建国記念の日 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、昨日は、「建国記念の日」でしたね。

 日本の正史(主に国家によって公式に編纂[へんさん]された歴史書のこと)として編纂(へんさん)された「日本書紀」によりますと、第一代の神武天皇が橿原の宮で、天皇の御位につかれた日です。御承知のように、橿原奠都(かしはらてんと)のことであり、橿原は、現在の奈良県です。

 大東亜戦争の前は、紀元節と言われていました。紀元節奉祝歌がありますね。戦後、占領軍(G.H.Q.) の意向で祝日から削除されましたが、その後、紀元節を復活させようという動きが高まりました。そこで、戦後は、「建国記念日」を制定しようとしました。しかして、昭和32年(1957年)、議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出されましたが、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となり、通りませんでした。その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返しますが、成立には至りませんでした。

 結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として「建国されたという事象そのものを記念する日」であるとも解釈出来るようにして、漸(ようや)く、昭和41年(1966年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立しました。そして、翌年の昭和42年(1967年)2月11日から適用されました。

 

 以上は、去る10月05日(日)の「ボランティア・高尾山登山」のブログ で、「(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々(かたがた)二人に委託されて、行(おこな)って参りました。(後略)」とぉ伝え申し上げましたボランティアで、このボランティアのトップ(top)の方(かた)から委託されて、話した内容の一部で御座います。


 ときに、昨日、「建国記念の日」祝賀式がありました。

 1時間以上前に到着致しまして、下の写真が開会前の会場の様子で御座います。



建国記念の日
「建国記念の日」祝賀式




 この会場で待っていましたら、事務局の方(かた)から、「(会場の音響を確認するために、備え付けの)ピアノを鳴らして下さい。」とのことでした。当初、「ピアノを鳴らして・・・」とのことのみでしたので、目的がわからず、ラの音でいいですか、と訊(き)きました。因(ちな)みに、御承知のように、弦楽器のチューニング(tuning)(調律・調弦)を行うときには、先(ま)ず、「A(ラの音)弦」でなされます。

 すると、何(の音)でもいいですとのことでした。

 そして、事務局の方(かた)の動作から、ピアノを鳴らす目的が漸(ようや)くわかり、ピアノの音を拾うマイクのハウリング (howling)は起こしていないですね、と伝えました。因(ちな)みに、御承知のように、ハウリング (howling)とは、スピーカーからの出力の一部がマイクに帰還されたことにより生ずる発振現象のことです。


 ところで、日本の呼称を、戦前は「ニッポン」、また、戦後は、「ニホン」と言うことが多かったと聞いたことがあります。オリンピックやワールド・カップのような国際試合で、日本を応援するときには、「ニッポン」と言われていますね。正式には、「ニッポン」と言うのか、それとも、「ニホン」と言うのか、とのことが某・勉強会で話題に挙がりましたので、調べて、伝えました。

 すなわち、

 先ず、結論からぉ伝え致しますと、国号「日本」の読み方は、公式に定められたものがありません。国レベルでは、昭和9年(1934年)に当時の文部省臨時国語調査会が呼称統一案として、「ニッポン」にすることを決議しましたが、政府で採用されず、正式な決定が無いままに現在に至っています。因(ちな)みに、このことを伝えました処、この某・勉強会のトップ(top)の方(かた)から、当時の総理大臣を訊(き)かれましたので、調べて、伝えました。政府のことがポイントで御座いますから、内閣で回答致しました。すなわち、昭和9年(1934年)7月8日迄は齋藤内閣、そして、同・7月8日からは岡田内閣でした。斎藤内閣は立憲政友会と立憲民政党から大臣を迎えた挙国一致内閣であり、岡田内閣はその後継として中間内閣(挙国一致内閣)を組織したとのこと迄調べましたが、それ以上は訊(き)かれませんでしたので、ここ迄にさせて頂きます。唯々感謝。(^-^)