生命とは 生き物の仕組み1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

見える世界と見えない世界は同居しているが、生命もまた見えない世界なのだ。

生命とは何か、人間とは・・永遠のテーマのようだが難しく考えることはない。

ウィルスやその細胞は見ることが出来ても生命を見た人はいない。

その道理は簡単で、生命は細胞のような有機の形を持たないからだ。


人は、自ら動き成長進化する「細胞集合体」を見ているのであって、その原動力となる生命の構造はわからない。

生命とは明確な意思を持つもので、動物のような脳を持たない植物やカビにもそれはある。

動物や植物など生き物は無数の細胞の集まりであり、その細胞は個々に生命を持ち、それぞれの活動をしている。


人もまた多くの生命の集合体だが指揮官なくして行動はままならない。

指揮官もまた生命であり、細胞生命よりはるかに大きく複雑、それを人は「心 魂」と呼んでいる。

細胞は指揮官に関係なく自らの使命を果たそうとするが、脳のソフトの中身、骨格や筋肉や内臓の質は指揮官の意思でどのようにも変る。

細胞の生命も指揮官である心の生命、どちらも見えない世界なのだ。


科学によって証明されることが「存在」の前提なら、自らの心は存在していないと言うことになってしまう。

野人は発展途上の科学ではなく森羅万象の道理と自らの実体験と物理論でこの記事を書いている。

植物である野菜の本質を説く為に「生命力」は避けて通れない。

生命力とはそれらの生命を育む本来の力と考えていただければよい。

いまだそれらが証明出来ない科学は見える世界の「成分」しか語れず不自由なもの。

生命は生命によって育まれる、それが生命誕生から今日に至るまでの普遍の原則。

個々の細胞も、指揮官である心も生命力の補充なくして生命は維持出来ない。

生命力とは意思を持ったエネルギーであり電気の集合体、つまり電気エネルギーのことだ。


動物では体全体を指揮する電気の経路が「神経」であり、電気意識体である心は自らの電気を放出する。

バッテリーのようなものだが、容量が減れば充電しなければならず、それが睡眠だ。

空気中からの充電が終われば自動的に覚醒する。

動物のように体を動かさず、脳も必要ない省エネ植物族にそれほど睡眠は必要ない。

充電が十分なら眠ろうとしても眠れず、活動するしかなくなる。

逆に眠る気はなくともバッテリーが減っている場合、思考、運動を止めて横になれば自動的に充電睡眠につくようになっている。

つまり、寝るか起きるか、寝る時間起きる時間もまた本来自分の意思で決めるものではないのだが、定時の仕事があればそうもいかず合わせざるを得ない。

それに身を任せていれば睡眠時間が短かろうが長かろうが分割睡眠だろうが、動物なら自動的に帳尻を合わせ疲れをいつまでも持ちこすことはない。

人と違って疲れ果てた顔したサルや猪、犬や猫がいないのはそれが理由だ。


遊びは別にして、休養の為の休日など動物には必要なく、規則正しさとも無縁、時間に関係なく食べたくなったら食べ、自動的に眠りにつく野人のスタイルは数十年間まったく変わっていない。

サラリーマンだったヤマハ時代の二十数年間、社会、会社のルールに反してそれを貫き通した。

タイムカードなど必要なく、休日もいらず、日中、深夜関係なくやるべきことをやった。

起きた時に出社、用がなければ昼過ぎでも帰る

それを容認してくれたヤマハには今も感謝している。


植物の意識と知恵

http://ameblo.jp/muu8/entry-10168033922.html

エネルギーを求める人間の願望

http://ameblo.jp/muu8/entry-10255749913.html

大いなる力

http://ameblo.jp/muu8/entry-10308576877.html



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