次いで、阿部あべ日顕にっけんが猊座に登った。
 これよりいよいよいけだいさくと二人三脚でほんもん改称かいしょうのたくらみが始まるんです。
 ほんもん改称かいしょうとは、大石寺の名称を「ほんもん」と改称かいしょうすれば、正本堂しょうほんどうはそのまま「ほんもんの本堂」となり、遺命ゆいめいの「ほんもん戒壇かいだん」といつわことができるということです。
 これこそ、正本堂しょうほんどう誑惑おうわくの完結、いけだいさくの最後の執念・陰謀だったんです。
 いけだいさくはこのことを大石寺開創七百年に当たる昭和65年、すなわち平成2年に実現しようとしておりました。
 平成2年を迎えて、私は阿部あべ日顕にっけんに対して『正本堂しょうほんどう誑惑おうわくし、ざん清算せいさんもとむ』と題する長文の一書を送付いたしました。
 この書は、阿部あべ日顕にっけんがこれまでいけだいさくそうとなって撒き散らしてきた邪義を一一にげては、その誑惑おうわくの根を断ち切った上で「にせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうを早く撤去てっきょせよ」と強くせまったものであります。
 さらに、7月には横浜アリーナで顕正会の総会をひらき、私は全員にうったえた。

 「もしいけだいさくほんもん改称かいしょうを強行するのならば、二十万顕正会員が戒壇かいだんだい本尊ほんぞん御前おんまえさんじ、大石寺の境内けいだいを埋め尽くし、しんじんの力をもってほんもん改称かいしょうを断固粉砕しようではないか」とこうべました。

 そして、不思議ふしぎことが起こった。
 あれほどちゃくして一体のごとくに見えたいけだいさく阿部あべ日顕にっけんの間に心暗しんあんが生じてきたんです。
 いけだいさくは「阿部あべ日顕にっけんが顕正会のかんぎょうによって変心するのではないか」ということうたがったんです。
 そうはさせじと、彼は経済的圧力をくわえた。
 すなわち、本山は登山する学会がっかい員の供養によって成り立っているから「登山の人数を学会がっかいがコントロールする」とったんです。
 ところが、これがかえって阿部あべ日顕にっけん憤激ふんげきさせた。
 二人の心暗しんあんと憎悪は次第に深まり、ついにしゅ悪竜あくりゅう合戦かっせんそのままの凄絶せいぜつ大抗争だいこうそうおちいった。
 いけだいさく阿部あべ日顕にっけんに対して「にせ法主」「法滅の法主」「天魔日顕」「極悪日顕」などと機関誌でののしれば、阿部あべ日顕にっけんそう学会がっかいを破門し、いけだいさくを除名処分しょぶんにした。
 そして、名誉棄損をめぐる裁判を阿部あべ日顕にっけんが起こした。
 この時阿部あべ日顕にっけんは自分は出廷しゅっていしたくなかったけれども、ついに出廷しゅっていせざるをなくなって、学会がっかいの弁護団によりなぶり者にされたんです。
 阿部あべ日顕にっけんはついにふんが極限に達し、彼はついにいけだいさくが「仏教ぶっきょう三千余年、じょう空前くうぜんぎょう」と自讃していた正本堂しょうほんどうを打ち壊してしまった。
 これほど不思議ふしぎことがありましょうか。
 私が「正本堂しょうほんどう撤去てっきょせよ」とあのかんぎょうしょせまった時、これを見たしゅうもんの全僧侶が「そんなこと絶対ぜったいにありない」とこうって嘲笑ちょうしょういたしました。
 だが、そのありことがついにじつとなったのであります。
 すべては、だい聖人しょうにんさまこころによるものであられる。
 だい聖人しょうにんさま遺命ゆいめい破壊の大悪を断じて許し給わず、ゆえに、顕正会をしてかんぎょうせしめ、諸天しょてんをして抗争を起こさしめ、にせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうを打ち砕かせ給うたのであります。
 ここに、いけだいさくほそ日達にったつ阿部あべ日顕にっけんが心を合わせて進めたにせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうのたばかりは完全に崩壊ほうかいしたのであります。


平成30年  8月1日 二百万達成記念総幹部会 浅井先生指導