だが、彼らに改悔はなかったんですね。
責められて逃げ場を失って、どうしようもなくなって訂正だけはした。
しかし「将来は裏切ろう」という魂胆があったに違いない。
正本堂の落成式が終わると、ついに彼らは顕正会に解散処分を下しめた。細井日達管長の名義でもって解散処分を下さしめたんです。
その理由は「宗門が禁ずる国立戒壇を主張し、法主の訓諭に背くゆえ」というものでありました。
彼らは「顕正会が存在する以上は正本堂のたばかりは必ず露見する」事を恐れていた。
ゆえに『顕正会を抹殺する以外にはない』という思いであったんです。
時の貫首によるこの解散処分は信徒団体にとっては死罪にも等しい。
しかし、顕正会は微動もしなかった。かえって御在世の信心が澎湃としてみなぎってまいりました。
解散処分の翌昭和50年7月5日、細井日達は法華講の幹部一同を本山に招集して一言を読み上げた。こう言ったんです。
「訓諭以外に私の真意はない。国立戒壇は本宗の教義ではない」とこう言い切った。
さらに、法華講の幹部に対して「妙信講と戦え」と煽動した。
何という恥知らず、何という無節操か。
池田大作に魂まで売り渡し、ついに御付嘱状にも背き奉った。
すでに細井日達は御遺命の敵であります。
この時以来、私は一切の敬称をつける事をやめ「細井日達」と呼び捨てをする事にいたしました。
御遺命の敵に敬称をつければ大聖人様に申し訳ない。
よって、その時以来「細井日達」と呼ぶ事にしたわけであります。
そして、これより4年後、細井日達は激甚の発作に襲われて、大事の御相承を為す事もし得ずに急死を遂げてしまった。
これこそ大罰ですね。大聖人様がお許しにならなかったんです。
平成30年 8月1日 二百万達成記念総幹部会 浅井先生指導