四年前の今日、こんな記事を書いていました
一人目の楓ちゃんは、登場時は高校生
アルバイトを通して自分が”何も知らない”ことを知り
”知らないことを知るために”大学に進むことを決めます
わたしも、私の経験した素敵な四年間を
子供たちにも味わってほしくて、子供たちを送り出しました
二人目の楓ちゃんは、新米司書見習の詩織をサポートしてくれた図書室常連の高校生
わたしも高校の三年間ずっと図書委員として図書館には入り浸っていました
高校の時にはクラブ活動はしていなかったのですが
この図書委員会の活動が実質的にクラブ活動みたいなもので
初恋の彼との絶縁状態の辛さから救ってくれた(目をそらさせてくれた)のも
この図書館での活動でした(^O^;)
※上の子もクラブ活動の代わりに三年間生徒会活動をしていました
本当に似た者親子です(^O^)
そして三人目が、わたしの上の子
静岡新聞のLGBT特集で”当事者の家族”と言うことで
わたしと二人で取材を受けたのですが
その時の仮名で、当時は高校生でした
と言うことで今回の自分史は、その③として高校時代編
その多感で、わたしの将来への大きな方向性を決定していった時ですが
”初めて人を意識して”、他の人との絡みの中で実感した時でもありました
その顛末は、上の過去記事を見ていただくとして
その時からず~っとお話しできなかった彼とも
下の記事で書きましたが
50年ぶりに、一言二言でしたがお話しできました(^O^)
でも、なんであの時お話してくれなくなったのかは
まだ聞くことは出来ないのですが・・・
うちの高校は、取り敢えずは地域のTOP校
※上の元記事でも紹介していますが、首相/ノーベル学者/オリンピック選手を輩出しています
まだまだ大学進学率が30%前後の頃には
うちの高校に入学してくる女子はまだまだ少ない!
でも入ってくる女子は、当然(平均値で言えば)男子より上のグループ(^O^;)
※わたし達の代の卒業生総代も女子でした
そういうことで
各学年9クラスあっても・・・団塊世代なので、一クラスは50名以上
1~4組までが男女半々のクラスで
5~9組が男子のみのクラスでした
そして、わたしは6組
三年間組み換えなしの、ず~っと男子クラス
仲たがいがなければ、三年間初恋の彼といっしょだったのだからよかったのですが
絶交状態だと、これはこれで辛い(*_*;
でもそれを和らげてくれたのが
上で書いた図書委員会の活動であり、図書館でした(^O^)
そして「自分史④大学時代」でも書いた県下一斉テスト問題
うちの高校の時間割は二週間制で、必要な科目を選択していきます
特に三年次では、私立文科系を目指して最低科目だけを選択すると
受講枠は半分くらいになって、残りは自習時間になります
わたしも、この段階では理系を目指していたのと好きなので
数Ⅲや物理も取っていて、フルの枠組みの時間割だったのですが
それが県下一斉の数学テストが散々でした(>_<)
それで、これまでのコンピュータのHWからSWへと
大幅な進路転換をしたのです
でもこの方向転換は
結果として、その後に天職と思えるお仕事に辿り着けたので
それはそれでとってもよかったのだと思います
もちろん、この時に
具体的に将来の姿が明確に見えていたわけではないのです
でも想いつづけることで
そして歩み続けることで、少しずつ少しずつ
今の道に絞り込まれて行ったのでした(^O^)
もうこの時から、わたしのPIキャッチ
”想え、走れ、そうして創れ!”を実践しだしていたのですね(^O^)
結局、この高校の三年間は
うえで書いた通り、将来進む方向へと舵を切り直し
わたしのジェンダーに関わることも思うだけでなく
ひとときとはいえ他者とも触れ合って表出してしまい
自分でも明らかに自覚してしまった時でありました
でもこの時も、そしてそれ以降も
他にベラベラしゃべってもダメなんだろうなぁ~とは分かっていましたが
だからと言って
特にはそのこと(ジェンダーに関すること)で疎外感を感じたり
悪いことをしていると思うとか、落ち込むことはなかったですね(^O^)
そのことは、それ以降において、今でもですが・・・
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