『立正安国論』より
旅客来りて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。
死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢て一人もなし。
然る間、或は利剣即是の文を専にして西土教主の名を唱え、或は衆病悉除の願を持ちて東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調え、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄し、若くは七鬼神の号を書して千門に押し、若くは五大力の形を図して万戸に懸け、若くは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、若くは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行う。
然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し、並べる尸を橋と作す。
『立正安国論』の冒頭の一節を拝読させて頂きました。
申すまでもありませんが、この『立正安国論』は時の国主北条時頼に(この『立正安国論』を大聖人様から宛てられた時の名は最明寺時頼と申しておりましたが)「早く間違った信仰を捨てて、速やかに正しい仏法を立てて、もって国家を安穏ならしめよ」と諌められた諫暁の書であります。
この冒頭の「旅客来りて嘆いて曰く」というのは時の国主北条時頼に擬して当時の災難の悲惨な姿を物語った物であります。
立宗より4年目の正嘉元年の8月23日に前代未聞の巨大地震が発生いたしまして、それから、この地震を機として毎年毎年台風、大洪水、大旱魃、そして飢饉と大疫病(この疫病というのは強毒性のインフルエンザという事ですが)、これらが次々と起こって、そして、人々が死んでいった。
そのために、国中の過半の人々が死に絶えるという惨状があった。
この惨状を旅客の言葉として
「近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。
死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢て一人もなし」
「正嘉元年の巨大地震を機として、今日に至るまで台風、大洪水、大旱魃等の異常気象、そして飢饉と大疫病が国中に巻き起こっている。
それによって、牛や馬もばたばた巷に倒れて、その骸骨が道に横たわっている。
国中の過半数が死に絶えて、これを悲しまない者はいない」
と仰せになっておられる。
平成26年 7月8日 浅井先生指導