いくが作った首飾り・・
人は太古からの山の植物を暮らしに取り入れて来たが、今は忘れ去られつつある。
それらを単なる「便利なもの」「食材」「薬用」と考えれば、現在はもっと便利なもの、食べ物、薬があり注目されることもない。
マリンビレッジでは植物活用講習会を毎月のように実施しているが、野人理論で捉えればこんな重宝するものはないからだ。
それらは、単なる材料でなく味覚、薬効などの成分効果でもなく人間に必要なエネルギー。
高価な美容・健康食品に比べればはるかに有効で安価、ビレッジでも手に入るが、労を惜しまなければ野山にいくらでもある。
何でも使えると言うものでもなく、生息条件から細胞バランスが完全か不完全か、それらの見分け方を理解した上で採取して使えばよい。
協生農園でも、一般的な果実野菜などの農産物、山菜・木の実だけでなく、これらの有用植物も農産物の一部になる。
元々や野生で、肥料などの世話も必要ないのだからこんな楽なことはなく、下草の一部か周囲の防風林代わりなどにして配置しておけばよい。
道の駅やネットでも野草茶としてドライリーフを扱っているが、完全化不完全かの区別は難しい。
採取する人はさようなことにこだわらず、田畑であろうが小川であろうが群生する場所で採取、ドクダミなどは民家や下水の周囲に幾らでも繁殖している。
肥料を使おうが使うまいがどちらでもよいことでこだわりもない。
しかし完全な植物エネルギーとして使うならそれらは使えない。
それらもまた市販野菜果物と同じようなものだからだ。
植物エネルギーの用い方は野人も思いつかない程無限大にある。
時々読者の記事を開けば感心する使い方もあった。
植物は種によって微妙に異なるエネルギーのベクトルを持っている。
それは野生肉も同じで猪と鹿では微妙にベクトルが異なる。
そのベクトルの違いを古代の人は成分薬効と受け止めていた。
成分に固執すれば薬草・お茶も野山であろうが肥料栽培であろうが関係がなくなる。
昔と比べて薬効が落ちた、効き目がなくなったと感じるのはそれが理由だ。
異物混入・早期肥大が原因なのだから、化学肥料であろうが無農薬有機栽培であろうがまったく関係がないことだ。
有機無農薬、あるいは無肥料・自然栽培で米を作ろうが、耕起、穀物単一栽培である限りは不自然であり自然栽培とは程遠い。
食性が合わない米にあえて健康を求める必要もなく、表土破壊、環境破壊に変わりなく、地下水・海洋汚染も止まらない。
このように植物を有効成分で見るかエネルギーか、見方によって有効かどうかの判断は異なってくる。
お野人の口車に乗って植物有効活用にすっかりハマり、飲用だけでなく薬用、美容などの使い方に工夫と情熱を燃やしている読者は多い。
やればやるほど感激のカルチャーショックを体感、生涯使える財産になりそうだな。
自然を眺めるのも、観察して名を覚え知識を増やすのもそれなりに楽しいものだが、暮らしに取り入れるのはもっと領域が深く面白い。
自然と協生すると言うことなのだから。
一見、植物にとってはメリットがなさそうだが、人の認識が変わることによってやがて自然界に大きな利をもたらすことだろう。
自然界が正常に戻ればそれもまた人間だけでなく多くの動物に帰って来る。
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