東シナ海流26 対決 切石港 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

島の住民とヤマハスタッフは仲良くしていた。夕食に呼ばれて家を訪問する事も多く、定住しているヒッピーともよく挨拶をかわし、敵対する事などはなかった。ただ、都会から来たヒッピーはそうではなかった。朝日新聞に、「素朴な島民の心をむしばむヤマハ」と名指しで投書したりして、実家の親も心配して電話があったくらいだ。ヤマハは島の人達としっかり対話して土地を買い求め、港も道路も電気も水道もない島を私費で整備し、共に歩こうとした。一棟の平屋の宿泊施設を建てる為にそこまでやったのだ。そして現金収入のない島で雇用もしていた。行政も及ばない最高僻地の島で、最低限の利便性を求めるのは50人の住民にとっては当然の事だ。じいさんも島の人達の賛同と協力なしで事業を進めるつもりはさらさらなかった。共に歩きたいというじいさんの気持ちは側にいて良くわかっていた。外来のヒッピー達は、自分達の都合の良い思想でペンの暴力を使い、具体的な施設への嫌がらせもしていた。人が大勢島に来れば困る理由があったのだろう。坂内さんは、マリファナ栽培だとか言ってはいたが証拠はない。

外来ヒッピーとは何度か衝突があった。彼らは特に嫌いではないが、クレーンのワイヤーを外すなど悪質で露骨な嫌がらせには野人も怒り、けじめをつける。船の上げ下ろしは命がけなのだ。この医者のいない島で事故を起こせば助からないこともある。施設は会社だけでなく島の人達のものでもある。定期船「十島丸」が沖に錨泊すれば、会社の船と島の通船を下し、二隻で島民と一丸になって物資の運搬に当たる。切石港は住友建設が長いリーフ岩をダイナマイトで砕いて水路を作ったヤマハの私設港だ。それまでは反対側の「本浦港」が唯一の船下し場だったが、波が高い時は「十島丸」を見送らざるを得なかった。ヤマハはその本浦港にも波除けのテトラを大量に入れてあげた。切石港が出来てからは島の風下での通船作業も可能になった。港と言っても防波堤などはないから高いうねりが来れば岸壁は軽く波に洗われる。通船作業は波のある洋上で小船を近づけ、十島丸からクレーンで下ろされるドラム缶や車など下の小船で受ける。居場所がなくて危険極まりなく、揺れる鋼材を避けようとして海に落ちた者もいれば、ドラム缶に突き飛ばされて落ちた者もいる。十島丸が来れば島中の年寄りや女子供まで港に集合する島を挙げての行事だ。ヒッピーに対しては、会社の仲間は「お前がいれば鬼に金棒」と喜んでいた。しかしある日、異様な風体の男が二人、十島丸から降りて島へ入った。外国人でアメリカンフットボールの選手みたいな体格だった。スタッフと島民の間ではもっぱら、野人に対抗して戦力的優位に立つ為にヒッピーが呼び寄せた「秘密兵器」だとの噂で持ちきりだった。双方の対決日や決戦場所まで予測が流れた。野人と野生牛を戦わせようとしたり、とにかく娯楽のない島だからやることもなくてヒマなのだ。

ある日、住友建設の現場監督、坂井さんと港でのんびりと釣りをしていた。数キロ級のヒラアジが釣れるのだ。ヤマハの工事は住友建設が請け負って、現場も合わせて20人くらいが常時滞在していた。そこへ例の二人組みが港へやって来た。彼もその噂は知っているので、「なあ、来たよ、来た!どうする?」と緊張した。「坂井さん、放っておけばいい、相手にするな」と言って優雅に釣りを続けていたが、二人は真っ直ぐこちらへ近づいて来た。