1人ではつまらんだろうから むー母もやじんも一緒に・・
小5
中1
むー母と並んでむー父の写真も出してあげると喜ぶだろう。
昨日が母の日なら今日は父の日だな。
むー父は戦後警察官、軍人で少尉の時から射撃の名手でトロフィーがたくさんあった。
もしかしたらハリマオだったかもしれんな。
野人が1歳の時に結核の為に33歳で世を去ったむー父の写真は1枚しかない。 このむー父の母、つまり野人の祖母は天草で戦災孤児に食べ物を分け与え餓死の道を選んだ。
野人が生まれる前に姉と兄がいたが共に結核で3歳で亡くなった。 母も結核だったが入院せず、自力で進行を止めた跡が残っていた。
野人もそれに近かったがいつの間にか回復、強靭な肺活量で中学高校の水泳県大会は自由形で優勝、全国大会にも行った。
絶滅の危機にむー母が孤軍奮闘したから二人とも生かされたのだろう。
小学校に上がる前から、母は朝の6時から夜9時までの15時間、定休日もなく30年以上食品店を続けていた。
手が赤切れでボロボロになっても母から愚痴や弱音、人の悪口を聞いたことがなく、悲しみ苦しみで嘆く姿を一度も見たこともない。
持てる常識を超えた能力を使えばはるかに楽な暮らしが出来たろうが、その道を選ばず地道に働いた。
縁談はどっさり来ていたが見向きもしなかった。
働きながら寝た切りを最後まで看取った実の父母と共に、今は6人が同じ石の下に眠っている。
常に笑っていたが、家族を5人も看取るのは辛かっただろう。
母に看取られなかったことも大きな親孝行だな。
姉と兄は生まれた時から稀にみる美男美女で、村中の人達が見に来た。 しかし野人の時は誰も来なかった・・
「不細工だったから仕方ないわね」と母はストレートな正論で野人を諭していた。
さほど不細工とは思わないのだが、母から見れば不細工だったらしい、前例と比べてあまりにも猿に似て・・
20歳 猿・・ 似てる?
むー父に何となく似てるような・・
ハリマオ
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