ヒバリの赤ちゃんの ノドチンコ・・ むー農園の巣
人の思考能力は地球上の生き物の中では一番優れている。
思考とは字の如く思い考える事だが、思考能力と言う言葉もあるように、どちらかと言えば考えることの意味で使われる。
思いはその人の心であり自由なものだ。
時と場所を選ばず湧いてくる「思い」と違って思考には必ず目的がある。
人は何の為に思考するのか、頭を捻って時には何日も同じことを考え続けるのか。それは生きる為だ。
思考とは理解の為の判断、行動の為の判断が目的。
判断とは答えを出す事であり、思考ははっきりと答えを出す為の過程。
これは数学物理学の思考と全く同じだ。
唯一の違いは人の心が入るか入らないかだ。
数学物理には「こう思う」などと言う答えはない。
誰が出しても答えははっきりしている。
人の交流は心の交流であり明確な答えが出るものではない。
人は感情の生き物であり心とは自分そのものだ。
皆違うのは当たり前の事だが、心で数学は解けないのも当たり前。
だから人生はややこしくなる。
間違いないと「思って」行動したら裏目に出て悩み苦しむ事は日常茶飯事だ。
「感情」は現実の結果に伴い生じる。
自分の思ったようにならないことばかり続けば心が折れ、歪んでしまう。
思考の盲点はその人の「思い」であり「思い込み」。
判断には心が必要なものもあれば不要なものもある。
国語の感性で数学が解けないように、自由な心で物理的、現実的な問題は解けない。
悩むことと考える事は紙一重だが、天地ほどの差がある。
答えが出ないものは考えても仕方なく、出るものはとことん考えれば良い。 考える前に考えたら後は考え方、手法次第。
人の心には誰も立ち入る事は出来ないが、思考の手段は誰もが使える道具のようなもの。
九九、足し算割り算、簡単な方程式など日常的に使っている。
野人は考える事はあっても悩みなどはほとんどなく、ストレスも味わった事がない。 答えが必要なものは必ずはっきりとした答えを出す。
わからないものはわからないで、そのうちわかる時が来るまで保留する。
答を出す為に考えると決めれば基本になる「思考の方程式」があり、どんな問題もそれに従って思考を進めて行く。
それぞれの問題には具体的な方程式を立てるのだが、それらすべてに共通する基本的な概念の野人方程式を使う。
他の人との一番の違いは「無」から始まること。
大半の人はこれまで習い培った知識・常識を基点に思考を進めるが、野人は習っていない、あるいは認めていないからそれがない。
無には常識や既成概念などはまったくない。
そうして「起点」を決めるが「基点」とも言う。
歴史からもわかるだろうが人は発見と訂正を繰り返して現在に至る。
それが文明であり今が文明の終点ではないのだ。
そんなあやふやなものを自分の判断の柱にする気にはなれない。
文明・学問を思考の基点にしない人など他にいないだろう。
野蛮人ならいるだろうが、そう呼ばれていた野人は蛮の字がやっと取れたばかり。
はるか原点にさかのぼり、自分の判断で基点を決め、そこから方程式を組み立てる。
先人が発見した知恵は参考にするが教科書はあくまで森羅万象。
地球上の全ての生き物はそうやって生きている。
無の基点・・これが野人理論が理解し難い最大の理由だな。
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