挙式のレポートの続きを書きたい中、



ストップしているのには理由がありました笑い泣き






祭壇の前で話されていた神父さんの

「愛の言葉」が今まで聞いてきたのと少し違い

今彼さんと挙式中に2人であまりに感動し



終わった後も

「あの言葉、聞いたこと無くてすごく良かったね」

と2人で話していました。





読者さまにぜひご紹介したいため

(心に残ったことだけは記憶にあり、

言葉そのものが正確に思い出せないため)

現在リッツ・カールトンに確認をしてもらって返答待ちの状況です。





わかり次第ご紹介できればと思いますので

しばらくお待ちください🙇‍♀️






よく挙式で聞く言葉は以下だと思います。






愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
札儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。





上記の後に仰っていて、

心を打たれたのは以下のような言葉でした。


  





愛は生きていく中で実践していくものであり、

人生を通じて学んでいくものです。








この言葉には挙式中に私自身がハッとさせられました。






愛は生きていく中で実践していくもの




ただ受動的に愛を感じるのではなく、

自らが能動的に相手を愛する行為を実践していくこと。




例えば、



旦那さんがこれをしてくれるから愛を感じる

パートナーがこうなれば愛されてると感じる



ではなく、



パートナーとして生きていくことを決めた相手を愛し続けるために、

自らが相手の行いや見えない愛を見つけ感じにいき、感謝を伝える。

相手のために自らもやれることをやる。



そうすることで愛を育んでいくことができる。




愛もそうですが、

普段当たり前にある手元の幸せや感謝も同じ。



まさに

「在るものを認識し続ける努力」なのだと思います。







“認識してないものは無いことと同じ”

なのですよね。





ただ与えられるのを受け身で望む「感じること待ち」になるのではなく、



自ら愛の器を大きくし、自ら循環させていく姿勢





これが自立した姿勢だと思います。








そして、


愛とは人生を通じて学んでいくもの





日々生きていく中で

愛に気づき、学び、知っていく。








私自身37歳になって始めた婚活で、

初めて“自分を愛する大切さ”を学びました。






自分の内側に徹底的に向き合い、

強い被害者意識を持っていた両親の

愛に気づくことが初めてその歳になってできました。




 


満足に与えてもらえなかったこと、

自分に与えてこなかったこと、

それらに不足感と不満を誰より強く持って生きていたけれど、



   




でも、あれも実は愛だった。

この世界には本当は愛しかなかった。

もっと愛を受け取って良かった

もっと自分を愛すれば良かった







それらのことに気づいて脳内に衝撃を受けたのは

37歳の時でした。





(そこから、現実も大きく変わりました。)






こんな風に、

日々生きていく中で愛とは何かを

さまざまな経験を通じて知っていく。


 




自分が何者なのかも

自分の心の痛みもその奥にある願いも



まだまだその学びは終わることはないのだと感じます。







「愛とは〜」という言葉は、

ともすると崇高で偽善的に聴こえてしまいがちですが、




大それたものではなく

泥臭く生きているなかで、感じ、気づいていくもの。








とても大切なことを、

挙式の最中に心の中で感じることができました。






この想いは宝物として一生大切に持ち続けていたいと思います😊💐




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赤薔薇アメトピ掲載記事赤薔薇