その中で、やまざきまさとももっとも力を注いだのがのぶ日蓮宗にちれんしゅうとの連携です。
 その結果、のぶの坊主どもが大石寺に招かれるということが始まったんですね。
 かくて、謗法ほうぼうどうが相次いで行われるようになったのであります。
 その一つに、平成6年10月5日にのぶさんおんぼう住職じゅうしょくで山梨県布教師会会長でもあるとう順映じゅんえい以下8人ののぶ僧を招待した。
 この時、のぶ僧一行をねんごろに本山すべてを案内したのが大石寺境坊きょうぼう住職じゅうしょくがわどうであった。
 彼は何と正本堂しょうほんどうまで案内した上、ご丁寧ていねいにもとう順映じゅんえいに対して礼状れいじょうまで送っているんです。
 自分が招待して案内したにもかかわらず「来てくれた」とって礼状れいじょうまで出しているんです。
 その礼状れいじょうとう順映じゅんえいが布教師会の会報に出して全部わかったんです。その礼状れいじょうに曰く。
 「皆様の暖かいお心に触れ、外はめっきり寒くなっているにもかかわらず、暖かな気持ちでご案内申し上げることができましたことを感謝しております」と。
 どうしたらこんなことが書けるんですか。のぶの坊主どもはいずれも戒壇かいだんだいほんぞんを否定している仏敵であり大謗法者だいほうぼうしゃではないか。
 だい聖人しょうにんさまは『曽谷そやしょう』に

きょうかたきながらいてめずんば、だんともげんごくうたがいなかるべし」

と厳しくいましめ給うておられる。
 しかるに今やがわどう大謗法だいほうぼうのぶ僧を「暖かな気持ちでご案内申し上げることができた」とってすましている。何たる堕落、何たる謗法ほうぼうどうか。
 がわどうというのは大石寺のですよ。ゆえに、にっけんがこの行動を知らないわけがない。
 またがわどうは妙観講のどう教師でもある。おおぐさかずがこれを知らぬわけがない。
 しょせん、彼らも同じ穴のムジナなのであります。
 また、平成7年6月6日にはのぶ管長かんちょうに就任直前の田中日淳にちじゅん一行32人が大石寺に参拝しております。
 この時はしゅうもんの能化高野日海がころもを付けた正装で丁重ていちょうに出迎え。
て、そして、正本堂しょうほんどうを始めとして大石寺境内をくまなく案内した上で蓮葉庵れんようあんという所でもって手厚くもてなしております。
 さらに、平成7年8月2日にはしゅうもんの法華講総講頭になっている柳沢やなぎさわ喜惣次きそじにっけんの息子信彰しんしょう住職じゅうしょくを務めるだいしゅうの法華講員約二十余人を率いてのぶさんに参詣し、その夜は宴会に興じて、それ以降双方交互の参拝が誰にはばかる事無く行われるようになったんですね。
 このような腐敗堕落のしゅうもんをもし日興にっこう上人しょうにんが御覧あそばせばいかがおおせられるか。
 今のしゅうもんにはのぶざんの大精神がもう消え失せてしまったのです。
 このような中で、やまざきまさともは精力的に各地ののぶの集会に出席しては講師として反がっかい共闘を呼び掛けておったんです。
 その一例をげれば、平成6年11月24日の山梨連合れんごうきょうかいの講演ではこうっておる。
 「日蓮にちれん門下の集まりに初めて参加させていただき光栄におもっております」とのぶ日蓮にちれん門下の一員としてっているんですね。
 こうってのぶを礼賛した上でさらに「今こそのぶ日蓮宗にちれんしゅうから論争を提起していただきたい」などと煽動せんどうしております。
 また彼は平成9年9月16日にのぶの総本山であるのぶさんおんにまで出かけて、のぶ山大がっかい議室でもって行われた布教研究会の研修会で講演して、夜は下部温泉に一泊してのぶ坊主の歓待かんたいを受けております。
 さて、これら各地講演の中で断じて許されざるやまざきまさともの極限の大謗法だいほうぼうがある。
 それは、先月の総幹そうかんかいでもべましたが、重大なことなので重ねています。
 平成6年12月6日ののぶけいひん教化会議においてやまざきまさともはこうはつげんした。
 「いたほんぞん作論さくろんもその後の掘り下げがありません。これから本腰をれて取り組んでほしいとおもっております。そうがっかい解散かいさんさせるためにお互い頑張りましょう」とこうってのぶ坊主の拍手を受けております。
 いいですか、いたほんぞん作論さくろんというこの悪書はのぶの坊主で立正大学の助教授じょきょうじゅ日蓮宗にちれんしゅう宗務院嘱託しょくたくという肩書を持つ安永やすなが弁哲べんてつという男が恐れ多くも戒壇かいだんだいほんぞんに対したてまつりでたらめの限りを尽くし、捏造ねつぞう捏造ねつぞうを重ねた悪書であります。
 なにしろ彼は歴代げいを誹謗した上でこんな事までっている。
 日目にちもく上人しょうにんのあの崇高なる垂井での御遷化を「野垂れ死にした」ということっている。
 このように『いたほんぞん作論さくろん』とはまことに下劣極まりない悪書であります。
 この本が出版されたのは昭和31年6月ですが、その半年後に日淳にちじゅん上人しょうにんが「断固としてこの悪書『いたほんぞん作論さくろん』を粉砕ふんさいする」旨を主文しゅぶんとして粉々に破折されておられる。
 しかるにやまざきまさともは今この悪書『いたほんぞん作論さくろん』をわざと持ち出して、それを掘り下げて「大石寺にましますほんもん戒壇かいだんだいほんぞんを攻撃せよ」とのぶにけしかけたんです。
 これほどの大謗法だいほうぼうがありますか。やまざきまさともこそまさしくほんもん戒壇かいだんだいほんぞんかたきである。
 しかるに、にっけんおおぐさかずはこの大謗法だいほうぼうを知りながらやまざきまさとも結託けったくして反がっかい闘争を進めたんです。
 これを見れば、にっけんにもおおぐさかずにも戒壇かいだんだいほんぞんに対したてまつ信心しんじんまったくないことがよくわかる。


令和元年 8月27日 8月度 総幹部会 浅井先生指導