ヒバリの卵
思考の起点について、これまでの記事から実例を挙げて解説する。
先日の続きのようなものだな。
「卵が先か鶏が先か」などと言う愚問も、悩むものでも自分の思いで答えるものでもない。 二者択一なのだからはっきりした答えがある物理。
いきなり答を考える前に考えればわかる。
卵も鶏もいきなり出現するはずもない。
まともに答えれば「解なし」だな。
いきなり、どちらが先なのか答を考えようとするのは問題の正当性を認めたからであり、その時点で間違っている。
解なしと言うより、答えがないのだから問題が成立していない。
「親が先か子が先か」なら迷う人もいないのではないかな。
「子が先」と答える人はいないだろう。
生命の起点までさかのぼれば細胞分裂に行き着く。
構造が複雑になるにつれて分裂は困難、誕生まで時間がかかるので卵生、さらに胎生に進化、誕生して大人になるまではさらに時間がかかる。
細胞分裂は「繁殖」でありそれは全ての生命の本質。
繁殖は言葉を変えればコピー。元がなければコピーなど出来ない。
この問題は目先の「現在」だけで比較するから堂々巡りになるが、時空を入れた立体思考で考えれば簡単。
「何をばかなことを・・」と即答出来るはずだ。
まあ頭の体操と思えばそれなりに面白いが、答えが出せなければ頭の体操にもラジオ体操にもならず押し問答で時間の浪費だろう。
これを感性で答えを出す遊び半分クイズと判断するか、物理と判断するか、その判断が分かれ目になる。
それがないと起点すらたどり着けない事になる。
つまり思考が一歩も進まないと言う事だ。
航海術も同じ事。進む方位が同じでも、現在地、つまり基点が違うと船は北米に着くか南米に着くかわからない。
野人はどちらでも応えられる。
遊び半分クイズとして答えるなら鶏が先。
「親子丼が出来る順は鶏肉が先で卵は後だから」
間違っていないことは確かだな。 親子丼の場合・・
起点を見誤ったから現代の混迷がある。
科学も医学も、農業も、野菜も、洗剤も、そして健康さえも、積み上げた知識や常識が正しいとしてさらに思考を先へ進めた結果だろう。
生命の領域は足元が不安定なバブルの城のような学問だな。
大勢が関わる巨大な城ほど後戻りは出来ないし容易には崩れない。
「間違っている」として歴史をさかのぼれば案外答えは見つかるもの、どこで間違えたかも。
「協生理論」「協生農法」「体調復元法」「常識の矛盾」「スポーツ・武術」などの野人理論はほとんど常識とは正反対。
「カナズチは15分で脱却 簡単に泳げる」とか・・
「水虫 ニキビ ワキガ 体臭などに対策は不要」とか・・
「石鹸止めたらそれらに加えて 風邪もひかない」とか・・
「穀物食べるほど運動するほど老化が進み寿命が縮む」とか・・
常識では考えられず誰も信じず失笑を買うことばかりだが・・
そのような手法で思考を進めて出た答えを実践したらそのようになった。 つまり「成るべくして成った」だけのこと。
何時からかは覚えていないが、たぶん十代からそうやって出した答えをそのまま口にして実行していたと思う。
「そんなバカな」とか、「バカ そんなわけない」とか、「ばかばかしい」とか、バカ呼ばわりされた記憶が多い。
しかし、実行してその通りの結果を出すと・・
バカから天才に出世するのかと思えば・・違った。
「へ~~」とか、「ホントに?」とか、「まさかねえ~」とか、天才呼ばわりではなく、どちらかと言えば変人・規格外人呼ばわりだった。
幼少より天才児と呼ばれて育った原人とは随分待遇が違うな。
少年期は優等生と反逆問題児、青年期は科学者とアウトロー。
今は両極異色のコンビだが・・
その生い立ちは、サラブレット有馬記念と 農耕駄馬・・
いや、ロバほどの差があるな。
つまり、「口に出せば」まったく信用されずバカ扱い。
「言った通りの結果を出せば」半信半疑で奇人変人扱い・・
信じられないくらい非常識な結果を出せば化け物扱い
超人扱いならまだ格好は良いが、何で化け物なんだ?
どちらにせよ人から一目置かれても尊敬されることはなく、結果を出せなければホラ吹きのただのバカで終わっていたな。
続く・・
ダバダバダ~ 駄馬ダ
あらよ~っと カモの一点倒立
ヒバリ~ヒルズエッグの孵化 | 野人エッセイす (ameblo.jp)
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