建国記念の日(紀元節)令和6年 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 一昨々年さきおととしの2月11日(木)の「建国記念の日(紀元節)令和3年」のブログの上段に、

「(前略)去る 昨年の2月11日(火)の『建国記念の日(紀元節)』のブログの上段に、

『(前略)去る 昨年の2月11日(月)の【建国記念の日(スパゲッティ・うなぎ蒲焼かばやき・246[父親の食事])】のブログの上段に、

【(前略)去る 昨年の2月11日(日)の〖うなぎ蒲焼かばやき・58(建国記念の日・両親の食事)〗のブログの冒頭に、

〖(前略)去る 昨年の2月12日(日)の〔建国記念の日(両親の食事)〕のブログの上段に、

〔(前略)昨日の建国記念の日は、その手作りの 小さな日章旗ではなく 新しい日章旗を購入致し、国旗掲揚こっきけいようを行いました。ちなみに、アクリル繊維が 国旗に多く使われるようになった由来は、昭和39年(1964年)の東京オリンピックまでさかのぼると伺っております。53年前に採用されたアクリル繊維は、今でも国旗に必要不可欠な素材として役立っている とのことです。なお、今回、このアクリル生地の日章旗(日本製)を注文致しました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日は この建国記念の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)〗と記させて頂きました。本日も この建国記念の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。なお、この建国記念の日にちなませて頂きますと、去る11月23日(金)の〖父親の食事、洗濯 そして 入浴・87(新嘗祭にいなめさい)〗のブログの上段に、

〖(前略)去る11月3日(土)の〔さかき(文化の日・父親の食事)・8〕のブログの上段に、

〔(前略)ハッピー・マンデー制度で 月曜に移動した祝日 すなわち 成人の日(1月第2月曜)、海の日(7月第3月曜)、敬老の日(9月第3月曜) そして 体育の日(10月第2月曜)がありますが、本日の文化の日は、含まれていませんね。ならびに、現在の法律では、〘国民の祝日に関する法律〙で規定されている通り、法律上は すべて祝日であり、祭日という言葉は使用されていません。つまり、祭日は 戦前までは皇室を中心としたお祭りの日として、以下の日 すなわち 元日、建国記念日、春分の日、昭和の日、文化の日(明治天皇の誕生日) そして 勤労感謝の日が〘祭日〙として規定されていました。それで、上記のように 〘祝日〙 と 〘祭日〙の言葉を使い分けました。ちなみに、複数のヘルパー(日本語:家政婦)には 話すことですが、特に 昭和天皇陛下 そして 明治天皇陛下のことを尊敬致しております。(後略)〕と記させて頂きました。ついながら、御承知のことであらせられますように、平成最後の 新嘗祭にいなめさいですね。なお、昨日 すなわち 11月22日(木)の〔信用金庫の営業・続報2〕のブログに記させて頂きました 信用金庫のかたから、〔つぎの 元号は なんなのでしょうね。〕と尋ねられました。(後略)〗と記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日も この建国記念の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。また、皇居遥拝ようはい橿原かしはら神宮・伊勢神宮遥拝ようはい、【橿原かしはら奠都てんとみことのり】奉読 そして 【紀元節 きげんせつ奉祝歌】斉唱などを行いました。(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、去る 6年前の2月12日(木)の『建国記念の日』のブログの上段に、

『(前略)昨日は、【建国記念の日】でしたね。

 日本の正史(おもに国家によって公式に編纂へんさんされた歴史書のこと)として 編纂へんさんされた【日本書紀】によりますと、第一代の神武天皇が橿原かしはらの宮で、天皇の御位につかれた日です。御承知のように、橿原かしはら奠都てんとのことであり、橿原かしはらは、現在の奈良県です。

 大東亜戦争の前は、紀元節 きげんせつと言われていました。紀元節 きげんせつ奉祝歌が ありますね。戦後、占領軍(G.H.Q.) の意向で 祝日から削除されましたが、その後、紀元節 きげんせつを復活させようという動きが高まりました。そこで、戦後は、【建国記念日】を制定しようとしました。しかして、昭和32年(1957年)、議員立法として 【建国記念日】制定に関する法案が提出されましたが、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となり、通りませんでした。その後、【建国記念日】の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返しますが、成立には至りませんでした。

 結局、名称に 【の】を挿入した【建国記念の日】として 【建国されたという事象そのものを記念する日】であるとも解釈出来るようにして、ようやく、昭和41年(1966年)6月25日、【建国記念の日】を定める祝日法改正案は成立しました。そして、翌年の昭和42年(1967年)2月11日から適用されました。

 

 以上は、去る10月5日(日)の【ボランティア・高尾山登山】のブログ で、

【(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々かたがた二人に委託されて、おこなって参りました。(後略)】と お伝え申し上げました ボランティアで、このボランティアのトップ(英語:top)のかたから委託されて、話した内容の一部で御座ございます。

 

 ときに、昨日、【建国記念の日】祝賀式がありました。

 1時間以上前に到着致しまして、下の写真が開会前の会場の様子で御座ございます。

 

 

建国記念の日

「建国記念の日」祝賀式

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 および、去る1月1日(金)の『謹んで新年の御祝詞を申し上げます(うし年)』のブログの上段に、

『(前略)皆々様の御健康と御多幸を心より お祈り申し上げております。門松

 皇紀2681年 令和3年 辛丑かのとうし

(後略)』と記させて頂きました。すなわち、今年は、皇紀2681年ですね。つまり、本日は 日本国の誕生日であり、2681年 った ということであります。このことを 家政婦たちにも 伝えました。そして、本日も この建国記念の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 昨年の2月11日(土)の「建国記念の日(紀元節)令和5年」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る 昨年の2月11日(金)の『建国記念の日(紀元節)令和4年』のブログの下段に、

『(前略)去る1月1日(土)の【謹んで新年の御祝詞を申し上げます(とら年)】のブログの上段に、

【(前略)皆々様の御健康と御多幸を心より お祈り申し上げております。門松 皇紀2682年 令和4年 壬寅みずのえとら

(後略)】と記させて頂きました。すなわち、今年は、皇紀2682年ですね。つまり、本日は 日本国の誕生日であり、2682年 った ということであります。このことを 家政婦たちにも 伝えました。そして、本日も この建国記念の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。しかも、本日は、大安でもあります。ちなみに、昨日 すなわち 2月10日(木)の【父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・254(柚子ゆず湯)】のブログの中段やや下などに、

【(前略)大安のことを言及致しましたが 六曜の大安にこだわっているわけでは無くて、研修医の頃、受け持ちの患者さんから 退院は大安にして欲しい と言われ続けたものでありますから で御座ございます。 入院棟主任によりますと、(毎日、退院があり、)言い分をれることは出来ない、とのことであり、患者さんとの間に はいることになりました。 患者さんの心理としては、このような些細ささいなことでも、げんかつぎたくなるようであるとのことで御座ございました。(後略)】と記させて頂きました。

 なお、家政婦に、上記のように 【建国記念の日】として ようやく 成立されたことを伝えました。すると、その家政婦によりますと、誠に有り難いことに、紀元節 きげんせつでいいのに とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。

 それから、去る1月1日(日)の『服喪中につき 年頭の御挨拶を 失禮させて頂きます。(卯年うさぎどし)』のブログの上段に、

『(前略)皆々様の御健康と御多幸を心より お祈り申し上げております。門松 皇紀2683年 令和5年 癸卯みずのと・う

(後略)』と記させて頂きました。すなわち、今年は、皇紀2683年ですね。つまり、本日は 日本国の誕生日であり、2683年 った ということであります。このことを 家政婦にも 伝えました。そして、本日も この建国記念の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。ちなみに、上記のように 『建国記念日』にして、その家政婦も同意したように 「紀元節 きげんせつ」を復活させてもらいたいものであります。(後略)」と記させて頂きました。

 しかも、去る 1月1日(月)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます(たつ年)」のブログの上段に、

「(前略)皆々様の御健康と御多幸を心より お祈り申し上げております。門松 皇紀2684年 令和6年 甲辰きのえ・たつ 歳・元旦

(後略)」と記させて頂きました。

 そのうえ、去る 5年前の3月24日(日)の「お墓参り・4(お彼岸)」のブログの中段やや下に、

「(前略)母親の祥月命日は、3月5日です。そして、亡くなってから 最初の月命日つきめいにちのみを立ち日たちびいます。すなわち、4月5日です。実は、この日は、母親の誕生日なのです。不思議な一致であると思われました。つまり、このことから、上記のように、あの世(彼岸ひがん)に誕生していることを教えてくれているような気が致しました。(後略)」と記させて頂きました。ちなみに、本日は、父親の月命日であります。すなわち、上記のように、誠に有り難いことに、あの世(彼岸ひがん)に誕生しているのでありますね。なお、今年は、上記のように 皇紀2684年であります。つまり、本日は 日本国のほうでも 誕生日であり、誕生して 2684年 った ということであります。このことを 家政婦にも 伝えました。すると、誠に有り難いことに、うなずいて 納得して 同意してくれました。ちなみに、以前から 年賀状にも、誠に有り難いことに 皇紀2684年と書いております。

 そして、本日も この建国記念の日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。なお、上記のように 「建国記念日」にして、その家政婦も同意したように 「紀元節 きげんせつ」を復活させてもらいたいものであります。

 

 

国旗掲揚こっきけいよう

 

 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)