地球上には生命が溢れている。
海にも野山にも都会にも。
しかし、生命を見た人はいない。
生命とは何だろうか。
何処にでもいる「アレ」・・で済めばよいのだが、生命を見たことにはならない。
アレも生命体には違いないがそれが生命のすべてではないからだ。
生命とは意識を持ち、考えて答えを出す意思と繊細な心を持っている。
見えているのは意識・心を持った有機物の集合体だ。
有機とは水と炭酸ガスで一夜にして組み立てられるバブルのようなもの。
草も筍も一夜で伸びるし皮膚も入れ替わる。
生を終えれば元の水と炭酸ガスに戻り、後には何も残らない。
鉄や石などの無機は一夜が百年でも増えることなく、生がないのだから有機のように消滅することもない。
有機集合体を指揮する意識・心、それに各部署、臓器、血液などを指揮管理する意識・・それらの指揮は自分ではやれないのだから指揮官の存在は当然。
意識、指揮官は体の何処に、どのような形で存在するのか、何で出来ているのか、指揮系統はどうなっているのか。
それがわからなければ「見えない」「見たことがない」と言うことになる。
総指揮官の指揮が及ぶのは筋肉だけであり、脳の補修が出来るわけではない。
微電流で神経を通して動かせるのなら、その電流は何処から出すのか、バッテリーがあるのか。
それらを明確に出来なければ、「何も見えない」「何もわかっていない」と言うことになるだろう。
脳の構造、意識の構造は皆同じでも中身の心・性格は生まれた時から異なる。
意識と有機細胞を持つ生命体の仕組みがわからなければ、機械と違って補修も出来ずどうにもならない、それが現状だ。
生命とは意識そのものであり、見えない意識が微電流を流して指揮を執るのなら電源は意識であり、意識もまた電気のようなもので構成されている。
意識を持つ植物はじめ、1種から数種の食べ物で生を保ち、あらゆる部位の有機を生成、代謝をも保っている。
意識は有機体ではないのだから、死の定義もなく燃えて消滅することもない。
地球上の動植物はカロリーや栄養、ビタミンやミネラル、多種食物・野菜などとは無縁で生命を維持している。
何故そのようなものが人間だけに必要なのか、明確にしてもらいたい。
小学生のころから野人はさっぱり理解出来なかったから頭には入れていない。
頭にはなかったから野人理論が生まれたのであり、社会から学ばなくてよかったと思っている。
全7編
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