3月のビレッジマリーナ 水中修理作業
海岸や山中で遊ぶ子供達を見かけることがなくなった。
小学生だけでなく中学・高校生も見かけない。
見かけるのは,自転車でやって来て池やダムでバスフィッシングする中高生くらいだ。
当たり前の風潮なのだろうが、野人から見れば「異様」な状況に見えてしまう。
小学校の野外学習も同じで、海や川は避けられ、引率出来る先生もいないのだろう。
危険と言う理由で禁止されているのかもしれんな。
鉛筆削り、工作用としてもナイフもままならず、使えない子供ばかり。
当時は子供同士の遊びや文化の継承が当たり前であり、昼間は海山川の何処でも子供達の遊びを見かけた。
小学3年生頃から1人でも海山川で遊び続けた野人、小中学では夜の山や海に1人で入るのも平気だった。
友人達もさすがに怖くてそこまでは出来なかったようで、一人で夜間潜水している中学生も大人もいなかった。
13歳の時は懐中電灯をビニル袋に入れて潜っていたが、やがて水中ライトをむー母に買ってもらった。
夜間、一人自転車でモリ持って潜水漁へ出かける野人に小言も言わなかったむー母は偉い。
海だけでなく夜の川の深み、沼にも潜ったが、当時は「川や池には河童がいて、コーモンから手を突っ込み肝を掴み出される」という言い伝えがあり、特に昼間でも池や沼に潜るなどとんでもないことだった。
緑の藻を掻き分け夜の用水池の深みに潜り、眠っている鯉を抱えて上がって来るのは快感だった。
たまに湾内にはサメが入って来るので、はるか沖や夜の海は怖かっただろうが、好奇心が勝る野人は平気だった。
海はサメ、川や沼は河童、夜の山は山姥などの妖怪・・そんなものが怖くて狩りは出来ない。
当時も野人は普通ではなかったようだが、今の子供達も教育も普通とは思えない。
当時の普通が今の普通ではないからだ。そう感じている人は多いのではなかろうか。
生命を感じ、危険も感じ取り、考え続けることは生きる上で必要なことではないのかな。
幼少から十代にかけて学ぶ最も大切なことなのだが・・
中一から夜間潜水漁していた市営線が着く故郷の護岸
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