当たり前の食べ物とは誰でも答えられるような自然界の産物だ。
それを具体的に完全に答えた人が1人もいなかったのは、当たり前の定義、自然界の定義が異なっているからだ。
それらは人間が言葉で簡単に片づけた便利な言葉なのだが、当たり前にも自然界にも人知を超えた途方もない仕組みがあることに誰も気づいていない。
つまり、「わかった」「理解出来た」と心で納得していることも「言葉」と言葉の意味を覚えたに過ぎない。
健康の仕組みや野菜である植物の仕組み同様に仕組みとは物事の道理、つまり物理学であり国語ではないのだ。
誰でも知っている当たり前の健康、野菜が科学を超えた超高度な「物理」と言ってもピンと来ないのがその一例だ。
人間とロボットとコンピュータとサイボーグとハンバーグ、「どれが一番高度な仕組みを持つか?」と聞けば納得するだろう、ハンバーグと答える人もたまにいる。
科学を超えているのだから科学ではわからないことが多い、これもの当たり前の道理。
わからないから「この成分が良いだろう」「これが効く」と言う商業が成り立つ。
わかっているならそのような産業は最初から存在しない。
それらは感性で判断するものではなく、自ら理を組み立てて判断するものなのだ。
結果や答えで決めるのは判断とは言えず、「答えだけ教えて」と同じことなのだ。
「とにかくやってみよう」は思考の墓場。
野人エッセイすの目的は答えを教えることではなく物事の考え方を説いている。
自ら考え、判断出来る人が増えなければ世の中は良くならない。
本質と理を見極めることから思考は始まる。
最も大切な「心」は後からくっつけて、最後にどうしたいのか決めれば良い。
心から入れば理を見失い物理数学にはならないはずだ。
肉や卵が体に良いと主張する人は少ないが、一昔前はタンパク質、栄養の塊として親や先生からも「食えクエ~!」と言われて育った。
映画ロッキーでも生タマゴをがぶ飲み・・しかし今は悪玉コレステロールの親玉にされつつある。
健康の象徴は人類が改良した植物「野菜果物」に移行、健康食品の大半はそれらが占める。
抽出、薬効、当社技術、丹精込めてなどのうたい文句は様々だが肝心なことが抜けている。
天然、自然の産物などの飾り言葉も自由に使われているがそれらは言葉でありまったく植物の仕組みには触れていない。
植物学もまた、高校の生物がそうであるように理系ではないから管轄外。
植物とは本来どのような仕組みを持ったものかが抜けて、最も大切な基本的な部分を素通りしている。
植物はパーツの組み合わせでも工場で作るものでもなく、土壌構造もまた人に作れるものではなく、最新科学をもってしても作るのは不可能な構造。
そこは生命の聖域とも言えるものだ。
続く・・
テーマ 大地の仕組み 全40編
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