見える世界は見えない世界から生まれる。
見えるものは幾ら小さくとも物質に変わりなく、物質を構成するのは分子、さらに原子、超微粒子とミクロへ進めばキリがない。
小さくなれば肉眼どころか顕微鏡でも見えない。
最も利用されている電気も磁気もまったく見えない世界。
見えないどころかどの辺にあるのか見当もつかない。
風だって見えないが、体感も、他の物質で視認も出来る。
見えずとも存在する事には違いなく、色んな方法で存在を確認出来る。
重力だって見えずともその存在がわかれば猿も木から落ちない。
物質を構成する粒子はともかく、物質ではない心や電気磁気・重力は原子核など持たない。
これだけ見えない世界の中で暮らしていても何も困ることなどない。
地球上の動植物すべて普通に暮らしていける。
それが生きる為に必要な学びかと言えば、まったく必要がなく、役に立つものでもないだろう。人間科学の産物に過ぎない。
書きたくはないが、この役に立たない理論を野人は何年も書き続けた。
つまらんと思いながらも、それなくして協生理論は成り立たないからであり、間違った常識を覆すには必要だったからだ。
人が地球の理に適った当たり前の暮らしをしていればこの協生理論も必要ない。
見えないものを、その世界を信じるか信じないかでモメて争うのは人間くらいだろう。
犬や猫は知らんぷり、猿に至ってはノミとりしながら尻を掻いている。
この見えない世界、何故人間はそこまで勉強熱心なのか・・
勉強嫌いまでがこの難問に熱心に取り組み、執着もするのか。
未知への好奇心故か、困っているからだろう。
悩み、苦しみ、多様な病は人間独特のもので、そこに救いを、何らかの答を求めようとするからだ。
信心深い、信じる者は救われるという言葉もあるように、たしかに救われる者も多い。
しかし、現実の出来事は現実で解決するしかなく、自問自答では根本的な解決にはならない。
無機も有機も同じもの、見えるものも見えないものも同じものから出来ている。
体も臓器も意識も、電気も磁気も重力も同じもの。
元は同じであり、何故同じなのかがわかれば理解は難しいことではない。
人は多くの引き出しを作り、それぞれに命名した言葉を納めたがるが、そんな面倒なことはお野人やらないし覚える気もない。
そんなことをするから引き出しの中の研究者ばかり増え、わけがわからんようになるのだ。
心身の異常は精神から体の各臓器まで、軽症から難病まで無数にある。
冷え症や低血圧や便秘やうつ病、どれも完全に治せないのならすべて難病ではないか。 軽症とするなら軽く復元出来るはず。
同じもので出来て、同じ生命の仕組みを持つのだから難しく考えることもない。
そのようなものは自力で簡単に復元出来る。
昔からお野人の好きな言葉は・・
一石五鳥、一網打尽、一攫万金たん、濡れ手で粟とゴマ、棚からお供え餅・・
楽して最大・完全な結果を出す。
野人物理の原点・・だな。
知恵は暮らしを楽にして人々に恵みをもたらすものなのだが、世界を見渡せば暮らしどころか心も体も楽には見えない。
ひたすら前向きに今の学問を勉強するのではなく
たまには・・
「どっか 間違えたかもしれんな」 と
立ち止まって足元を見直した方がいいな。
足元の草むらは何一つわかっていない生命の聖域
http://ameblo.jp/muu8/entry-11284358613.html
崩れ行くガラスの常識3
http://ameblo.jp/muu8/entry-12006160656.html
崩れ行くガラスの常識4
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ムーマリックのアゲハショー
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