ラマポーザ大統領、国家的災害事態を宣言
これまでの話↓
南アフリカでロックダウン その1ーコロナウィルスってなんだ?
南アフリカでロックダウン その2-イースター休暇はヨーロッパへ
南アフリカでロックダウン その3-振り返れば、とっても充実した2月だった
3月10日、仲良し4人組の一人の退院祝いを兼ね、ヨハネスブルグ郊外にある美味しいベルギーワッフル屋さんに集合しました。この仲間は、学校のピザボランティアをやっている仲間たち。子どもたちもクラスが一緒だったり、学年が一緒だったりするけど、この仲間は子どもを通してのつながり以上の大切な仲間たち。
↓こんな活動しています
シュタイナー学校で月1回のボランティア~Pizza Friday~
「あ、そういえばチャパリータ、2月お誕生日だったんじゃない?」と、そこから話はどんどん進み、6月、9月、10月生まれも含めて、4人まとめて誕生会をしよう!と盛り上がりました。実は4人のうち、一人はもうすぐ、ヨーロッパへ移住。あとの二人も数ヶ月もしたらヨーロッパに帰国してしまい、私一人がこのヨハネスブルグに残るという、、、状況だったのです。じゃ、来週集まろう!それぞれプレゼントを用意して、プレゼント交換もしよう!なんて、子どもみたいにはしゃいでいた私達。そして、12月のクリスマス明けには、ドイツで一緒にニューイヤーを迎えよう!と地図を眺めながら、ホリデーの計画も立てたり、、、久しぶりの集まりに舌鼓を打ちながら、本当にわくわくした楽しい時間を過ごしていました!
仲良し4人組で最後に一緒に食べに行ったベルギーワッフル
数日後には国家的災害宣言が出されるほど緊迫した状況だとは、この時、誰一人思っていなかったと思う。。。呑気な私達
この頃、学校では恒例のスイミング・ガーラ(水泳大会というより、もっと緩いお祭りみたいな)が行われたり、放課後は通常通り、クリケットの練習が行われていました。
そして、とうとうやってきた、、、3月15日。
実は、ラマポーザ大統領大統領の宣言の前に、教育省から「3月14日から全国的に公立の学校を休校にします」という内容のレターが出たというデマ情報が回覧されていました。しかし、やんちゃ男児たちが通う私立のシュタイナー学校からは何も通達がない!保護者で協力して学校に働きかけよう!と言い出す保護者も出てきていたんです。
夕方5時から、大統領が生放送で演説をする、ということで息をのんでテレビの前にかじりついていました。が、なかなか始まりません。
待ちかねている視聴者たちは、次々とこんな写真を投稿し始めました、、、
「ウォーリーを探せ!」もじった「シリルを探せ!」
「ラマポーザ大統領はまだ手を洗っているから、、、くつろいでて」
ようやく7時半過ぎに、大統領が画面に登場しました。
WHOのパンデミック宣言、南アの感染者数の増加(3/16時点で62名、死亡者0名)に伴い、国家的災害事態を宣言。
「災害対処法」に基づき、各種対策を行うと発表されました。
・不要不急の国内移動の禁止
・100人以上の集会禁止
・学校から3月18日から前倒しでイースター休暇、4月13日まで休校
・手洗いや咳エチケットの徹底と肘で挨拶の推奨
などに加えて、中・高リスク国から入国する人の空港での検疫強化や入国規制などについて発表がありました。
入国規制ーこれによって、実は一年前から関わっているEmergency Pedagogy (シュタイナー教育学を基にしたアプローチでトラウマを抱えた子どもたちの支援をする活動)のヨハネスブルグチームでドイツから創始者を呼んで開催するはずだったトレーニングも中止に
半年以上、みんなで力を合わせて準備を進めてきたのに
そして、学校が休みになるという噂は嘘ではなかった。3月15日(日)の夜に発表されてから、わずか2日間の準備期間。先生たちは慌てて休校に伴う、子どもたちが自宅でできるワークの準備に取りかかりました。私も、先生にお手伝いすることがあれば、と話し、イースターのクラフトの材料の調達などお手伝いさせてもらいました。18日から休校となりましたが、かなりの企業が在宅ワークとなったこともあり、半数以上の生徒は翌日月曜日から学校はお休みしていました。
さてさて、学校の他に、私には大きなイベントが待ち構えていました。
それは3月16日生まれの次男のお誕生日会。
今年は、大きなパーティはしなくていいから、仲良しのお友だちを数人招いて、一緒にボーリングをしたいという希望でした。4人の仲良し+その子の兄弟のみをお招きして、ボーリング大会を17日に予定していました。どうしよう、、、と悩んでいましたが、しばらく学校もお休みになり、友達にも会えなくなるんだから、やってあげよう、とサニタイザーなどを持参し、予定通りに開催しました。まさか、この日から数ヶ月もお友だちと会えなくなるとは、この時は考えていませんでしたイースター休暇明けには、みんなでまた元気に学校に通えると思っていたのです、、、
大統領の宣言から、各スーパーマーケットや娯楽施設では、入口にサニタイザーが置かれたり、消毒が徹底され始めていました。
そしてこの時期、我が家には、もうひとつの懸念事項がー。我が家の主が、実は1週間ほど日本に帰国したのです。日本はハイリスク国ではありませんでしたが、やはり海外から戻ってくる人が家族にいるというのは、この時期は、周りの人たちがピリピリし始めていました。やはり2週間は隔離(quarantine)すべきではないか、、、という結論を出し、帰国後は、自宅の近くにあるB&Bに隔離することに。それに対して、そこまでやらくてもいいんじゃない?と言ってくれるお友だちもいましたが、やはりどんなリスクも回避したいという判断で、南アに戻ってからの最初の1週間は毎日夕飯をタッパーに詰めて取りに来てもらう生活をしました。その内に学校も急に休みになったので、家族しか接触する人がいなくなったということもあり、自宅に戻ってきました。しかし、それから2週間は、寝食は完全に別にするという方法をとりました。感染していなかったとは思いますが、とにかく家族間でも社会的距離(social distance)をとって生活をしました。
次男のお誕生日ケーキを切るときも、しっかり2m離れてね。
今、こうして書いていても、これが、わずか1ヶ月前のことなんて考えられません。
結局、仲良し4人組のお誕生会は実施されないまま、一人はヨーロッパに旅立ってしまいました
ドイツでニューイヤーを祝うという計画は、一体どうなるんだろう、、、
この3月15日以降、生活はガラリと一変しました、、、
(動画・英語)ラマポーザ大統領による国家的災害事態宣言(2020年3月15日)