量子場調整師のむかえですお遍路


最近読んだ、
村上春樹の『職業としての小説家』の中に


物語を語るには、
自分の意識の下部に下っていく必要があること、
その心の深い闇と混沌に向かうには
(フィジカルも含めた)自分に取って「必要なだけ」の強さが要るということ、

「僕は一日に五時間ばかり、 机に向かってかなり強い心を抱き続けることができます」


ということを書いている一節があるんですけどね。




(おこがましいですが)言ってることは
すげえよくわかります。



自分で書いててこのシリーズ正直非常にしんどいもの^^;
承知の上でトライしてるんですけど、間が空いてしまいましたな。



思ってたより、まだ言語化できるかどうかのぎりぎりの話だったんだなためいき
と思った今日この頃。




さて、もうひとふんばり(-。-;)



~これまでのハナシ~
その1
その2
その3
その4





ジャンプ ジャンプ ジャンプ  ジャンプ   ジャンプ   崖

(その4続き)



・・・・一言で言えば、
世界って思ってたより優しかったんだな、

 

と知ったとともに、


そんな自分に向けられる好意や優しさの中で、

勝手に緊張して、
勝手に一人でやろうとして、
勝手に信じなくて、
勝手に頼らなくて、
勝手に言い出せなくて、
勝手に苦しくなっていて、

その結果上手く回らなくて、迷惑かけて、


なにやってんだろうなあ。と。


つくづくと自分のダメさ加減というか、どうしようもなさが
身に染みて思い知ったのでした。




・・・・ええ、まあ、本当はわかってはいたんです。


それは私の隠しておきたかった残念な自分像であり、
直視しないようにしていた情けなさとみじめさで。


そう・・・だってね、それなりに頑張って生きてきたわけで。
強い自分で。できる自分で。
乗り越えてきたことも、勝ち取ったことも、証明してきたことも沢山あったのだから。


その自分」をもう、捨てなきゃいけない。




そして同時に前部署時代からわかっていたのが、

「これ」は多分、
私が個人的に抱えている課題なんだろうということ。


振り返ればもうずっと前から”似たようなこと”は繰り返し起きていたし、
根性強情でクリアーし続けてきたのが、
逃げられないところまで来ただけなんだと。


だから、どこに行っても結局同じことで、
場所の問題じゃないし、周りの人間の問題でもない。


例え会社を辞めたところで、
きっと同じことに違う形で、あるいはそれ以上の形でぶつかるだろうことも、
そのままじゃいつか行き詰まるだろうことも、わかっていました。



だからこそ、向かうなら今

今ここの、これだけ恵まれているこの場所で解決しなくて、
どこでやるというのか。



・・・そのことに、自分の中でやっと諦めをつけたのでした。




花



週末、休日の午後、


私はテーブルの上にMnemosyneの無地のノートを広げて、イスに座りました。

そしてペンを持ち、ノートを目の前に、呼吸を整えます。




・・・・心屋仁之助さんの手法は本当にすごくって、

おかげさまでやり方は、
自分が何をすればいいのかははっきりわかっています。


自分の痛いところ、情けない弱いところ、認めたくないところを自らえぐり出し、
言葉にして許可を与える。


「~してもいい」「~でもいい」(「~しなくても(でなくても)いい」)
ただそれだけ。


あとは真正面から向かう覚悟だけです。

ノートに書くことにしたのは、
ただ口にするよりも心理的なハードルが高いのを感じてたからです。





・・・・ふう。


今振り返ると笑っちゃうっていうか、
痛々しくて恥ずかしいんですがね。


ていうか、今まさに恥ずかしさで死にそうなんですがね


自分の羞恥と醜態の粋であり、勇気の軌跡でもあるその時のノートを探したのですが、どっかいってました。

こんな日のために敢えて残したつもりだったはずなのですが、
耐え切れなくて捨てちゃったんだったか・・・・?
このチキンがちきん



はー。


・・・・・筆を進めます。






今これを書いてるこの瞬間ですらそうなのですが、
最初の一言に踏み出すことのなんとしんどいことか。


ノートの前でどれくらい停止していたでしょうか。


本当はわかっていて逃げていた、
だからこそ苦しくて見ないように誤魔化してきた自分の姿を正面へ。


ドクン、ドクンと鼓動が上がります。
そして息を飲んで書きだしました。





「――”仕事ができなくてもいい”




そう。


――そう、私は”できない”ということを認めたくなくて、
そうではないと言い聞かせたくて、今のどうにもなってない自分を受け入れていなかった。



書いて、そのあと声に出して復唱します。



ふぅううううう・・・・・



既にこの時点で泣いてた気がします。



書いて、読んで、そしてまだです。


まだ。まだある。

もっと恥ずかしいことが、隠しておきたいことが、意識の底に。
それを今出し尽くす。己の恐れの奥まで。劣等感の底まで。

頭にふっとよぎりながら、自覚から逃がそうとした言葉を捕まえては、
次々に露わにし、角度をつけて更に掘り下げます。


・・・さあ、ただ”できない”ことよりもっとあるだろう。

ああ、そうだ。




「―――仕事ができないことが、ばれてもいい


「仕事ができないと思われていてもいい




まだ。



「―――私を知るあらゆる先輩、後輩、同期、他社の関係者にそう思われてもいい」


「使えないと思われてもいい、信用できない相手だと思われてもいい」


「(既に今)そう思われていることを認めてもいい、そう言われていてもいい」




まだ。



「――そうである自分自身を、受け入れてもいい」




まだ。



「―――同情されてもいい」



まだ



「――――信用ではなく同情で仕事してもいい」




まだ!



「――私はショボくてもいい」


「ショボい人間でもいい」




まだ!



「―――それをわかったまま生きていってもいい」





はー。

はー。

はー。




「なれたはずの自分を諦めてもいい」



「特別でなくてもいい」



「・・・特別な人間でなくてもいい」



「可能性を失ったことを抱えたまま生きてもいい」





・・・・・。



・・・・・・。




・・・・・・。





その時の全部を覚えているわけでもないですし、
(残ってないから)


この時に出たものが全てではなかったですが、


少なくとも、この時の自分に出し切れる全てを出し切って
私はこの、己の自意識との戦いを終えました。


時間にして、約2時間半。


・・・・終わった時、
粗い呼吸で机に突っ伏したまま、しばらく動けませんでした。

ただ、やり切った、何かが一つ終わったということを感じながら、
痛みの余韻と、砕けたものの残骸が漂う胸の感覚を味わっていた気がします。


この時書きつけたのは、
せいぜい20言もないくらいのものだったんですけども。

そのたった20言弱を自分の中から絞り出してくるのに、2時間半。

時計を見た時には驚きましたが、
心の葛藤
というもののエネルギーをまざまざ見た気がして、
驚きつつも、なるほどなあと納得したのを覚えています。





・・・・これが、

私の人生で飛んだ、最もつらくて恐ろしい挑戦(バンジー)でした。



そして、
これができたのなら、なんだってできる。



今もそう思ってますし、

怖いことは今だって別にありますが、
向き合う覚悟のできない恐れはないんじゃないかなあ、とは思っています。
(まあわかりませんけどね-ω-
※あと物理的な痛みとかは別ね




花



さてその翌週。(後日談)
(別記事にしてもいいけど書き切る)


・・・・バンジーは飛んで終わりではなく、
自分を変えていくためにやったんでね。


表面上はいつもと同じように、会社に行って自分の机に座りました。


そして、いつも通り業務を処理しながら、
おあつらえむきに、何か(忘れましたがに困りました。


自分1人で抱えていても、進まないでしょう。
さっさと聞いた方がいいのはわかっています。
ここで詰まるから、いつも仕事が遅くなるのです。



ふー。


見栄をはらない。
人を信じる。
できない自分を隠そうとせずに、助けてもらう。


ちょっとどきどきしながら、目の前に座る同期に聞きます。



「あのさ、ごめん、」


今更で恥ずかしいんだけど、
 これ、よくわかってないから教えてもらえる?




「なー、この話のこと、
 、知らないんだけど、聞いてもいいかな




・・・・この一言が、
バンジーを越えた自分にとっての、実質上の新しい一歩でした。



”知らない、わかってない、困っている”
だから助けて欲しい。

今なら普通に言えて、そしてそれまでは苦痛だった、
他人を信じて頼ってみるその一言。



言いながら、

ああ、そうかこういう風に聞けばいいんだなあとか、
今まで私って、”知らない”とか”わかってない”とかほんと言いたくなかったんだなあ(--;)とかつくづく再確認したり。



ちなみにそれを言った時、
その同期からふっとゆるんだ気配を感じた気もして、
(だったとしても自覚はなかったでしょうが)


ああ、そんな風に聞いてくれるなら。


もしかしたら、言語化されないところで、
そう思ったのかもしれないなあ、と思ったり。



・・そいつは別にいつだって丁寧に色々教えてくれてたんですけどね。

ずっと”助けようとしてくれてた”のに、
本当にただ私が、それを受け取ろうとしてなかったんだなあと、

その時も、わかりやすいように、私が受け取りやすいように
言葉を選んで教えてくれるのを聞きながら、
心の中で改めて実感と感謝をしたのでした。




もちろん、それまでだって頼ってなかったわけじゃなかったけど、
遠慮もあったし、何より弱みを見せ切れなかったから
その頼り方が(彼に対してだけじゃなく)いつも中途半端だった。

恐縮しながら最低限だけ頼ろうとして感謝も薄く、結局自分のことしか考えてない。


・・・と今ならわかりますけどね。




花


その後も、
こなれるにはそりゃまー時間がかかりましたし、
自意識の壁はまだ他に色々あったことにも気づきましたが、


それでも一番大きな虚像が消えたことで、相当楽にはなったのは確かでした。
出来ても出来なくても、
ちゃんと全てが”自分自身”から積み上がってるというか。

それが結局、自分の力を発揮することにつながるし、
努力が変にねじ曲がって消耗されず、ちゃんと噛み合っていきます。



そして、
今の自分なら、会社を辞めてもやっていけるだろうし、
この会社でもちゃんとやっていけるだろう、


と思い始めた頃、



・・・・・突如”それ”が落ちてきて、そして今に至るのですが、
それはまた別の話で。




―――以上、

想定外に長くなった私のバンジー話を終わります。
※たぶんそのうち題名変えます



(了)



はー、しんどかった・・・・。




花 花 花 花 花 花


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