本業を継続しながら金融機関などと交渉することで解決策を探る「私的整理」ですね。
宮崎寿屋さんは裁判所が関与する「民事再生法(法的整理)」で経営再建に動きましたが、風評被害で全店舗閉鎖ということになりました。
「事業再生ADR(私的整理)」は裁判所が関与せず、内々で再建のための動きをするので、情報があまり漏れないため風評被害が少なく済む訳ですね。
「民事再生法(法的整理)」は裁判所が関与するので、再建のための動きは誰もが知れる訳ですが、そこからの憶測だったり噂が広まって風評被害が増える訳です。
以前、電車内で銀行に就職が決まった女子高生に「あそこの銀行危ないらしいよ」と友達の女子高生が冗談で言ったら、その女子高生同士の雑談を周囲の大人が聴いていて、「あの銀行危ないらしい」、「あの銀行は潰れるらしい」という噂が一気に広まり、銀行に解約者が殺到したという通称「豊川信用金庫事件」という風評被害事件がありましたが、あれと同じような人の噂で寿屋さんは取引ができなくなり、全店舗閉鎖になってしまった訳です。
寿屋も風評被害が広まらなければ、未だに経営していたのかもしれないと思うと、寿屋さんが大好きだった私は残念なのですが、同じような土地柄で経営していた寿屋さんの同じ轍を踏まない選択をしたのでしょう。
年末に帰省すると日南山形屋さんの食料品売場でオードブルや食料品を見たり、たまに2階も見たりしていましたが、昭和の頃の日南山形屋さんを知っていると、いつ行ってもあまりに人がいなくて悲しくなるんですよね。
昭和の頃の日南山形屋さんは、今はアーケードがある方の入口には花屋さんがあって、食料品売場には円盤形の陳列台でゆっくり数種類のお菓子が回転する小さいメリーゴーラウンドのような什器があったり、おこわの香りがしていて、人もそれなりにいたのを記憶しています。
2階へ階段で上がると狭い通路にゲーム機とかが数台置いてあって、小学生の頃までは母親と食堂でたまに休憩して飲食したりしてました。
宮崎山形屋さんの方はいつ行ってもそれなりに人はいるような気がしますが、日南山形屋さんの方はいつ行っても全然人がいない感じがするので、いつ無くなってもおかしくないと思っていたので、今回の事業再生ADRで特に日南山形屋はどうなるのか気になりますね。