赤穂義士(仮名手本忠臣蔵)(令和5年) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 一昨々年さきおととしの12月14日(土)の「赤穂義士(仮名手本忠臣蔵)」のブログの上段に、

「(前略)去る 昨年の12月14日(金)の『父親の食事、洗濯 そして 入浴・90(赤穂義士)』のブログの冒頭に、

『(前略)去る 昨年の12月13日(水)の【赤穂義士(蛍光灯・両親の食事)】のブログ そして 去る 一昨年おととしの12月14日(水)の【仮名手本忠臣蔵(両親の食事)】のブログの上段に、

【(前略)去る12月14日(月)の〖赤穂義士〗のブログの冒頭に、

〖(前略)去る( 一昨年おととしの)12月15日(月)の〔さつま いも〕のブログ の上段に、

〔(前略)昨日、すなわち、12月14日は、赤穂義士(葬られている泉岳寺では、〘赤穂義士〙と呼ばれています)の ち入りの日でしたね。以前、依頼された診療の帰りに、泉岳寺に参ったことが 御座ございました。 今尚いまなお、線香の煙が えないと聞いていましたが、そうでした。四十七士の お墓それぞれに線香を供えました。(後略)〕と記させて頂きました。本日は、赤穂義士の ち入りの日ですね。

 

 福沢諭吉の〔心訓7箇条〕は、部屋に られています。また、この福沢諭吉の〔学問のすすめ〕の有名な 冒頭の一節として、〔天は 人の上に人を造らず 人の下に人を造らず〕とあります。中学生の頃、担任から 故事成語を挙げるように言われて この有名な一節を発表したことがあります。但し、この〔学問のすすめ〕には、 楠木 正成くすのき まさしげ そして 赤穂浪士について 批判的なことも書かれてあります。なお、去る(昨年の)1月30日(金)の〔 永代神楽祭えいたいかぐらさい〕のブログ の中段やや上に、

〔(前略)日本国民にとりまして、 まもるべきものがある場合の価値観が関わって参ります。日本国民が国家を愛して国家を まもるために戦いました。その戦いという行為は、相手があり相対的なものであるから、 各々おのおのの立場の異なる人々によって、その価値、もしくは、不価値をいろいろに評価されるけれども、その戦いという相対的行為の奥にあるところの、日本国民が天皇を愛し 大日本帝国を愛したという、その純忠なる愛の価値は相対的価値を超えた絶対的なものでありますから、肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその愛の価値が滅びることは無いので 御座ございます。(後略)〕と記させて頂きました。 各々おのおのの立場の異なる人々によって、その価値、もしくは、不価値をいろいろに評価されるのであります。

 

 

赤穂義士*おかず・12月14(月)

〔心訓7箇条〕

 

 


 去る(昨年の)10月28日(水)の〔姪のこと〕のブログ に記させて頂きました姪には、話したことで 御座ございます。すなわち、江戸時代の庶民が 〔仮名手本忠臣蔵〕で描かれた赤穂義士に しびれたのは、彼らが 〔忠〕に生きたからであります。しかも、この〔忠〕は、儒教における八徳である 〔仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌〕に含まれています。 ちなみに、御承知のように、聖徳太子は、冠位十二階として 〔徳・仁・礼・信・義・智〕の六徳目を用いています。なお、誠に有り難いことに、昨日・早朝の時点で 読者御登録を頂いた 方々かたがたが、赤穂義士(四十七士)の人数と同じく 四十七名 おられます。感謝の気持ちを めさせて頂きまして、言及させて頂きました。さらに、読者御登録を頂いた かたがおられまして、誠に有り難く存じ上げます。(後略)〗と記させて頂きました。本日・早朝の時点で 読者御登録を頂いた 方々かたがたが、百二十二名 おられます。心より感謝申し上げます。(後略)】と記させて頂きました。本日は、赤穂義士の ち入りの日ですね。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日も、赤穂義士の ち入りの日ですね。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 昨年の12月14日(水)の「赤穂義士(仮名手本忠臣蔵)(令和4年)」のブログの下段に、

「(前略)去る 昨年の12月14日(土)の『赤穂義士(仮名手本忠臣蔵)』のブログの下段に、

『(前略)去る 昨年の12月14日(月)の【赤穂義士(仮名手本忠臣蔵)(令和2年)】のブログの下段に、

【(前略)本日も、赤穂義士の ち入りの日ですね。(後略)】と記させて頂きました。本日も、赤穂義士の ち入りの日ですね。なお、家政婦たちにも、この話を このブログのコピーを添えて 伝えました。(後略)』と記させて頂きました。本日も、赤穂義士の ち入りの日ですね。 ちなみに、インター ネットを見ますと、『昔は テレビでも 12月になれば 必ず 忠臣蔵の映画が放映され、それを楽しみにしていたのですが、最近はそういうのも無くなってしまい、残念に思っていました。』という意見がありました。(後略)」と記させて頂きました。そして、本日も、赤穂義士の ち入りの日ですね。 ちなみに、去る12月7日(木)の「家政婦さんの入院・続報97・後編」のブログの下段やや上に、

「(前略)今回も、12月になれば 必ず 忠臣蔵の映画が放映されていたのに、誠に遺憾であるという話をしました。

(中略)

 おまけに、上記の福沢諭吉は 無粋ぶすいでありますね。ちなみに、以下の話を致しましたら、その家政婦さんも、うなずいて 納得してくれました。すなわち、仮名手本忠臣蔵を観賞した 江戸庶民は 2度 ったのであります。つまり、ひとつ目は、御承知のように 赤穂義士たちが、主君のあだためちゅうきたことであります。そして、ふた つ目であります。ようするに、吉良上野介は、天皇陛下の勅使に対して ないがしろな接待をするのであります。それで、赤穂藩の家来たちが、勅使接待役を命じられた 主君の浅野内匠頭に 訴えます。そこで、主君の浅野内匠頭も、家来たちの訴えはもっともであると思います。ところが、吉良上野介から 赤穂の田舎大名と思われているので、殿である浅野内匠頭でも 意見出来ません。そこで、浅野内匠頭は、殿中で 刀を抜けば 公儀(幕府)も 事情を聴いてくれると思ったのであります。ところが、浅野内匠頭は、殿中で 刀を抜いたので、即刻 切腹になってしまいます。それで、家来たちは、結果として 自分たちが 主君を追い詰めたのではないかと、いたたまれない気持ちになります。なお、吉良上野介は、天皇陛下の勅使に対する態度でもわかるように 卑劣なのであります。このあだったわけでありますから、江戸庶民は 2度 ったのであります。ついながら、幕府が決めた 規律よりも、主君に対する ちゅう や 天皇陛下との君民一体のほうが、大きな歴史の流れで見れば 優先されるべきであるかと存じます。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、家政婦さんに 忠臣蔵の動画を見てもらいながら、以上のことを話しました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)