当たり前の食べ物とは 4 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

ドイツで半野生のリンゴを食べた原人と庭人、むー農園で「野菜のような植物」を食べた人がそうであるように野菜も食べ比べれば肉や魚同様にその違いがわかる。

自力で育った本来の植物は生命エネルギーに溢れ、本能で感じ取れるはず。

大人もそうだが、子供、幼児のほとんどはそれがわかるから野菜嫌いの子供も好んで生のまま食べる。

信じられないなら野菜嫌いな幼児を農園に連れて来るといい。

ニラもアスパラもゴボウも、小松菜やチンゲンサイやそれらの花も生で美味しく食べられるのだが、耕し、堆肥や化学肥料、有機肥料を与えればまったく別物になり、生食すれば雑味、エグ味がよくわかる。

食べた瞬間の体の反応も、それ以後の体調の変化も同じようにわかる。

雑味のなさや生命力は完全な表土の構造から生まれるもので、肥料さえ与えなければ良いというものでもなく、環境を整え表土構造を維持することが基本だ。

食べればわかるのだが、食べないのは常識から「考えた事もない」と言うのが本音だろう。

それはこれまで協生農園を訪れた多くの有機関係者、ソムリエ、栄養士、農学者など野菜に精通した人達の言葉だ。

その度に「じゃああらためて考えてみなさい 簡単な道理だから」と野人は言っている。

納得はしてもまったく反論は出て来ない。

中には「この奇跡の野菜で全国制覇が出来る」と言うツワモノもいた。

目的は大地の復元と成り立つ農業による過疎化対策であり、その気がないから最初からブログで公開しているのだ。

ややこしい作り方などまったくなく、むー塩同様に、やれば子供でもそれなりに出来るものだ。

野人は土作りや堆肥や野菜の作り方などまったく知らないし、農業書も必要もない。

原人が食べたドイツのサラの実家のリンゴやナシも、ただ放置しているだけの木だ。



本来は、医者も薬も健康食品も、栄養管理もカロリー計算も、オーガニックもマクロビも菜食も必要なく、ごく当たり前の食品を少量でも摂っていれば代謝は正常になり、他は何を食べようが病気にはならない。

それは特殊なものでも経費や労力がかかるものでもなく、ごく普通の植物や塩や水で、通常の食費の範囲で賄えるものなのだ。



人は生きた食材を、加工食品、健康サプリ同様に、ビタミン、ミネラル、栄養分でしか評価しない。

だから、肉や卵、野菜果物や主食の穀物でさえも本質を持たない養殖加工食品だと言うことに気付かないのだ。

人知を駆使して早期肥大させたブロイラーも野菜、穀物、果物もその考え方は同じ。

堆肥や肥料を与える有機野菜が自然界の産物ならブロイラーも同じことが言える。

アンバランス、不健康な肥大状態の人間をメタボと言うなら、それらの食材も同じことだろう。

細胞バランスの壊れたメタボな肉や野菜を食べ続ければ、食べた方もメタボになってバランスが取れなくなるのは不思議でもなんでもない。

成分や言葉だけを重要視して健康を期待する方が間違っている。

「当たりまえ」が見えないから人は余計なことに人生を費やし、自らの寿命をも縮めている。


続く・・ 次回終章



大地の悲鳴

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海から生まれた野人農法1

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恍惚の人参

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桃源郷を目指して

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