このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。
リンクを 貼 らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)
さて、去る 昨年の3月31日(水)の「日本弱体化政策・続報」のブログの上段に、
「(前略)去る 昨年の7月3日(金)の『日本弱体化政策』のブログの上段に、
『(前略)去る 昨年の5月29日(水)の【現代の教育について】のブログ そして 去る 一昨々年の9月18日(月)の【国を憂える(敬老の日・両親の食事)】のブログの上段などに、
【(前略)去る 一昨年の9月27日(日)の〖綺麗で奥ゆかしくて誠に素晴らしい日本語〗のブログ の上段に、
〖(前略)話を戻しますが、これ迄 已むを得ず使わなければならなかった場合を除きまして、極力自国語である日本語を用いるように努めて参りました。外来語を使用するときには、日本語と区別するために、何語であるのか、その言葉の綴りを添えまして注釈を入れました。日本には如何に外来語が多いか、ということを知って頂く意味も御座います。御承知のように、先の大戦後、日本の底力を恐れた連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q.)による〔日本弱体化政策〕が行われました。自国語である日本語ではなく、英語を用いさせようとすることは、米国にとりまして 誠に都合のいいことであります。現・日本国憲法は、米国による この〔日本弱体化政策〕の産物とされています。(後略)〗と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の11月16日(月)の〖七五三に思うこと〗のブログ の上段に、
〖(前略)前述致しましたように、戦後 日本人の精神性がやられましたことは、 惜しみても 尚余りあることと思われます。その原因は、前述の〔日本弱体化政策〕、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)であります。この〔日本弱体化政策〕は、巧妙に行われました。
一例を挙げますと、報道におきましては、同じ 日本のマス・コミ(英語:mass media)を利用して行われました。同胞である日本人による報道を行わせることによって、日本人に信じさせるように仕向けました。終戦を境に 報道内容が全く変わりました。報道内容は、G.H.Q.が書いた文章とされています。しかも、新聞などの報道機関を統制する 為に G.H.Q.から発せられた規則であるプレス・コード(英語:Press Code for Japan)がありました。これにより検閲が実行されました。日本人は、G.H.Q.にとりまして 不都合なことを書くことが出来ませんでした。日本人は、書くことに 制約を受けました。言論の自由どころではありませんでした。戦後70年 経った今でも、その後遺症が 残っているようであります。
また、教育におきましては、まず 教科書を書き換えたことであります。さらに、日教組を作ったのは、連合国軍最高司令官総司令部(G.H.Q. ・以下、G.H.Q.と示させて頂きます)とされています。このG.H.Q. と 日教組の 両者の方針は一致しています。(後略)〗と記させて頂きました。
および、去る 昨年の3月11日(金)の〖東日本〇〇〇・黙祷〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)大東亜戦争後、この米国による報道 そして 教育の影響を 日本人が受けたからであろうと思われます。唯物的な影響もあります。御承知のように、日本には 勿体ないという 特有の言葉があり、元来 日本人は、精神的 そして 霊的に優れた民族であり ものも大切に扱ったと存じます。去る10月28日(水)の〔姪のこと〕のブログ の上段に、
〔(前略)現在の日本では、米国による この〘日本弱体化政策〙がうまくいっているということになりますね。(後略)〕と記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。(中略)
なお、誠に 国の将来を憂えるべきことで御座います。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、本日 すなわち 7月3日(金)の【父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・171(おむつを外すタイミング)】のブログ
の下段に、
【(前略)上記の如く、〖スポーツの日〗では なくて、従来通り 〖体育の日〗が いいと思うのであります。(後略)】と記させて頂きました。
すなわち、上記の【日本弱体化政策】の一環として、3S(sports、screen そして sex)の奨励があります。
つまり、【これ迄 已むを得ず使わなければならなかった場合を除きまして、極力自国語である日本語を用いるように努めて参りました。】と前述致しました。要するに、奨励される 3Sの一である sportsを そのまま使う 【スポーツの日】では なくて、従来通り 【体育の日】が いいと思うのであります。なお、この話を 家政婦に致しましたら、誠に有り難いことに 頷いてくれました。(後略)』と記させて頂きました。中学生の頃に 同級生によりますと、上記の screen すなわち 映画を鑑賞する為に 2時間も 時間が 掛かるのでは、とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 8年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 8年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ 共に中段やや上、更に、去る 7年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩に浴して」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の人たち(夫婦)であり、去る7月24日(日)の「弔問客の来訪・続報7」のブログに記させて頂きました 夫婦にも、上記の「日本弱体化政策」、すなわち、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:W.G.I.P.)のことは 伝えました。
ところで、高校生のときに、誠に有り難いことに 親が、「奥さん」という 紛らわしい苗字の 英語の家庭教師を 短期間(確か、2~3ヶ月) 雇ってくれました。因みに、この家庭教師の田舎は 地方でしたが、長期の休み中は 距離が離れるので 英語の葉書の やり取りをするように言われました。それで、数回、葉書の往復がありました。
なお、近所ですので 掲示がありましたが、昨日 と 本日 学祭が開かれている 某・津田塾大学の学生が その家庭教師でした。序で乍ら、上記の 某・ボランティアのサークルにも、約30年前頃 この大学の国際関係学科の学生が居ました。
また、上記のように その大学が 近所にありますので、この大学の学生が、中学2年生の初夏に 当方が卒業した 中学校に 教育実習で来ました。因みに、干支で 丁度 四周して 48年前の寅年の 5月~6月頃の季節のことであります。なお、授業中に カーペンターズ(英語: Carpenters)(兄妹が中心メンバーのポップ・ミュージック・グループ)の楽曲である “Yesterday Once More” や “Sing”の歌詞を 下の画像のように 配って、カセット テープ レコーダーで それらの楽曲を流すという 型破りな授業でした。序で乍ら、この教育実習生の下宿が 国分寺にあり 場所を教えるものですから、「黒木」という同級生 男子 もう一人と共に 二名で 訪問しました。勿論、当方は 国分寺の果実店で 「季節柄 どうか」と思われましたが、りんごを買って お土産に持って行きました。すると、奇遇なことに、同級生 女子 二名も来ていました。それで、当方が お土産として 持って行きました りんご
を 皆で 食べることになりました。因みに、その教育実習生も 女子も、誠に有り難いことに 美味 しいと言ってくれました。その際に、確か その教育実習生に尋ねられて、将来 医師になりたいと話しました。すると、その教育実習生の授業中に “○○○(当方の first name すなわち 名前)is wants to be a doctor.”と 暴露されてしまいました。しかも、誠に恥ずかしいことに、その教育実習生の先導で、この文を クラスの皆で 声を合わせて 反復しました。
その教育実習生が配った “Yesterday Once More”の歌詞
その教育実習生が配った “Sing”の歌詞
しかも、去る 7年前の11月5日(木)の「法人マイ・ナンバー」のブログの上段に、両親は 約8年前(現在からですと、15年前)に 商売を廃業した と記させて頂きました。すなわち、当家が 商売をしているときに、某・高島屋に内定が決まった その大学の学生が、経理で アルバイト(英語:part
そのうえ、誠に有り難いことに、その大学の学生が、当家に 三人で来て 泊ったこともあります。
のみならず、去る10月20日(木)の「クリーニング・続報2」のブログの中段やや上に記させて頂きました、某・内科小児科クリニックを開業している 医師の 30年以上前の 交際相手が、その大学の学生でした。それで、この医師は その大学の学生と別れて、その後 慰謝料を請求された とのことでした。しかも、実家にも 連絡されたとのことでありました。
おまけに、その交際相手である その大学の学生は 以前に 東大生たちとも付き合っており、その東大生たちは 通産省(当時の名称)、外務省 や 財務省に入省する予定であったとのことでした。ところが、通産省に入省する為の試験のある 当日に、その大学の学生は 邪魔をした とのことでした。因みに、その医師は 学生のときに、その大学の学生と 六本木プリンス ホテル、新宿ワシントン ホテル そして 渋谷のラブホテルに行ったとのことでした。それで、渋谷のラブホテルに行ったときには、その大学の学生から 何で こんなところに連れて来るのかと怒られたとのことでした。なお、その大学の学生は、鮫の油を使っていたとのことでした。序で乍ら、その大学の学生は 理由もなく 鬱になるとのことでありました。
次に、話を戻しますが、上記の 家庭教師のことであります。すなわち、この家庭教師の提案で 新宿に 映画を観に行きました。因みに、後で 分かったことですが、その家庭教師は 映画俳優の ジェームズ・ディーン(英語:James Dean)が 好きなのでありました。それで、映画を観終わった後で、その家庭教師は 涙を流していました。
なお、当時は 当然のこと乍ら、ジェームズ・ディーンという映画俳優は 知りませんでした。序で乍ら、去る 9年前の10月11日(土)の「海外のこと」のブログの中段やや上に、
「(前略)学部生の頃(昭和62年の夏・菜食を始める前のことです)、エコノミー(英語:economy)(経済的)に、パキスタン航空を用いて、英国に 行った との旨のことを記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。その際、英国の首都であるロンドンのリージェント・ストリート (英語:Regent Street)を通りました。
リージェント・ストリート(昭和62年[1987年]7月25日[土]の日付が記されています)
リージェント・ストリート(昭和62年[1987年]7月25日[土]の日付が記されています)
因みに、ジェームズ・ディーンは、リージェント・スタイル(英語: Regent style)で 有名でありますね。なお、このリージェント・スタイル(英語: Regent style)の由来は、上記の リージェント・ストリート (英語:Regent Street)なのであります。
序で乍ら、去る 6年前の1月4日(月)の「義兄の来訪・お正月料理」のブログの上段に、昭和31年(1956年)公開の米国映画「ジャイアンツ(原題:Giant)」のことを記させて頂きましたが、その ジェームズ・ディーンの代表的な 三作の映画の 一つであります。そして、その代表的な 三作の映画の もう一つである 「理由なき反抗」(昭和30年[1955年]公開の米国映画)を その家庭教師が 観に行こうと言うのでありました。因みに、これも 後で 分かったことですが、その家庭教師には 家庭内暴力をする 弟が 居た とのことでありました。なお、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち)に支配されている ハリウッド映画が、親への反抗、家庭 弱体化 そして 崩壊の目的で 世に垂れ流した その映画「理由なき反抗」のことを 林千勝氏も言及していました。すなわち、上記の 3Sの一である “screen ” つまり 映画の 奨励であります。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)