ウラジオストクという街
前述
のとおり、私のウラジオストクという街への記憶は、小学校時代に宿題で聞いた「ウラジオでは風が強く・・・」というラジオの辛気臭い単調な天気予報番組のフレーズで始まっている。小学生にとって、食後にみんなで楽しくテレビを観ている最中に、「はい、きてぃちゃんは宿題の時間でーす。」と母親に促され、別室でひとり聞いたこの放送の印象は、ただただ、「無味乾燥」の一言に尽き、それがそのままウラジオストクの印象となり、○十年が経過した。
今回、お客様をお迎えするということで、一応ネットで調べてみた。すると・・・。
人口約60万人、私が住んでいる都市よりもずっと大きい。ああ、なんて失礼な感想を持っていたんだろう。
元々、19世紀にロシアのものとなり、悲願の不凍港として出発したこの都市、現在は軍事産業のほかにも造船業や漁業関連産業が盛んだとのこと。海にも山にも恵まれ、自然も美しく、また、立地条件からか、東洋と欧州の文化が入り混じった独特の雰囲気のある街らしい。
新潟から飛行機でわずかに1時間10分だそうだ。観光には9月と5月がお勧めとか・・・。さっそく強い興味を抱いた私たち夫婦だった。
簡単な概要は、Widipekiaの記述をどうぞ→ ★
充実した写真サイトを見つけました。ご興味のある方はどうぞ。→ ★
特にお勧めなのは、В и д ы г о р о д а (街の概観)
П а н о р а м ы г о р о д а (パノラマ写真)
とН о ч н о й г о р о д (
夜景)
に分かれています。
調子に乗る
ムルカの性格の中で、調子に乗りやすいところは、夫に似ていると思う。
先週、夫の部屋の天袋を制覇、先日、私の部屋の天袋を制覇したムルカ、昨日は、私の部屋のもうひとつのクローゼットに挑戦したいと言い出した。(注:こういうときは、クローゼットの前に座り、顎を扉を開ける方向に大きく振って「にゃーん」と鳴く。何回も、何回も、そうしてやるまでそれを続ける。)
もうひとつのクローゼットは階段の上に設置されたものだから、人間の腰丈から天井までが物入れになっていて、それが収納器具で3段に分けられている。収納器具はクローゼットにほぼぴったりの大きさで1段目(クローゼットに直に物を置いている段)のみ、5センチくらい前に出ている格好だ。また、無謀な挑戦を・・・。
1段目から2段目へは、その5センチを利用して華麗に移動した。(これも無理だと思っていたのでカメラの用意をしていなかったのが残念!)2段目から3段目は、さすがにまったく奥行きに差がないので、飛び移ることはできなかった。けれども、馬鹿飼い主としては、練習すればできるのではないか、と思ったりもする。折を見て教えてみよう。
2段目に座って、3段目に上がる方法を考えているムルカ
ここに上がれたんだから、もう1段上にも上がれるハズ・・・
ん、下もごちゃごちゃしていて面白そう・・・
そういえば、さっきはここは足場だったから、ノーチェックだったにゃ
奥の方までよく見とかなくっちゃ
うちに来たほんの子猫の頃から、さすがサーカス猫の子どもだけあって、ムルカはアクロバット芸が大好きだ。極端に人見知りで臆病な性格さえ克服できれば、ひとりサーカスも夢ではないのに・・・。
ウラジオストクからのお客様
夫の仕事の関係で、我が家にウラジオストクからのお客様をお迎えすることになった。昨日はその顔合わせ。
日本人でロシアにまったく縁のない人が、ロシアに対して持っている印象ってこんなものだろうなぁっという印象そのままを、私はウラジオストクに対して持っている。・・・住めるの?寒いでしょ?文明の利器はあるのかしら・・?みたいな。
ウラジオストク。。。子どもの頃、理科の宿題でしばらくチェックしていたラジオの天気番組で、なぜか日本ではないのに、北海道の次に気圧や風速が発表されていた。それが記憶の中にある、最初のウラジオストクという地名に関することだ。
次に記憶に残ったのは、モスクワで、知り合いの日本人女性にうかがったお話。ご主人が極東地方に転勤の可能性があるということで、当時、幼稚園児だったお子さんの手を引いて、一度、出張中のご主人を訪ねてみたという。(それがウラジオストクだったかどうかは思い出していない。) 私の倍以上もの期間モスクワに住んでいた彼女だが、感想は、「小さな子ども連れてじゃ、ちょっと生活していけないかな」だった。
あと。ネットで読んだ極東地方での駐在生活だとか・・・。
どれもこれも、「大変そう」という印象だけを残していた。
モスクワ在住時、「モスクワはロシアではない」という言葉をしばしば耳にした。モスクワはロシアの首都、政治、経済の中心。世界各国から訪れるビジネスマンたちが、自分たちが住みやすいように日々、改良(?) を加えている。だから、その気になれば、ロシア語は一言も使わなくっても、英語と指差しで生活していけるだけの環境が整っている。サバイバル能力ゼロでも十分生き延びて行ける。
だが、極東地方となると、気候も生活環境もより厳しい。
ということで、そんなところで生まれ育った方なのだから、と、昔ながらの小太りで赤ら顔、そして厳しい顔つきのたくましいおばちゃんをついつい想像していた。曲がりなりにも3年間もロシアに住んでいたわりには、我ながらすごい偏見だ。
ところが、ご本人にお会いしてびっくり。小柄で素朴、人当たりのいいかわいらしい女性だった。日本のこれまでの印象を楽しそうに語る姿に好感を抱く。大学教員という職業柄、勉強熱心で、日本訪問にあたって、ひらがなとカタカナを覚えてきたそうだ。(彼女は中国語ができるので漢字の意味はだいたいわかるとのこと。)
残念ながら我が家はあまり日本っぽくない。結婚してから住んだどの部屋にも、和室はなかった。この家にもない。日本家屋に畳を期待してのホームステイでは、少々がっかりさせてしまうかもしれないが、これも今の日本の現状だ。以前登録した国際交流団体の方にも言われた。「無理して伝統的な日本を演出する必要はないんです。和室がなくて、洋食が多くって、それも今の日本人の生活の一例です。」
そうそう、勝手口の前にゴミ箱が4つも並んでいることは、「日本らしさ」としてぜひとも紹介しなくてはならないと思っている。モスクワでの家庭教師にこの話をしたとき、「ゴミ問題だけでも、私はゼッタイに日本には住めないわね」と強い拒絶反応を食らったのを思い出す。
快挙
ちょっとした快挙だった。
クローゼットやベランダ、トイレにお風呂まで、この家をほぼ征服しつつあるムルカだが、引越し当初から目をつけていて、未だ征服していない場所があった。私の部屋のクローゼットの天袋(上段)だ。ここに行くには、1メートル以上離れたこの机から直接ジャンプするか、あるいは、隣接する書棚の上から、書棚とクローゼットをさえぎるように開く扉を飛び越えて行くしかない。絶対に無理だと思っていた、私も、ムルカも。だから、引越し当初、何回か挑戦したきりで、その後は、「足場」となる書棚の上にすら上ろうとはしなくなった。
ところが、つい1週間ほど前のこと、残り少ない「未征服地」のひとつだった夫の部屋のクローゼットの天袋をついに征服し、妙に自信がついたらしい。(と言っても、私が肩を丸め、踏み台になってのことだが・・・。) 思い出したように、久々に書棚の上に上がり、開いたままになっていた扉に手をかけて、にゃんにゃん鳴き始めた。
久しぶりに挑戦するにゃっ
って言っても、この扉が邪魔にゃんにゃ~
超えられるかにゃ?
うーん、無理っぽい( ̄_ ̄ i)
いやっ、「為せば成る」って日本人は言うらしいにゃ・・・
書棚から扉を飛び越えて天袋に入るのは、角度的に不可能。だから、今回も徒労に終わるのだと思ってみていた。「猫って馬鹿ね~。角度と隙間の大きさと自分のサイズを考えたら無理に決まってんじゃん・・・。」と、日頃のしたたかさに比べ、この猫らしい愚かさを、たまらなくかわいいと考えながら・・・。
でも・・・。
私よりもムルカの方が賢かった。あ、この件に関しては。
次にムルカがとった行動。それは扉を飛び越えることではなく、扉の上に一度飛び乗り、そこから天袋に入ることだった。ちょうど昨日のブログを更新していた私の目の前で起こったできごと、私はあわててカメラを手にした。思わず、「マラジエツッ!(すごいよっ!)」と声に出して叫び、拍手喝采してしまった。
いったんここで休憩するにゃっ
よぉし、着地場所、OK!
うふっv(^-^)v ってちょっとドキドキしてるけど・・・。
まあね。
降りるのは自力じゃ無理だった。というか、私が写真をバシバシ撮るものだから、甘え心が芽生えたようだ。20~30分天袋探検を楽しむと、「写真なんか撮ってるんだったら、降りるの手伝ってよ」と言わんばかりに手を伸ばしてきた。仕方ないから椅子を持ってきて下ろしてやりましたよっ。
そろそろ降りたいにゃぁ
次回は脱出の方も自力で成し遂げて欲しいものだ。
「ミステリー・モスクワ - ガーリャの日記1992」
- ガリーナ ドゥトゥキナ, Galina Dutkina, 吉岡 ゆき
- ミステリー・モスクワ―ガーリャの日記1992
モスクワ在住、出版社勤務の編集者にして日本文学の翻訳者である著者の1992年の日記。日本向けに企画されたこの本のための書き下ろしである。
日記の書かれた1992年は、クーデターが起こり、ソ連が崩壊した1991年の翌年だ。著者の個人的日記という形をとりながら、物価の高騰や治安の悪化、マフィアや闇屋の台頭に、物価に追いつかない賃金等々、今まで読んだり聞いたりしてきた話が、最も生々しく、最も具体的に記述されている。政治的なできごとについても、時系列で日常のできごとと並べて書かれているので、とてもわかりやすい。もしこの日記を、夫の内辞が出た前後に読んでいたら、それでも私たちはモスクワ行きを辞退しなかったのだろうか。そこまで考えるくらいに、ソ連崩壊直後の混乱する世の中が克明に描かれている。
と言っても、私が暮らした2002年から2005年にその片鱗が残っていなかったかと言えば、まだまだ色濃く残っていた。今も残っていると思う。
たとえば、外資系企業や団体、および周辺で働く「妙に優秀な」ロシア人たち。十分な教育を受け、教養があり品のある人で、「なんでこんなところにいるの?」とびっくりさせられた人は多かった。たとえば、ベビーシッター、たとえば運転手、そして警備員、等々。「副業」としてそれらの仕事に携わる人も少なくなかった。本業のお給料の何倍ものお給料を支給されるからだ。その人たちがそうせざるを得なかった賃金事情や胸のうちが記されている。ニコニコ笑ってはいたものの、彼らが過ごしていた時間は、同じ空間で同じ空気を吸っている外国人とはまったく別のものだった。この本を読んでからモスクワに行っていたら、彼らとあんなに気安く接することができただろうか。
何だか、「知らぬが仏」ってこういうことかもなぁ~っと思った。
もちろん、この本だけを読んで、「今のモスクワ」がわかるわけではない。すでに1992年からは14年もの月日が流れ、当時、日本でいう小学生くらいの年齢だった子どもたちも、すでに成人し、社会の担い手になっているし、この間、急速なスピードで、世界中から様々なモノや文化が流れ込んだ。
けれでも、数々の矛盾を「当たり前」のこととして抱える現在のモスクワを理解するのには、とても助けになる本だと思った。
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