当たり前の食べ物とは 3 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

当たり前の食べ物は野山にいくらでもあり植物は勝手に生えて来る。

人の畑と何処がどう違うのか、比較すれば違いくらいは中学生でもわかるはず。

「野菜と山菜は違う」と言う人が栽培者には多いが、確かに違う。

野人には流通野菜は植物のようなものにしか見えないのだ。

同じ視点と物理学をもって研究した植物学者、農学者は1人もいない。

全ての動物は植物なしでは生きては行けないが、人は植物のようなものでも生きて行けると言っているようなものだ。

それが証明されれば異議はないのだが、科学も医学も農学も行き詰まって迷走している。

そのしわ寄せは消費者と他の生き物に来ているのだが病気の原因がはっきりわからないから誰も文句を言わない。

一部の人は健康とは何かを自ら考え、栄養バランス、食事療法、菜食、マクロビなどに取り組んでいるが、何処にも食材そのものの本質や道理を示したものがない。

あるのは無農薬、有機オーガニックや解釈の自由な自然栽培や循環農法などだ。

それらは肥料や堆肥の違い、作り方や解釈の違いでしかなく植物の本質とは関係がない。

肥料さえやらなければ良いというものではなく、完全な生命と成分のバランスには表土の仕組みが最も重要なのだ。

野菜作りには、耕して土壌作りと肥料と水が世界の「当たり前」であり、栄養学やオーガニック理論、マクロビ理論などはそれを前提に成り立っている。

前提と言うより全く植物の本質を見ようとする意識がないから基点を素通りしている。

植物が理論の中心にもかかわらず植物とは何か知らないのもおかしな話だ。

陸の生命を生み出した土壌あっての植物なのだが、その構造の仕組みを語れる人にもお目にかかったことがない、だから土作りと称して異物との混合土を作ろうとする。

それは土壌構造とは関係のない「人工土」であり、人工土でよく育つのだから工場でも水と養分だけでより早く効率良く出来ると言うのが人間の道理だ。

海を走らない船はただのガラクタ、海を走るから船であり、海を知らずして船の仕組みを知らずして「操船法」だけ覚えるのと似たようなものだ。


植物がそうなら、畜産肉と野生肉、養殖魚と天然魚はまったく同じで、何ら健康とは関係がないと言う道理と同じではなかろうか。

食べ比べた人も多いだろうが肉質はまったくの別物だ。

栄養学の盲点、オーガニックの間違いをこれまで道理で指摘して来たがマクロビ理論も同じことが言える。

それらは人間の思いと言葉が先行して基本からまったく理論にはなっていないからだ。

抽出成分同様にまったく効果がないとは言わないが、食の本質からは大きく外れている。

成分を与える考え方は、人間の体、ペット、家畜、土壌、野菜、果物、園芸植物などすべてに共通している。

そして結果として全てに対して起こる異変に対抗して薬物を使う考え方も共通している。

農薬を嫌うなら、何故農薬を使わなければ対抗出来なくなったのか、その原因を追及すべきだろう。

これだけの量の「当たり前で健全」な食事を心がけても病を防げない理由も同じことが言える。

これではいくら自然循環、体に優しい、環境に優しいと言葉で飾っても、自然界にはまったく無縁の・・限りのない人間のプラス思考だろう。

結果が明白でなければ当たり前は当たり前ではないと言うことになる。

懸命に頑張っている人達を責めているのではない。

オーガニック同様、実態も根拠もない理論の間違いを道理で示している。

世の中をこれからどうして行くかは人間の判断にかかっている。

いくら野人が吼えても各自が理解、納得した道を止めることは出来ない。


続く・・



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