話はわります。
 ここに来てたかいちせいけんないかくりつが各社共に軒並み急落しておりますが、傲慢ごうまん独善的どくぜんてきこっかい運営や中傷動画、サナエトークンわくに対する不誠実な対応などを見て、ようやくこくみんたかいちしゅしょうの実態に気付き始めたようです。
 ことに、先日などは自身のSNSにそう就任以来0かんから3かんすいみんが常態化」などと忙しさをことさらに強調する行動を行って物議をかもしておりましたが、一国のそうだいじんの発信としてあきれてことも出ませんでした。
 もしこの「0かんから3かんすいみんが常態化」がじつであるならば、こっの重要判断を担うそうだいじんとして極めてけんじょうたいにあるとわざるをません。
 がくてきには「1日3かん以下の慢性的なすいみんそくが続けば前頭前野の機能が低下し、複雑な意思決定能力や注意力、集中力がいちじるしく損なわれる」とてきされております。
 一国の宰相がそのようなじょうたいで職務に就き続けること自体、日本にっぽんの国益上重大なリスクであります。
 現に、イギリスのBBC放送からも「わずか3かんすいみんで国を運営できるのか」「日本にっぽんしゅしょうはできるそうだ」などと皮肉交じりで報じられました。
 そもそも9ヶ月もこうしたじょうたいを継続すること自体がくてきしんたいてきにもほぼ不可能なのでおそらく嘘(大笑)もしくはかなりちょうしてこくみんの同情を買おうとしているものと思われます。
 しかし、仮にそうであったらそうだいじんとしての適性と資質を欠くものとわざるをません。
 たかいちしゅしょうの性質について毎日新聞のコラムでは「自民党職員が昔『条件の不利な自分は嘘をついてもいいと信じている人』と形容していた」しるしており、また週刊文春では息を吐くように嘘をついた安倍晋三からも「彼女は嘘をつく癖がある」とあきれられていたとするかんけいしゃの証言がほうじられていました(笑)。
 このような自分を過大に見せるために嘘やちょうを繰り返す姿勢は今に始まったことではなく、たかいちしゅしょうの過去のけいれきを見ても色濃く現われております。
 たかいちしゅしょうは20代の頃「私を雇ってくれ」と履歴書に「ぐん問題のけん」と嘘を書いて米下院いんしょはいり込んだことを後年に笑いながら雑誌のインタビューで自慢げに答えていたことは先般べた通りです。
 それだけでも問題ですが、アメリカから帰国後のけいれきしょうわくたかいちしゅしょうの歪んだにんげんせいを如実に物語るものであります。
 たかいちは神戸大学卒業後にパナソニックの創業者であるまつしたこうすけが設立したせいじゅくである「まつしたせいけいじゅく」に在籍中の1987年から1989年までの約1年半、まつしたせいけいじゅくの海外けんしゅうプログラムとして米民主党のパトリシア・シュローダー下院いんしょに身を置いておりました。
 これは、まつしたせいけいじゅくから研究費やせいかつ費の支給を受け、現地においては無給のけんしゅう制度であります。
 当初の2ヶ月はインターン、その後はしょが便宜的に用いていた「コングレッショナルフェロー」という肩書で活動していました。
 いずれも正規の公務員や有給スタッフではなく、まつしたせいけいじゅくから派遣されたしょうがくけんしゅうせいという立場でほうりつを作るりっぽうかんの下で資料調査を手伝ったり、手紙を整理するなどの補佐業務やしょの雑務を行っておりました。
 ところが、日本にっぽんに帰国するやテレビの番組や雑誌のインタビューなどで「元アメリカれんぽうかいりっぽう調ちょうかんと名乗り「アメリカのこっかいの中でほうりつを書いていた」「中小の生命保険会社を保護するほうあんなどを作っていた」などとぬけぬけと嘘をつき始めたのであります。
 そもそも「私の英語力って大したことなかった」「英語は苦手で、高校でも大学でも英語の成績はいい方じゃなかった」と自ら語っていたたかいちが、高度な専門知識が必要なアメリカのほうりつなど書けるわけがありません。
 たかいちなえの肩書に疑問を抱いた週刊現代が今から33年前の1993年9月にたかいちなえだいの華麗なけいれきは誇大広告だった」というを掲載した。
 その取材においてたかいちほうあん作成スタッフであるとったことは一度もない。『調査』という形で関わっただけ」との実態を吐露とろしているのです。
 そして、問題なのは先ほどのありもしない肩書を利用してせいになったことです。
 たかいちは自著を始め各種メディアや選挙公報で日本人にっぽんじん初のべいこくれんぽうかいりっぽう調ちょうかんだいせんでんしておりました。
 しかし、べいこくれんぽうかいにはたかいちがいうようなりっぽう調ちょうかんという正規のかんしょくは存在しません。
 そもそも「かん」が付く正規の公務員になるにはべいこくせきが必要で、観光ビザで入国したたかいちが就くことのうです。
 その後、たかいちは批判を受けてかべいれんぽうかいコングレッショナルフェロー」という肩書に変えました。
 しかし、これもまたもんだいがあるのです。
 アメリカで「コングレッショナルフェロー」といえばアメリカせいがっかいが厳格な基準で先行するコングレッショナルフェロープログラムを指す場合もあれば、いんしょが任意でつけるコングレッショナルフェローもある。
 前者は1953年から続くゆいしょあるもので、はくごうを取得したせい学者や経験豊富なジャーナリストなどの専門家にべいかいの実態を拝見させる非常にけんのあるプログラムであります。
 名誉のあかしとしてその名簿は一般公開されている。当然たかいちの名前はそこにはありません。
 たかいちが名乗った「コングレッショナルフェロー」は後者の方で、いんしょけんしゅうせいのモチベーションを上げ、交渉などをしやすくするために名乗らせるもので、アメリカせいがっかいの公式の物とはまったくの別物なのです。
 しかし、たかいちはそれを百も承知の上で自著においてあえてその2つを錯覚さっかく混同こんどうさせるよう実に巧妙な詐術をろうしているのであります。
 たかいちの著書によれば、たかいちけんしゅうしていたいんしょにはアメリカせいがっかいの公式なコングレッショナルフェローがすでに在籍しておりました。
 たかいちはこの立場を「りっぽう調ちょうかん」と和訳しております。
 この人がしょを辞めることになったため、たかいちはその後釜になるために早朝から深夜まで必死に努力して、ようやくりっぽう調ちょうかんの立場をた」しるしているのです。
 これでは、たかいちがアメリカせいがっかいの公式のコングレッショナルフェローになったように読めてしまう。
 まして「べいれんぽうかい」を冠したらかいに直接雇われていた印象をいだかせます。
 それだけではない、たかいちべいこくれんぽうかい勤務」とかりっぽうかんといった完全に嘘の肩書を使い分けてきたのです。
 これらはいずれもまつしたせいけいじゅくしょうがくけんしゅうせいたかいちがなれるはずもない立場であります。
 ありもしない肩書や嘘やちょうおのれを大きく見せてはこくみんを騙して何とも思わないたかいちは虚構で塗り固められた人物とわざるをない。
 そのにんげんせいいったんを示すエピソードがたかいちが30歳の時に出版した自著に掲載されております。そこにはこうあります。

 「高校1年の頃は大学生とっていた。
 その人には、デパートの編み物コーナーでったマフラーを『手編み』といつわってプレゼントした(笑)。
 でもその時は彼のお母さんに『あなたこれ機械編みよ』と見破られてだいしっぱい
 それでも彼は毎日毎日そのマフラーをして私に会いに来るっていうおめでたいおとこだった」
と。

 人を騙してもつうようすら感じず、むしろ騙された交際相手をさげすむようなことを平気で書籍に書けるたかいちしゅしょうは人としてどうかしていると思います。
 なぜこのようなたかいちしゅしょうけいれきしょうわくやその歪んだにんげんせいを今論ずるかとえば「日本にっぽんを神の国にせん」とよこしまな改憲を目論むたかいちしゅしょうこくみんを騙すこといとわず、その目的を達成しようとするにちがいないからであります。
 もし会見の可否を決するこくみん投票が実施される時、全こくみんたかいちしゅしょうにんげんせいを知らなければ騙されて取り返しのつかないことになるからであります。
 そして、ペテン師のようなそうだいじん日本にっぽんの舵取りをすれば、ちがいなく国がかたむく。


令和8年 7月27日 7月度 総幹部会 浅井会長指導

令和8年 7月29日 7月度 男子部班長会 行成総男子部長指導