みやざきのコト〜にっくの宮崎が好きやとよ〜

みやざきのコト〜にっくの宮崎が好きやとよ〜

宮崎県で生活していた頃の記憶や帰省した時のコトなど宮崎に関するコトの備忘録や近況など。宮崎観光の参考に、昔の宮崎を懐かしむきっかけにでもなれば幸いです。

こちらのブログの画像はだいたい「宮崎県観光協会」さんが提供されている画像を使わせていただいているため、ブログで紹介している料理や場所とは異なります。あくまでイメージ画像です。
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ちょっと前に通りすがりに発見して立ち寄ったコスモスさんで買った、サンポー食品さんのカップ麺「九州とんこつ味 焼豚ラーメン」。

 

日南で生活していた小中学生の頃は、袋麺と言えば小学生の頃は「ちびろく(一袋に6個ミニラーメンが入っている袋麺)」か「うまかっちゃん」でしたが、カップ麺と言えば「焼豚ラーメン」か「カップヌードル」でした。

 

帰省してコスモスさんで見掛けると、サンポー食品さんの「焼豚ラーメン」は昭和の頃とデザインの雰囲気が同じ気がして懐かしさもあって、たまに買っていたんですけどね。

 

こちらの生活圏のスーパーやディスカウントストアでは「焼豚ラーメン」はほとんど見掛けたことがありません。

 

日南に帰省したのはコロナ禍前だから、たぶん7、8年年ぶりくらいに食べたと思うのですが、久しぶりに食べたらこんなに美味しかったかなと思うくらい本当に美味しかったです。

 

スープの味が記憶しているより2倍くらい美味しく感じました。

 

コスモスさんも調べたら車で15分前後くらいの範囲に数店舗あることに気が付きました。

 

どこの店舗も普段通ることがある交通量の多い道からちょっと入ったところとか筋が1本も2本も違うような行動範囲外にあって気が付いてなかったです。

 

日南で言えばコスモス油津店さんとかコスモス星倉店さんは産業道路沿いだし、コスモス山瀬店さんもユニクロさんとかホームワイドさんなど色々とお店がある道路沿いだから気がつくけど、コスモス吾田店さんは222号線沿いじゃないからちょっと気が付きにくいですよね。

 

こちらはさらに目立ちにくいところに出店しているっぽいです。

 

けど意外と近所に何店舗もあるようなので、焼豚ラーメンを食べたくなったり、コスモスさんのお店の作りは日南もこちらの方も似たような作りと陳列だし、リョーユーパンさんのパンとか焼豚ラーメン、うまかっちゃんとかこちらのスーパーなどではあまり見掛けない商品が、コスモスさんだと日南にある店舗と同じように並んでいるので、日南をちょっと思い出せるんですよね。

 

日南を懐かしく感じたくなったら行ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yahoo!検索大賞2025都道府県部門急上昇ワード1位が宮崎県は萬田久子さんだった件が話題になりましたよね。

 

この検索対象都道府県部門は、宮崎県内で検索されたワードでしたから、2025年に宮崎県在住の方、旅行や出張、帰省などで宮崎県に訪れている時に宮崎県内で検索したワードの1位ということでした。

 

例えば宮崎県で考えると、前年「2024年度」の急上昇ワードは「イオンモール宮崎」さんだったそうです。

 

イオンモール宮崎さんに関しては、たぶんオープンしてから毎日のように宮崎在住の方、旅行者の方などが営業時間やテナントなどを宮崎県内から検索されていると思いますが、それでも2023年度より2024年度の方がさらに検索されたということです。

 

あくまで「急上昇」ワードということですから、宮崎県在住の方や訪れた方が、宮崎県内からスマホやパソコン、タブレットなどで前年の2024年度に比べて2025年度に検索された件数が多かったワードということです。

 

2024年度に宮崎県内からほとんど検索されなかったワードを、2025年度に多くの人が宮崎県内から検索すれば急上昇となる訳ですね。

 

萬田久子さんは大阪府出身で、宮崎には近年訪れていないということから、なぜ「萬田久子」さんというワードを宮崎県内で多くの人が検索したのかミステリーだと話題になりました。

 

運営元のYahoo!さんへの取材は勿論のこと、宮崎のテレビ局であるMRTさんのスタッフにも取材したり、宮崎県で萬田久子さんが一位になった理由を知っているかなど街頭インタビューをしていた情報番組やバラエティ番組などがありましたが、当時はそれらしい理由すら判明しなかったんですよね。

 

2026年5月11日(月)放送の村上信五さんとマツコ・デラックスさんの番組「月曜から夜ふかし」でこのミステリーの真相に迫っていました。

 

番組に「自分が(萬田久子さんが検索されて宮崎で1位になった)原因かも」と番組にハガキを投稿された男性がいらして、その弾性のもとへ番組スタッフが取材に訪れていたのですが、投稿者は高校のレスリング部の名誉監督の元教員の方でした。

 

この方が年に数回ある大規模なレスリング部のOB会や同窓会などで、2024年度までは「西城秀樹さんと3つ違いで誕生日が一緒」という挨拶の掴みをされていたそうですが、2025年1月3日の70人〜80人ほどが集まったOB会で初めて「萬田久子さんと生年月日がまるっきし一緒」と変更したのだそうです。

 

OB会に参加していた投稿者の方と同世代と思われる男性が「若い参加者が萬田久子さんの名前と顔が一致しなくて検索したのでは?」と証言されていました。

 

番組スタッフがその時のOB会に参加されていた若い方に確認したところ、OB会の時にもその場で検索したし、その後も投稿者の先生のことを飲み会や集まりなどで話題にする際には、先生が自己紹介で言われていた萬田久子さんもセットで話題にしていたので複数回検索したことがあるということでした。

 

番組では複数人の若い参加者に確認していましたが、同じように萬田久子さんを検索していたそうです。

 

それでも萬田久子さんが宮崎県内で2024年度に全く検索されていなかったとしても、2025年度に急上昇ワードになるほどの検索回数となるだろうかと疑問に思っていたんですけどね。

 

投稿者である元教員の方はかなり人望がある方のようで、インタビューに答えられていた参加者の若い方は「頭が上がらない」とか「人として道を教えてもらった」と言われていましたし、元教員の方は数え切れないほどの人数に慕われているとも証言されていました。

 

元教員の方を慕っている若い方々は飲み会などで集まったりすると「先生(投稿者の方)は選挙に出ないのだろうか」と話し合ったりするほどだと話されていらっしゃいましたよ。

 

そんな元教員の方が自己紹介で話題にされた萬田久子さんだから、ちゃんと確認しておかなくてはと思ったそうです。

 

OB会に参加された若い方が元教員の方の教え子には実写映画化もされた「デトロイト・メタル・シティ」の漫画家さんだったり、元ソフトバンクホークスの選手の方もいらっしゃたりするとか言われてました。

 

元教員の方は今でも750人ほどの卒業生の誕生日には毎年連絡をしているとも発言されていらっしゃいました。

 

年に数回、数十人が集まるような規模のOB会だったり集まりだったりに参加されて、生年月日が萬田久子さんと同じと自己紹介をされていれば、萬田久子さんの名前と顔が一致しないような若い参加者が毎回検索されて、その方々がそれぞれ飲み会などで元教員の方の自己紹介を話題にすれば、また検索されてと広がっていったのは想像に固くないですね。

 

表現として合っているかどうかは別にして「ねずみ講」のように飲み会や集まりの度に元教員の方が挨拶で言われていた「萬田久子」さんというワードが検索されて、検索する人、検索する回数が広がった結果と考えると、確かに宮崎県在住の方や旅行者などの人数を漠然とですが考えると、数百人が数回検索すれば、2024年度にはほとんど検索されなかったワードであれば、数百倍も検索されたこととなる訳ですから、急上昇ワードとして納得できる人数と検索回数になりそうですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『機動戦士ガンダム』が2026年4月7日(火)にテレビ放送開始47周年を迎えたそうです。

 

『機動戦士ガンダム』の放送開始日は1979年(昭和54年)4月7日だったようですね。

 

うちの家は毎週のように日曜日は宮崎市へ買い物や食事などに行っていました。

 

日曜日は父親が午前中はなんだかんだと毎週のように用事で出掛けており、父がお昼くらいに帰宅してから宮崎へ遊びに行くことが多かったので、小学生の頃なんかは日曜朝は『兼高かおる 世界の旅』とかお昼には『新婚さんいらっしゃい』なんかもよく観ていた記憶なので、『新婚さんいらっしゃい』を観終えたくらいから出掛けることも多かったような気がします。

 

そんな小学生の頃、応接間にあるテレビで日曜日の午後に『機動戦士ガンダム』を観た記憶があります。

 

平日の夕方にはアニメの放送も多かったし、昭和の頃は19時とか19時半にはアニメの放送も多かったですけど、日曜日の午後にロボットのアニメを放送しているなんて知らかったんですね。

 

観ている時に「そろそろ(宮崎へ)行こうか?」と言われたけど、「今アニメ見ているからこれが終わったら」と言ってちょっと待ってもらったのを覚えています。

 

また観たいと思って日曜の午後にザッピングするんだけど、UMKかMRTかNHKだったのかも覚えてなかったし、時間も子供の頃だからちゃんと時計なんかも確認してないから二度と観ることは無かったように覚えているんですね。

 

しばらくすると夢で見た記憶なのかなと思ったりもするようになりました。

 

それから一年とか二年くらい経つと、『機動戦士ガンダム』がガンプラなどで人気になったんですよね。

 

ガンプラが流行った時には気が付かなくて、本屋で本に載っていたガンダムのアニメのシーンを見た時に「あの日曜の午後に観たロボットだ!。本当にあったんだ!」と気が付いたのも覚えてます。

 

ただ、大人になると子供の頃に日曜日の午後に観た記憶があるけど、本当に宮崎で『機動戦士ガンダム』が放送されたのだろうかとちょっと疑問に思った時があったので調べたことがありました。

 

Wikipedia(ウィキペディア)を確認すると、当時MRTで日曜日の15時から15時30分の枠で放送されたとの記述があったので、やっぱり子供の頃に観ていた記憶は間違いじゃなかったと判明。

 

日曜日は午前中に出掛けることは少なくても、日曜日のお昼を家であんまり食べた記憶はなく、小学生の頃は宮交シティなどでお昼を食べることもよくあったし、『新婚さんいらっしゃい』を観終えたくらいから出掛けることが多かったような気がするので、14時くらいには宮崎へ出掛けることが多かったのでしょう。

 

だから日曜日の午後に家にいるから出掛ける前にテレビをザッピングしても見付けられなかったんでしょうね。

 

「ガンダム」といえば当時油津にあった映画館で『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』を観た記憶もあります。

 

『STAR WARS(現在だとスター・ウォーズⅣに位置する最初の作品です)』と『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』という、今思えば贅沢な二本立てでした。

 

ガンプラは小学生の頃に当時日南市役所の近くにあった(何年か前に県病院さんの近くに移転されましたね)ニッセイホビーさんに何度か買いに行きました。

 

ガンプラといえば寿屋宮崎店さんも初めて見るようなガンプラがいっぱい並んでいた記憶がなんとなくあって、この記憶が小学生の頃だったのか中高生の頃だったのかまでは覚えてないけど、寿屋宮崎店さんの裏手にある駐車場からエレベーターで上がって降りたらその階の通路が工事していたという記憶もなぜか思い出します。

 

また宮崎や日南のこと、昭和のことを色々と思い出したなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2026年3月末にフジテレビ系で放送された「不思議体験ファイル 信じてください!!」で「山梨で地図にない村に迷い込んだ」という元芸人さんの体験談を本人談と再現VTR、現地で番組スタッフさんが調べて判明した内容が流れました。

 

簡単に体験談を説明すると、20年くらい前に当時吉本さんのタレント養成所NSCに所属していた方が、友人と二人で車に乗り、甲府駅から清里駅に向かう時に、遠回りして山間部を通るルートを通ると、濃い霧が立ち込めたそうで、そこからちょっと気味が悪い景色や体験をしたというようなことでした。

 

このブログにも以前書きましたが、私は大学一年目の夏休みに帰省して、友人らと遊ぶ予定がない日は当時母が乗っていた車で毎日のように平日の午後はドライブしていました。

 

当時母が乗っていた車はラジオしか付いてなかったので、電池を入れたラジカセをリアシートに置いてカセットテープの歌を流してドライブしていたんですね。

 

宮崎方面へはよくドライブしていたので、たまには違う方向へドライブしてみようと思ったんですよ。

 

私は父や母が運転する車に乗っている時には外を眺めるのが大好きだったから、どの道を走ればどこへ行けるかは免許を取得して一年も経たない大学一年生の時でも、日南からだと日南海岸で宮崎方面、北郷または飫肥から田野方面、油津から大堂津、目井津方面、南郷から志布志方面など一通り把握していたんですよ。

 

ただ、その日は飫肥方面へ向かったのだけは覚えているのですが、どの道を走ったのかが全く思い出せません。

 

ただ、山間部で左手に山肌が続く登り坂のような傾斜が続く道を走っていたら霧が立ち込めてきました。

 

霧が立ち込めてきたけど、このまま知らない道を走り続けようかどうしようかと思った瞬間、リアシートに乗せていたラジカセから流れていた音楽が止まったんですね。

 

この瞬間に鳥肌が立ったんですよ。

 

目的地へ向かっている訳でもないし、知らない道だし、ずっと対向車線でセンターラインがあるとはいえ濃霧で危ないかもしれないし、音楽も聴けないから怖いかもと思ったので、登り坂のRがキツイところで路肩に車を停められるようなスペースがあるところでUターンして引き返しました。

 

Uターンしようと路肩の方へ車を停めた時に、濃い霧の中から車が1台降って出てきたのは覚えてます。

 

シルバーかホワイトのワゴンタイプの商用車で、メガネを掛けたワイシャツの人が運転していたように思い浮かぶけど、その時に本当に見た記憶かは不明です。

 

あの時に走った道がどこだったか気になったのでストリートビューで確認したけど、似たような道は見付けられなかったし、コロナ禍の前だったか酒谷経由で都城へ行く道ではなく、振徳(旧工業)高校がある前の道から山の方へ行く道をスマホが表示したので、その都城への知らないルートで都城へ行ったけど、その道でもなかったんですよね。

 

田野方面へは高速を利用する時や日南海岸が走れない時など、子供の頃から父も母もよく利用していたし、私も帰省する時には自分で運転して28号線経由で田野ICから高速に乗ることが以前は多かったけど、あの道じゃないんですよ。

 

40代半ばくらいからは日南から帰る時には222号線で酒谷から都城方面へ行って、都城ICから高速道路に乗るようにしていましたが、あの道でもありません。

 

あの濃い霧が立ち込めた登り坂が続く道は果たしてどこだったんでしょう。

 

あのまま濃い霧に向かって車を走らせていたら、私も不思議な体験でもしていたのかな。

 

すでにあの左手に山肌が続く対向車線の登り坂が続く道がどこか分からない時点で、今となっては不思議な体験なんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が日南で過ごした昭和40年代後半から昭和60年代前半(1970年代〜1980年代)の頃。

 

うちは車でたまに熊本方面や福岡方面などに行っていました。

 

昭和の頃はまだ高速道路の宮崎自動車道のえびのと九州自動車道の人吉が繋がってなかったんですよね。

 

宮崎方面から福岡方面に向かう場合、またその逆の場合も同じですが、えびのと人吉の間は一般道を走行して人吉ループ橋を通って乗り換えないといけなかったんですよ。

 

一般道で山越えルートですよね。

 

熊本・福岡方面から人吉ループ橋を夕方過ぎに通る場合、うちは決まって山椒茶屋えびの店さんに立ち寄って食事をしていました。

 

1日中運転して家族サービスをした父が、帰路にちょっと休憩できて食事をすることで英気を養えるポイントだったそうです。

 

確かに人吉からだと一般道を走ってえびのICから宮崎自動車道に乗り、田野ICで降りて日南までですから、帰宅するまで1時間半くらいでしょうか。

 

昭和の頃の日南ですから、土曜は休みじゃないので日曜や祝日の20時すぎに家族で食事をできるお食事処もそんなになかったでしょう。

 

両親は決まって何かしらのうどんを食べていましたが、何うどんを食べていたかまでは覚えていないとのこと。

 

私は天ぷらうどんを食べた記憶がありますが、高かったのにちょっと残したから罪悪感で覚えている気がします。

 

何となく木の一枚机とか丸太イスとか店内の雰囲気とか出入口近くはドライブインみたいにお土産売り場とかがあったようなイメージも思い浮かぶのですが、私が覚えている店内のイメージが山椒茶屋さんなのか、他のドライブインとかうどん屋さんと記憶が混同しているのか分かりません。

 

最後に山椒茶屋さんに立ち寄ったのは中学生くらいだったのかなぁ。

 

大学生になって最初の夏休みに帰省して、母と親戚と熊本までドライブしたことがあります。

 

このドライブで熊本の一部区間を運転したのですが、昭和の頃は自動車教習所で高速道路を運転する講習がなかったので、私が初めて高速道路を運転したのは熊本の一部区間だったりします。

 

このドライブ時に山椒茶屋さんに立ち寄った記憶はないのですが、この時に高速道路が繋がっていなかったのであれば、一般道を母が運転してループ橋のルートを通ったハズですが、全く記憶にありません。

 

初めての高速運転、その親戚と長距離ドライブしたのはこの時だけという珍しい体験なので、山椒茶屋さんに立ち寄っていれば母も私も覚えていそうなものだけど記憶がないということは立ち寄っていないのでしょう。

 

私が20代半ばくらいだったから1990年代半ば〜後半くらいの頃に、当時の彼女と車で九州旅行をした際、鹿児島へ向かっている時に人吉で高速道路を降りることなく、鹿児島方面へ結構な坂道を下る感じで繋がっていた時には、やっと繋がったんだと感動した記憶があります。

 

調べたら1995年に人吉ICとえびのICが繋がったようですから、繋がってすぐくらいのお盆休みに通ったのかな。

 

指宿の砂風呂だったり青島の海岸や一ツ葉などへ行ったので、夏だったのは間違いないんですよね。

 

40代の頃だったか帰省時に積雪か何かで福岡と熊本で高速から降りて一般道を走らないといけない時がありましたが、久留米辺りで一般道が大渋滞になって動かずにナビで抜け道を調べて走ったり、熊本は街中とか川沿いを走ったような記憶はあるけど、積雪だから人吉ループ橋のルートは通らなかったハズ。

 

だから記憶が正しければ、私は1989年以降に人吉ループ橋を通るルートは走ってないハズですが、子供の頃はあの人吉ループ橋は好きだったなぁ。

 

子供の頃は熊本といえば阿蘇山、三井グリーンランド(今はグリーンランドさんですね)さん、昭和の頃は福岡方面から九州自動車道を走ると右手に見えていた寿屋さんの看板、番号があるトンネル郡、人吉ループ橋、そして山椒茶屋さんでした。