みやざきのコト〜にっくの宮崎が好きやとよ〜

みやざきのコト〜にっくの宮崎が好きやとよ〜

宮崎県で生活していた頃の記憶や帰省した時のコトなど宮崎に関するコトの備忘録や近況など。宮崎観光の参考に、昔の宮崎を懐かしむきっかけにでもなれば幸いです。

こちらのブログの画像はだいたい「宮崎県観光協会」さんが提供されている画像を使わせていただいているため、ブログで紹介している料理や場所とは異なります。あくまでイメージ画像です。
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『機動戦士ガンダム』が2026年4月7日(火)にテレビ放送開始47周年を迎えたそうです。

 

『機動戦士ガンダム』の放送開始日は1979年(昭和54年)4月7日だったようですね。

 

うちの家は毎週のように日曜日は宮崎市へ買い物や食事などに行っていました。

 

日曜日は父親が午前中はなんだかんだと毎週のように用事で出掛けており、父が午後に帰宅してから宮崎へ遊びに行くことが多かったので、小学生の頃なんかは日曜朝は『兼高かおる 世界の旅』とかお昼には『新婚さんいらっしゃい』なんかもよく観ていた記憶なので、『新婚さんいらっしゃい』を観終えたくらいから出掛けることが多かったような気がします。

 

そんな小学生の頃、応接間にあるテレビで日曜日の午後に『機動戦士ガンダム』を観た記憶があります。

 

平日の夕方にはアニメの放送も多かったし、昭和の頃は19時とか19時半にはアニメの放送も多かったですけど、日曜日の午後にロボットのアニメを放送しているなんて知らかったんですね。

 

観ている時に「そろそろ(宮崎へ)行こうか?」と言われたけど、「今アニメ見ているからこれが終わったら」と言ってちょっと待ってもらったのを覚えています。

 

また観たいと思って、日曜の午後にザッピングするんだけど、UMKかMRTかNHKだったのかも覚えてなかったし、時間も子供の頃だからちゃんと時計なんかも確認してないから二度と観ることは無かったように覚えているんですね。

 

しばらくすると夢で見た記憶なのかなと思ったりもするようになりました。

 

それから一年とか二年くらい経つと、『機動戦士ガンダム』がガンプラなどで人気になったんですよね。

 

ガンプラが流行った時には気が付かなくて、本屋で本に載っていたガンダムのアニメのシーンを見た時に「あの日曜の午後に観たロボットだ!。本当にあったんだ!」と気が付いたのも覚えてます。

 

ただ、大人になると子供の頃に日曜日の午後に観た記憶があるけど、本当に宮崎で『機動戦士ガンダム』が放送されたのだろうかとちょっと疑問に思った時があったので調べたことがありました。

 

Wikipedia(ウィキペディア)を確認すると、当時MRTで日曜日の15時から15時30分の枠で放送されたとの記述があったので、やっぱり子供の頃に観ていた記憶は間違いじゃなかったと判明。

 

日曜日は午前中に出掛けることは少なくても、日曜日のお昼を家であんまり食べた記憶はなく、小学生の頃は宮交シティなどでお昼を食べることもよくあったし、『新婚さんいらっしゃい』を観終えたくらいから出掛けることが多かったような気がするので、14時くらいには宮崎へ出掛けることが多かったのでしょう。

 

だから日曜日の午後に家にいるから出掛ける前にテレビをザッピングしても見付けられなかったんでしょうね。

 

「ガンダム」といえば当時油津にあった映画館で『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』を観た記憶もあります。

 

「スターウォーズ」と「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙」という、今思えば贅沢な二本立てでした。

 

ガンプラは小学生の頃に当時日南市役所の近くにあった(何年か前に県病院さんの近くに移転されましたね)ニッセイホビーさんに何度か買いに行きました。

 

ガンプラといえば寿屋宮崎店さんも初めて見るようなガンプラがいっぱい並んでいた記憶がなんとなくあって、この記憶が小学生の頃だったのか中高生の頃だったのかまでは覚えてないけど、寿屋宮崎店さんの裏手にある駐車場からエレベーターで上がって降りたらその階の通路が工事していたという記憶もなぜか思い出します。

 

また宮崎や日南のこと、昭和のことを色々と思い出したなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026年3月末にフジテレビ系で放送された「不思議体験ファイル 信じてください!!」で「山梨で地図にない村に迷い込んだ」という元芸人さんの体験談を本人談と再現VTR、現地で番組スタッフさんが調べて判明した内容が流れました。

 

簡単に体験談を説明すると、20年くらい前に当時吉本さんのタレント養成所NSCに所属していた方が、友人と二人で車に乗り、甲府駅から清里駅に向かう時に、遠回りして山間部を通るルートを通ると、濃い霧が立ち込めたそうで、そこからちょっと気味が悪い景色や体験をしたというようなことでした。

 

このブログにも以前書きましたが、私は大学一年目の夏休みに帰省して、友人らと遊ぶ予定がない日は当時母が乗っていた車で毎日のように平日の午後はドライブしていました。

 

当時母が乗っていた車はラジオしか付いてなかったので、電池を入れたラジカセをリアシートに置いてカセットテープの歌を流してドライブしていたんですね。

 

宮崎方面へはよくドライブしていたので、たまには違う方向へドライブしてみようと思ったんですよ。

 

私は父や母が運転する車に乗っている時には外を眺めるのが大好きだったから、どの道を走ればどこへ行けるかは免許を取得して一年も経たない大学一年生の時でも、日南からだと日南海岸で宮崎方面、北郷または飫肥から田野方面、油津から大堂津、目井津方面、南郷から志布志方面など一通り把握していたんですよ。

 

ただ、その日は飫肥方面へ向かったのだけは覚えているのですが、どの道を走ったのかが全く思い出せません。

 

ただ、山間部で左手に山肌が続く登り坂のような傾斜が続く道を走っていたら霧が立ち込めてきました。

 

霧が立ち込めてきたので、このまま知らない道を走り続けようかどうしようかと思った時に、リアシートに乗せていたラジカセから流れていた音楽が止まったんですね。

 

この瞬間に鳥肌が立ったんですよ。

 

このまま進むのは知らない道だし、ずっと対向車線とはいえ危ないかもしれないし、怖いかもと思ったので、登り坂のRがキツイところで路肩に車を停められるようなスペースがあるところでUターンして引き返しました。

 

Uターンしようと路肩の方へ車を停めた時に、濃い霧の中から車が1台降って出てきたのは覚えてます。

 

シルバーかホワイトのワゴンタイプの商用車で、メガネを掛けたワイシャツの人が運転していたように思い浮かぶけど、その時に本当に見た記憶かは不明です。

 

あの時に走った道がどこだったか気になったのでストリートビューで確認したけど、似たような道は見付けられなかったし、コロナ禍の前だったか酒谷経由で都城へ行く道ではなく、振徳(旧工業)高校がある前の道から山の方へ行く道をスマホが表示したので、その都城への知らないルートで都城へ行ったけど、その道でもなかったんですよね。

 

田野方面へは高速を利用する時や日南海岸が走れない時など、子供の頃から父も母もよく利用していたし、私も帰省する時には自分で運転して28号線経由で田野ICから高速に乗ることが以前は多かったけど、あの道じゃないんですよ。

 

40代半ばくらいからは日南から帰る時には222号線で酒谷から都城方面へ行って、都城ICから高速道路に乗るようにしていましたが、あの道でもありません。

 

あの濃い霧が立ち込めた登り坂が続く道は果たしてどこだったんでしょう。

 

あのまま濃い霧に向かって車を走らせていたら、私も不思議な体験でもしていたのかな。

 

すでにあの左手に山肌が続く対向車線の登り坂が続く道がどこか分からない時点で、今となっては不思議な体験なんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が日南で過ごした昭和40年代後半から昭和60年代前半(1970年代〜1980年代)の頃。

 

うちは車でたまに熊本方面や福岡方面などに行っていました。

 

昭和の頃はまだ高速道路の宮崎自動車道のえびのと九州自動車道の人吉が繋がってなかったんですよね。

 

宮崎方面から福岡方面に向かう場合、またその逆の場合も同じですが、えびのと人吉の間は一般道を走行して人吉ループ橋を通って乗り換えないといけなかったんですよ。

 

一般道で山越えルートですよね。

 

熊本・福岡方面から人吉ループ橋を夕方過ぎに通る場合、うちは決まって山椒茶屋えびの店さんに立ち寄って食事をしていました。

 

1日中運転して家族サービスをした父が、帰路にちょっと休憩できて食事をすることで英気を養えるポイントだったそうです。

 

確かに人吉からだと一般道を走ってえびのICから宮崎自動車道に乗り、田野ICで降りて日南までですから、帰宅するまで1時間半くらいでしょうか。

 

昭和の頃の日南ですから、土曜は休みじゃないので日曜や祝日の20時すぎに家族で食事をできるお食事処もそんなになかったでしょう。

 

両親は決まって何かしらのうどんを食べていましたが、何うどんを食べていたかまでは覚えていないとのこと。

 

私は天ぷらうどんを食べた記憶がありますが、高かったのにちょっと残したから罪悪感で覚えている気がします。

 

何となく木の一枚机とか丸太イスとか店内の雰囲気とか出入口近くはドライブインみたいにお土産売り場とかがあったようなイメージも思い浮かぶのですが、私が覚えている店内のイメージが山椒茶屋さんなのか、他のドライブインとかうどん屋さんと記憶が混同しているのか分かりません。

 

最後に山椒茶屋さんに立ち寄ったのは中学生くらいだったのかなぁ。

 

大学生になって最初の夏休みに帰省して、母と親戚と熊本までドライブしたことがあります。

 

このドライブで熊本の一部区間を運転したのですが、昭和の頃は自動車教習所で高速道路を運転する講習がなかったので、私が初めて高速道路を運転したのは熊本の一部区間だったりします。

 

このドライブ時に山椒茶屋さんに立ち寄った記憶はないのですが、この時に高速道路が繋がっていなかったのであれば、一般道を母が運転してループ橋のルートを通ったハズですが、全く記憶にありません。

 

初めての高速運転、その親戚と長距離ドライブしたのはこの時だけという珍しい体験なので、山椒茶屋さんに立ち寄っていれば母も私も覚えていそうなものだけど記憶がないということは立ち寄っていないのでしょう。

 

私が20代半ばくらいだったから1990年代半ば〜後半くらいの頃に、当時の彼女と車で九州旅行をした際、鹿児島へ向かっている時に人吉で高速道路を降りることなく、鹿児島方面へ結構な坂道を下る感じで繋がっていた時には、やっと繋がったんだと感動した記憶があります。

 

調べたら1995年に人吉ICとえびのICが繋がったようですから、繋がってすぐくらいのお盆休みに通ったのかな。

 

指宿の砂風呂だったり青島の海岸や一ツ葉などへ行ったので、夏だったのは間違いないんですよね。

 

40代の頃だったか帰省時に積雪か何かで福岡と熊本で高速から降りて一般道を走らないといけない時がありましたが、久留米辺りで一般道が大渋滞になって動かずにナビで抜け道を調べて走ったり、熊本は街中とか川沿いを走ったような記憶はあるけど、積雪だから人吉ループ橋のルートは通らなかったハズ。

 

だから記憶が正しければ、私は1989年以降に人吉ループ橋を通るルートは走ってないハズですが、子供の頃はあの人吉ループ橋は好きだったなぁ。

 

子供の頃は熊本といえば阿蘇山、三井グリーンランド(今はグリーンランドさんですね)さん、昭和の頃は福岡方面から九州自動車道を走ると右手に見えていた寿屋さんの看板、番号があるトンネル郡、人吉ループ橋、そして山椒茶屋さんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本テレビ系で毎週土日深夜に放送されている「Going!」という主にスポーツ系の情報番組があります。

 

メインMCはくりぃむしちゅーの上田晋也さんなのですが、日曜には亀梨和也さんがキャスターとしてもう長年に渡って出演されていて、毎年巨人の宮崎キャンプなどを取材されているんですね。

 

何気にYou Tubeをチェックしていると、亀梨さんの「毎年恒例 魚ずしが絶品!15年以上も通い続ける宮崎のうどん屋さんに今年も食べに行きました」という動画がアップされていました。

 

どこだろうと思ってチェックすると、宮崎の好きな場所の一つ、木崎浜から動画が始まり、青島の釜揚げうどん岩見さんで、魚ずしと釜揚げうどんを食されていらっしゃいました。

 

もう15年以上も毎年取材などで宮崎を訪れると食されているようで、「近所にあったら週二で通う」なんてこともおっしゃられてました。

 

やはり出身地の料理を美味しいと言ってくださるのは本当に嬉しいですよね。

 

帰省しないようになってから、テレビなどで宮崎の美味しいお店なんかをよく観るようになった気がするんですね。

 

中川家さんと海原やすよともこさんの旅番組でも釜揚げうどん岩見さんは紹介されていたんですよね。

 

他にも青島ビーチビレッジさんや宮崎氷菓店さん、ナインティナイン岡村さんと東野幸治さんの「旅猿」だと、重乃井さんだったり、みやこんじょさんだったり、他に何の番組だったか忘れたけどそばや哲心さんとかね。

 

帰省していたコロナ禍前に知っておけば、帰省中に全部行けたのになぁ、なんて思うとちょっと寂しくもなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレビ番組で観るものがなかったので、テレビでYou Tubeの動画でも観ようとYou Tubeのサムネをチェックしていたら、お笑い芸人のタイムマシーン3号さんが「35年前の山本少年がぼったくられたメダルゲームにリベンジ」というタイトルの動画を発見。

 

動画を観てみると、山本さんが少年時代にルーレット式のメダルゲームの思い出話をされていて、大人になった今リベンジしたいという内容だったんですね。

 

「ピカデリーサーカス」というルーレットゲームは縦型の筐体で、カジノのルーレットを模した盤面と、その下には盤面の数字と倍率が印刷されたパネルがあり、メダルを投入して、どの数字が来るか予想して賭けるメダルゲーム。

 

「2」、「4」、「6」、「8」、「10」、「30」の数字にそれぞれ4枚、4倍まで掛けられるようになっているのもカジノのルーレットみたいな感じですよね。

 

掛けた数字に円上に高速移動するライトが止まれば、掛けた枚数分メダルが排出されます。

 

例えば「4」に最高4枚掛けていて、ライトが「4」に止まればメダルが16枚排出される訳ですね。

 

子供は全部の数字に4枚(4倍)掛ければ、6種類の数字×各4枚ですから24枚で全賭すれば、最低でも2×4枚で8枚は戻ってくるし、30に止まれば120枚、10でも40枚なんて夢見る訳です。

 

けど、そういう掛け方するとAIなんか無かった時代なのに、盤面に2つだけある「0」にライトが止まって、メダルが1枚も排出されないなんてことがあるんですね。

 

私の記憶では日南山形屋さんの2階通路に設置されていたような気がするんですが、違いましたっけ?。

 

私もよく賭けるメダルの枚数とか考えて遊んでいたように記憶しているし、小6の頃の友人が、メダルが排出される枚数とかを考えて、その理屈を説明しながら低い数字は4枚、高い数字は1枚とかに数減らして賭けたら低い数字にしか止まらなくて損したり、挙げ句に0に止まってメダルが無くなったりしたのが何となく記憶にあるんですよね。

 

ただ、日南山形屋さんにメダルゲームってあったかな?という疑問が無きにしもあらず。

 

通路にオレンジ色のお金の両替機があったような記憶が何となくあるけど、メダルの両替機もありましたっけ?。

 

青い両替機がメダルだったような記憶もあるけど、日南山形屋さんの記憶のようなそうじゃないような。

 

両替機はレストラン前のトイレの出入口近くに設置されてたような記憶なんだけど、メダルの両替機だったかお金の両替機か思い出せない。

 

日南山形屋さんじゃなくて、宮交シティさんとか他のゲームコーナーの記憶と混ざっている可能性もあるんですよね。

 

うろ覚えが過ぎるなぁ。