みやざきのコト〜にっくの宮崎が好きやとよ〜

みやざきのコト〜にっくの宮崎が好きやとよ〜

宮崎県で生活していた頃の記憶や帰省した時のコトなど宮崎に関するコトの備忘録や近況など。宮崎観光の参考に、昔の宮崎を懐かしむきっかけにでもなれば幸いです。

こちらのブログの画像はだいたい「宮崎県観光協会」さんが提供されている画像を使わせていただいているため、ブログで紹介している料理や場所とは異なります。あくまでイメージ画像です。
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先日テレビ番組で釣り堀でのロケを観てふと思い出しました。

 

私が小学校高学年の頃なので、昭和54年(1979年)とか昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)頃でしょうか。

 

土曜の午後だったのか、夏休みだったのかは覚えていませんが、小学校高学年の頃はたまに釣り堀で釣りをしていた記憶があります。

 

谷つり堀さんだと、茶色い餌団子を餌にもらって釣ってた記憶です。

 

幾らで何時間釣りができたのかは覚えてないけど、釣り堀にある時計を気にしながら釣ってたような気はするなぁ。

 

谷つり堀さんもストリートビューで確認したら、なんか記憶している場所と位置が違う気がします。

 

子供の頃の記憶だと油津駅近くにある踏切を岩崎から平野へ渡ると、すぐ左手に釣り堀が見えていたような記憶なんですけど違いましたっけ?。

 

まだファミコンとかもない時代でしたから、土曜の午後とか夏休みとかは遊ぶ場所の一つとして釣り堀での釣りがあったのかな。

 

中学生になると土曜の午後はもうファミコンするか、山形屋の2階通路とかでゲームをしてた記憶が強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年度の事業者売上ベースでは電子書籍の普及などもあり、書店市場は1兆円台を維持しているものの、新刊を取り扱う書店がない無書店自治体は全国の市町村の約1/4にもなるそうです。

 

全国の市町村は1,741(市が792、町が743、村が183、東京都23区)らしいです。

 

そのうちの498の市町村には新刊を取り扱う書店がないらしいです。

 

現生活圏で考えても、普段の行動で利用しやすい場所にあった駅前や商店街、幹線道路沿いにあった個人経営の書店はほとんどなくなりました。

 

現在残っている書店は商業ビルとかショッピングモールなどに入っているチェーン展開しているところだけです。

 

意外とと言ってしまうと失礼かもしれませんが、現生活圏に住みだした平成初期の頃にあった個人経営の新刊を取り扱っていた書店はほとんど無くなりましたが、個人経営の小さい古本屋さんは今でもあるんですよね。

 

日南市はまだ見聞読タナカさんが2店舗あって、ゲオ日南店さんもあるから無書店自治体ではないですよね。

 

昭和の頃は私が覚えている限りだと、飫肥の郵便局の斜め向かい、現在スーパー戸村吾田店さんがあるところ、現在眼鏡市場日南駅前通り店さんがある場所の向かい辺り、フィッシングセンターやまぐちさんの向かい、銀天街のいろはやさんの合計5店舗の書店があったのはすぐに思い出せます。

 

寿屋油津店さんの2階にも書店コーナーありましたよね。

 

コミック本や週刊少年ジャンプなんかは日南の書店でも普通に買えましたけど、小説とか雑誌、コミックなど取り扱われている種類とかは宮交シティさんの1階にあった書店さん(本売り場だったのかな?)とか南宮崎駅近くにあった明屋書店さんの方が圧倒的に多くて、宮崎だとスポンサー(親)も一緒ですからね。

 

父が本を買う時に「なんか欲しい本ないの?」と確認されれば、欲しい本をコミックでも何でも一緒に買ってもらっていたし、母だけの時でも明屋書店さんに寄ってもらって「本買うからお金頂戴」と言って、母は駐車場で待ってて私だけ店内へ行き、色々と買ってました。

 

日南で生活していた頃に本屋に行っていた記憶はあるけど、一番本を買った書店は、南宮崎駅近くにあった明屋書店さんか、宮交シティさんの1階にあった書店さんかどちらかだと思うなぁ。

 

小学生の頃は宮交シティさんの1階にあった書店さんで、中高生の頃は明屋書店さんのような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1989年とか1990年とかその頃の記憶なので平成元年とか平成2年とかその頃の話。

 

当時大学生だった私がたぶん夏休みに帰省している時に、当時母が乗っていた車を借りて、今日は知らない道を走ってみようと思い、後部シートにラジカセを乗せて、カセットテープで音楽を聞きながら、たぶん飫肥方面へ向かった結果、山道を走っていると途中で霧が立ち込めてきて、これより先は濃霧だなと思った瞬間にラジカセがたぶん電池切れで音楽がストップしてしまったから鳥肌が立ち、Uターンして引き返したけど、今となってはそれがどこの道だったか分からないという、ちょっと不思議体験のように思っていた記憶。

 

子供の頃から父や母の車に乗って遊びに行ったりすることが多かったから、免許取得時点で宮崎方面、都城方面、串間方面、南郷方面など日南市内からどの道を通ればどこへ行けるという知識はあったんですよ。

 

そんな私が知らない道を走ろうと思った道を考えると、北郷から田野方面へ右折せずに直進して都城方面へ行くとか、左折して飫肥の方へ行くかは今でこそ分かっていますが、あの道は右折して田野方面へしか行かなかったから当時は知らなかったんですね。

 

飫肥方面へ向かったような記憶なんだけどと考えていて、ふと思い出したのが「吉野方」。

 

母の知人が吉野方の方に住まわれていて、子供の頃に何度か行ったことがあります。

 

帰省した時に車で都城方面へ向かうために酒谷辺りを走る時に、ふと吉野方へ行っていた時の記憶が蘇ることがあったのですが、似ているけど違う道ですよね。

 

そんなことを思い出していて「あっ、432号線はちゃんと確認していない」と思ったので、飫肥城の方の道から吉野方へ行く道をGoogleマップとストリートビューでチェックしました。

 

旧吉野方小学校あたりからの道をストリートビューで確認すると、「山肌が左手」、「右手には谷か平野があってちょっと離れて山が見える」、「登り坂のグニャグニャとした峠道」、「白線のセンターラインがある」など記憶と一致する区間があるじゃないですか。

 

運転中に右手に見えた光景は同じように見えます。

 

ただ、記憶では「ずっと白線のセンターラインがあった」ような気がする点だけが違うようです。

 

飫肥城から旧吉野方小学校まではセンターラインがあるけど、そこから先はセンターラインがない道の方が多いんですよね。

 

以前多分432号線も適当に確認した気がするけど、その時には山道過ぎて景色も見えない地点辺りをストリートビューでチェックして違う道と判断した気がします。

 

今でも細い道を走るのは嫌なのですが、当時は運転初心者ですから、あんな狭い区間がある山道を走るかなぁともちょっと思うんですけどね。

 

ただ、常識的に考えると幼少期から中学生くらいまでに何度か行ったことがあって吉野方までは知っている飫肥方面の道。

 

個人的には全く用事がないから大人になって帰省しても車で行くことはない道。

 

吉野方まではセンターラインがあってきれいな道だけど、どこへ抜けるのか知らない道。

 

大学生の頃に他の道はどこへ行けるか知っているけど、432号線は知らないから試した可能性はある。

 

日南市内から都城、串間、南郷、田野、宮崎へは帰省すればだいたい遊びに行ったり用事があったりして運転するし、大学生の時にもちゃんと理解していたけど、唯一、432号線だけはどこへ抜けられるのか今回Googleマップで確認するまで知りませんでした。

 

飫肥方面にある道で唯一運転してない道とどの道だったか分からなくなっていたということだと、やはり432号線だった可能性大。

 

繰り返しになりますがまとめましょう。

 

飫肥方面は大人になってから帰省時に都城方面との行き来に222号線はよく利用しましたし、武家屋敷伊東邸さんで食事したりする時に432号線を使うことはありましたが、432号線で酒谷川を越えることはほぼありませんでした。

 

子供の頃は何度か母の運転で432号線は吉野方までは知っていたけど、あの道がどこに抜けるのかどうなっているのか知らなかったので、大学生の時に吉野方より先、あの道はどこに行けるんだろうと興味を持って運転した可能性は高いです。

 

432号線は子供の頃から吉野方まではセンターラインがある道だし、旧吉野方小学校を過ぎて山道になっても、ところどころはセンターラインがある区間があるようです。

 

左手に山肌があって、右手に見える山の距離感とか、ストリートビューで確認する限り登り坂のようだし、「あっ」と思うくらい右手に広がる景色が記憶している景色と似ている区間があるので、たぶんこの432号線なのでしょう。

 

ラジカセが止まってゾッとしてUターンすることにしたのも、霧が立ち込めてきて、これ以上知らない狭い道を走るのは難しいと当時判断したのかもしれない。

 

日南を起点として考えて、山肌がずっと左手に見える道は日南海岸、田野方面だけだと思っていたから不思議な記憶でしたが、432号線も山肌が左手なので、たぶん432号線で間違いない気がします。

 

どこの道だったのかも覚えてなくて、濃霧が立ち込めてラジカセが止まったということで不思議な体験だったのかもと思っていたけど、解決したのかな。

 

432号線は33号線に合流して都城市の三股町へ行けるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

YouTubeのサムネで東国原英夫さんのYouTubeチャンネル「そのまんま宮崎」という動画を発見しました。

 

宮崎県内に関係する交通インフラを実際に移動しながら説明したり思い出話や考えなどを話すという動画がいくつかありました。

 

高速道路や県道、国道などのルートを説明する動画の場合には、最初と最後くらいしか東国原さんは映らず、ずっとフロントガラスで道路の状況を伝える映像のため、知っている道とかは実際に運転している時を思い出せて懐かしかった。

 

最初に気になってみた動画は、両親が日南で生活している時にはまだ開通していなかった、清武南ICから日南東郷ICまで東九州自動車道を実際に車で移動する内容でした。

 

他にもいくつも宮崎県の県道や国道の動画あったので、日南市に関する道路の動画をいくつかチェックしたんですね。

 

動画を観ていてふと思ったことが、これだけ日南市に関する交通ルートを紹介されていたら、もしかすると私が大学生の頃に日南に帰省した際に体験した道路が判明するかもしれないと思ったんですよ。

 

以前ブログに書きましたが、私は子供の頃から車で色んなところに連れて行ってもらっていたので、免許を取得した時点で日南から宮崎、田野、都城、串間へ行ける主要ルートは把握していたのですが、その日は母の車でちょっと冒険しようと知らない道を選んで車を走らせていたら、どんどん山を登るような感じになり、さらに霧が立ち込めてきたと同時に後部シートに積んで歌を流していたラジカセが急に止まったので怖くなったのでUターンして引き換えした道路がどこだったのか思い出せないというちょっと不思議な体験。

 

東国原さんの交通インフラ動画を何本か観ていて、1本気になる道路がありました。

 

それは都城と北郷を結ぶ33号線。

 

日南海岸、田野方面ではない、南郷方面、大堂津方面でもないので、飫肥方面だと思っていたけど、北郷方面で田野方面へ右折する交差点をまっすぐとか左に行った可能性は無きにしもあらず。

 

また、飫肥の知らない道をあえて選択しながら走らせた可能性もある気がします。

 

33号線はちょっと記憶している道と風景というか雰囲気が似ている感じがするんですよね。

 

しかし、やはり記憶と違っているのが、都城から日南方面へ向かう時に山肌が左手なんですよ。

 

私の記憶では日南側から運転していて、山肌は左手でした。

 

山を登っているような道でしたから、右手は谷か平野部があって少し離れて山があるような風景でした。

 

山手側が逆だからやっぱり違うなぁなんて思いながら観ていたところ、北郷あたりで33号線の上に立派な高架がかかっていて、東国原さんもその高架が何か分からないご様子でした。

 

気になったのでGoogleマップで確認したところ、33号線の上を高架で通っていたのは「広域農道黒潮ロード」。

 

私の記憶では、宮崎方面への道でもなく、南郷方面でもなく、飫肥から知らない道を選んで走った記憶なので、以前調べた時にもこの「広域農道黒潮ロード」が雰囲気は似ているなと思ったんですけどね。

 

やはりこの「広域農道黒潮ロード」は私が記憶しているように、北郷方面から入ると山肌が左手にあって右手が谷で山があるんですよ。

 

運転しながら右手に見えた風景の雰囲気はかなり似ている感じがします。

 

ただ、私が記憶している道は、もう少しグニャグニャとした登り坂の峠道。

 

感覚で言えば酒谷ダムのところくらいの傾斜がある峠道だった記憶なんですよね。

 

「広域農道黒潮ロード」は私が記憶しているような急勾配の峠道ではなく、カーブも緩やかで傾斜も緩やかな感じでとっても走りやすそうな道のようです。

 

日南海岸の220号線ではなく、田野方面への28号線でもなく、南郷方面への438号線でもなく、酒谷から都城方面への222号線でもなく、北郷から都城方面への33号線でもなく、広域農道黒潮ロードでもない。

 

今回Googleマップをチェックしていて、飫肥から432号線という道があることに気が付いてチェックしましたが、私の記憶ではセンターラインがある片側一車線の対面通行だった(432号線はすれ違いも難しそうな道の区間がメインのように見えます)ので違うんですよね。

 

54号線も違うようです。

 

Googleマップでグニャグニャとした区間をチェックするけど、どこも山肌が左手にない、右手に谷があって山が見える片側一車線という道ではないんですよね。

 

飫肥方面へ向かったのは確かなのですが、果たしてあの大学生の夏休み、私はどこをどう走ったのでしょう。

 

今回改めて日南の道路をチェックしたけど、やはり記憶にある道路は探せなかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母の話では午後三時頃に全国初の「レベル4氾濫危険警報」が広渡川に出て、続いて酒谷川にも出たとのこと。

 

2026年5月29日(金)に防災気象情報の警報・注意報が分かりやすいように大きく変更になりましたからね。

 

レベル3は「高齢者など時間がかかる人は避難」、レベル4は「全員避難」、レベル5「命を守る行動」です。

 

宮崎では放送されてない日本テレビ系列で午後に放送されている情報番組の「ミヤネ屋」で広渡川の中継映像や、ホテルシーズン日南さんの敷地からリポーターの方が広渡川河口付近の中継をしていたそうです。

 

「司会の宮根さんが広渡川付近にお住まいの方へ避難を呼びかけても、日南はケーブルテレビとか契約してないと日南でミヤネ屋を観られる人はおらんちゃけどね」とか両親で話していたそうですが、両親らも数年前までは日南に住んでいた訳ですから、広渡川の中継映像を観ていても「いつもの台風とか豪雨の時もそれぐらいの水量にはなるっちゃけどねぇ」という状況だったとか。

 

台風といえば何年前(7、8年前くらいだったかな?)だったか忘れましたが、母から「台風の風で窓ガラスに割れないように養生テープとか買いたいのにナフコさんやホームワイドさんなど周ったけど日南で売ってない」と連絡してきたことがありました。

 

窓ガラスにテープ貼ったら割れないと思っている人もよくいますが、あれ飛来物の材質と速度によっては普通の窓ガラスは簡単に割れますからね。

 

防犯ガラス、二重ガラス、ペアガラスなどは急所に当たらない限りはなかなか割れることはありませんけど。

 

養生テープを貼るのは、飛来物で窓ガラスが割れても、その破片が飛散して怪我しにくいようにということと、割れた場合に掃除をしやすいようにというようなことですからね。

 

だから養生テープじゃなくてもガムテープでも何でもいいんです。

 

テープも「✗」と貼るだけでは割れたらやはり飛び散りやすいので、「米」のように貼るのがいいらしいです。

 

テープがないという人は段ボールを室内側に貼っておけばガラスが割れても室内に飛び散りにくくできますし、カーテンがある場所だったらカーテンが開かないように洗濯バサミをいくつか使って両側を挟んでおけば、室内への飛散で怪我をすること可能性はかなり減らせるはずです。

 

飛来物から窓ガラスが割れることを防ぎたいなら、窓の外側に透明のアクリル板を布テープや養生テープでしっかり貼るとか、昭和の頃のようにちょっと厚めのベニア板でも釘で打ち付けておけば、窓ガラスは割れないと思いますけどね。

 

ふと思いつきましたが、段ボールを窓ガラスのサイズに折りたたんで、大きいゴミ袋に入れて、ゴミ袋を粘着テープで飛ばないようにしてやれば、耐久性もある板のようなものができあがりますから、それを窓ガラスに貼って飛んでいかないように粘着テープでしっかり固定してやれば安上がりで窓ガラスを守れるんじゃないでしょうか。

 

うちの母はそんな話をしても養生テープが欲しいというので、ヨドバシさんで注文したら翌日には養生テープ届いたんじゃなかったかな。

 

結局父が窓ガラスのところはベニア板を打ち付けたとか言ってましたけど。

 

台風を経験して必要だと思った備えなどは、台風一過後、普通に買える時に購入しておいて備えけばいいと思いますよ。

 

あと通販だと買える場合が多いですから、ヨドバシさんだとヨドバシさんの販売、発送で誰でも安心して買える送料無料の通販が個人的にはオススメです。

 

Amazonさんだと販売と発送が他社だったり、定価より高く販売されている場合も多いので、その辺りもちゃんと確認できないと損する場合がありますからね。