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M.Tねっとわーく ==ワークショップ開催予定・日程==

*** 子どもの不登校・摂食障害を一緒に考えましょう。***
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ゆりくま過去日記 


前回は本人の自己肯定感について、書いてもらいました。

今回は、親はどうように関わっていけば、子どもが自己肯定感を
持てるかを考えていきたいと思います。

自己肯定感・・・
 「私には出来ない事や不得意なことあるけど私は私でいいんだよね」

これがいわゆる自己肯定感。

自己受容・・・
 「私には出来ない事や不得意なことあるよなぁ~」

これがいわゆる受け入れる、自己受容。

この微妙な差、わかってもらえるとうれしいなぁ~。


自己肯定感と自己受容は違います。


さて、今回は自己肯定感。
 
自己肯定感を身に付けるには、
 「存在認知と自己重要感」が必須なのです。

 存在認知、、、「あなたがそこにいること分かっていますよ」
          「あなたがそこに存在している事知っていますよ」 
って誰かに言われたい、思ってもらいたい。

 自己重要感、、、「あなたはとっても大切な存在です」
           「あなたがいることがとっても重要なことなんです」 
って誰かに言われたい、思ってもらいたい。


この二つがしっかり子どもに伝わっていないと、自己肯定感は

育たない。


子どもが摂食障害になったり、不登校になったり、鬱になって、

親が一生懸命「あなたは今のままでいいよ~」って伝えても

なかなか子どもの心に届かない・・・・・。


それって、存在認知と自己重要感をしっかり満たしてあげて

ない状態なのだと思います。

 
このふたつをどのようにして子どもに伝えていくか・・・。

ここからは、私がやってきたことで、今も心掛けていることです。
 
 「おはよう」
 「おやすみ」
 「今日ど~だった?」
 「体調はど~なの?」
 「よくねむれた?」      

誰でも毎日何気なくやっている「声かけ」です。
 

一日何回か短い言葉で、声をかけて、

「あなたがいること私はわかっているよ」の心を伝える。
 

ひとり暮らしの時は、毎朝の声かけがなかなか出来ないので、

だいたい同じ時間にメールをしました。

本当は電話をしたかったのですが、次女の場合は慢性的な

睡眠障害があったので、私の電話でやっと眠れた状態の子を

起こしたくなかったので、メールをすることにしました。

「声かけ」で、存在認知を満たしてもらう。
 
次に自己重要感。
 
これは、もうそのままの言葉を伝えることしました。
 
「あなたは私にとってとっても大切な娘だから、

 そのこと忘れないでね。」
 
「世界中の人があなたを批判しても、

    私はあなたの味方だからね、
どんな状態であっても大好きだよ」
 
「あなたがいてくれるだけで、それだけでいいよ」

最初は聞き入れてくれなかったけれど、そのうち子どもも

私もこんな風な言葉に慣れてきちゃって
 

最近では
 私 「今日もチョーかわいいね~!」
 娘 「しってる~」
のようなのりで会話しています。

存在認知と自己重要感、このふたつが満たされて初めて、
自己肯定感(自尊感情)が生まれてきます。
 
私が実践してきた事が、みなさんに適応するとは限りませんが、
何かのヒントになればうれしいです。

それぞれのご家庭で、それぞれの工夫で、

この存在認知と自己重要感を満たしてみてください。
 

毎日毎日の積み重ねで、自然と自己肯定感が芽生えてきます。

はあと過去日記 より


  スペシャル ゲストの登場です。

 

  夏休み企画「すみすみの自己肯定感」にお付き合いくださいな。

 

  

  こんにちは、ご紹介頂きましたすみすみです。 
 

  もともとスーパーマイナス思考、自己肯定感ゼロ、

  自己否定常習犯だった私に少し語らせて下さい。

 

  もともとの性質+成長過程の環境により大きく変わってくる

  自己肯定感ですが、そういった意味で私は
  拒食症になった高校2年の時に0歳に子供がえりし、

  母親に『育て』直されました。

  

  『今日学校行きたくない』
  『すみすみが、行きたくないなら行かなくていい』

 

  『鏡を見たら、昨日より太った気がする・・・(イライラ)』
  『そんな事ない!そんな可愛いのに!!周りはメロメロだよw』
  『・・・・・。』

 

  『数学3点だった。総合も学年で下から2番だった・・・(絶望)』
  『グーヴィー賞じゃん!ビリより難しいんだよ!
   いいんだよ、テストなんて。その体で卒業出来るんだもん、

   やっぱりすみすみはスゴイよ!』
  『・・・・(照)。』

 

  『好きな男の子に彼女が出来たっぽい・・・(ΩдΩ;)』
  『なにー!すみすみの魅力をほっとくなんて未熟な奴だ!』
  『・・・・・(耳に届かず放心状態)』

 

  常にどん底状態だった私にとって、もちろんその言葉を素直に

  受け止められない日もありましたが、
  何よりも救われたのは、その言葉を投げかける母が常に明るく

  声にブレのない強さがあった事。
  

  おどけた事を言っていても『大丈夫!どんな事があっても私は

  あなたが大好きなんだ』と思わせてくれました。
  

  それこそ私がずっと欲しかった『無償の愛』でした。

  


  最初からそれを伝えながら育ててくれれば、こんなことにならなかったのに!
  と思いますが、実際愛って自分が思っている以上に相手に伝わらない。

 


  「大事だなんて、言わなくても分かっているでしょ?親子なんだから」
  「見捨てられる訳ないでしょ、娘なんだから」

 

  親子だから?
  娘だから?

  だから、私を愛してくれるの?
  


  いいえ。


  それじゃ嫌なんです。

  
  『すみすみだから』


  だから私を好きでいて欲しい。


  
  人から見たら本当に我が儘で幼稚な考えだけど、当時の私には必要な事でした。


  

  母に求めると同時に、自分にもルールを設けました。
  

  自分の価値感に囚われず良い事も悪い事も、取り合えずやってみよう!ルールです。
  

  (低体重だったので、一度家に閉じこもったら肉体的にも精神的にも

  外に出られないと思ったからです)

  

  ①ボランティア活動をする
  

  ②クラブに行く(夜遊びをする)
  

  ③大好きな友達とだけはお金を気にせず食事に出掛ける
 

  ④門限を破ってみる(当時の門限は22:00)
 

  ⑤好きな本を見つける(夜回り先生の『いいんだよ』の言葉に救われました)
 

  ⑥自分に嘘をつかない、書きたい事を書きたい時に書く日記帳を作る


 

  ラッキーな事に私の周りには、心優しいトモダチがいっぱいいました。
  真夏にセーターを着た病的な私と、嫌な顔せず渋谷を歩いてくれる子達でした。
  
  
  そんな彼女達の優しさと、家族の愛と協力、+自分自身が変わらなくては

  世の中は変わってくれないという小さな危機感が
  私の自己肯定感を作る小さな芽になったのだと思います。

    

プーさん子どもが幼かった頃、突然転んだしまった時。


「痛いよう!」


「大丈夫、大丈夫、痛くない、痛くない、

 痛いの痛いの飛んでけ~、ほら痛くなくなったでしょう。」


なんて会話していた。


子どもは「痛い」って思ってる。


子どもの身体は「痛い」って感じてる。


でも、いつも正しくて、頼りにしているママやパパは、

「痛くない」って言ってる。


ママやパパの言ってる事が正しいに決まってる。

ママやパパが間違った事言うはずがない。


変なのは、自分かもしれない・・・。


本当は「痛くない」のに、自分が変だから「痛い」って

思っちゃうのかもしれない・・・。


間違ってるのは、自分だ。


自分を信じちゃいけない。

自分を信じちゃいけないんだ。


子ども達みんながこんな風な思考回路持ってるわけじゃ

ないけれど、こんな風に物事とらえる癖がついてしまって

成長する子もいるんじゃないかと思う。


これじゃ~自己肯定感は身に付かない。


わぉ~じゃ~どうする?


私は、一度子どもの気持ちを受け入れるようにしています。


もちろん上手くいくときと、上手くいかないときがあるけれど・・。


「痛いよ~。」


「痛いね~、転んじゃってビックリしちゃったね~。」


一度子どもの気持ちを受け入れてから


「ママは大丈夫だと思うよ、でも心配なら薬塗ろうか?」って

子どもが安心する言葉をかけていく。


そんな風に子どもに接してくればよかったなぁ~って思う。


でも、今からでも遅くない、気がついた時点で始めれば、

子どもとの関係は変わっていくって私は信じてるの。


子どもは私を見放さないでいてくれるってね。


子ども達が

「食べない」拒食状態の時も

「学校行かない」不登校の時も


「今は食べれないね」

「今は学校いけないね」

って、そのことがいいとか悪いとか考えないで、

今はそういう状態なんだって、親も子も

今の状態を受け入れてみる事って大切かなって思う。


実際にはとっても難しいことだし、現実にはそんな余裕もない

と思うけれど。


摂食障害の本人にやってはいけないこと殆どやってきてしまった

私が言えることじゃないけれど・・・。


不登校の子に言ってはいけないこと殆ど言ってきた私が言える

ことじゃないけれど・・・。


今の状態を受け入れてから、自己肯定感のタネを植えていきましょう。


大きく育つように。


いつにも増して支離滅裂な文章で失礼しました。





コリラックマ人には誰にでも「聞き癖」があります。


昔から「話し上手は聞き上手」って言われてるように、

話しが上手だなぁ~っていう人は聞き方も上手なのです。


我が家には究極の話しペタがいます。


話しが上手くないってことは、聞き方も上手くない・・・。


聞き方が上手くないってことは、「聞き癖」が強いってこと。


昨日その「聞き癖」が出た場面があったのでちょこっとご紹介を・・・。


彼の母親が秋田のグループホームに現在入居中。


介護5。


そこで彼は母親を千葉の特別養護老人ホームに移したほうがいいかと

思い、近くのホームを訪ねます。



「最初に申し込みをしていただいて、審査して、審査が通ると面接、面接で

オーケーが出て、さらにお部屋が空いたら入所となります。ただ、お部屋空く

のにどのくらいの期間かかるかわかりません。それまでは待機状態です。」

との説明。


「お母さん面接に連れて来れますか?」って施設の人。


「もちろん、連れてきます。」って彼。


(これこれ、ほぼ寝たきりの人をただの面接だけに秋田から連れてこれないよ)


「連れてくるって、それ無理だと思うよ、面接するだけだよ。」って私。


「エッ、面接したら即ホームに入れるんですよね。」って彼。


「入れませんよ、さっきお話ししたように・・・・・・・・」ってまた説明してくれた。



人って、こうしたい、こうであってほしいって思いで人の話しを聞くと、

自分のこころのフィルター越しに話しを聞いてしまうので、話し手の

話しと食い違ってしまう。


娘がどんどん痩せていって、なにも食べてくれない・・・。


今日はなにか食べてよ、なんでもいいから食べて、なんで食べないのって

毎日毎日思いながら、娘に接していた。


学校いってよ、みんな普通に学校行けてるんだから、あなたもいってよって

毎日毎日思いながら、娘に接していた。


これじゃぁ、まともに子どもたちの話しに耳を傾ける状態じゃぁない。


自分の思いが強ければ強いほど、相手の話しと食い違う部分が

多くなっていってしまう。


子どもが5分前に言ったことと今言ってる事が全然ちがっていて、

振り回されて疲れてしまう。


子どもが次々違う事を言ってると思う前に、私たち自身が持つ

「聞き癖」に気がついてみませんか?


ひょっとしたら子どもの話しを自分のフィルターを通して聞いている

のかもしれないと思って、子どもの話しを聞いてみると、また違った

面がみえてくるかもしれませんね。


あー7月に「不登校のお子さん持ってるご家族対象の傾聴講座」

が、地元の市の後援の元実施することが出来る事になりました。


それで、いろんな学校に広報活動してるんだけど、そこでちょっと

疑問点が・・・。


「我が校には不登校の子はいませんが・・。」的発言。


不登校の子がいない事が自慢ですか?先生。


って言いたくなっちゃう私って変なのかな・・・。


でもねぇ、その台詞言う先生があまりにも自慢げで・・・。


我が家の場合は、不登校だけの単独で出てきたわけじゃないから、

学校に適応していなくても、地元のなんらかのグループに属していれば

それは、それでいいんじゃないかって思っていた。


例えば、サッカーチームとか、野球チームとか、剣道とか・・。


ボランティアでもいいし、社会との繋がりがあればそれでいいんじゃない

かって思っていた。


学校行けなくても、バイト先で上手く人間関係成り立っていればいいって。


でも、それって考えが甘いのかな・・・。


学校行けないとダメなのかな?


学校行けないって悪いこと?


まぁ、学校の先生相手に話ししてるから、学校行くの当たり前なのかも・・。


ひとり、ひとり、学校っていう枠を外すと良い方なのかもしれないけど、

学校って物を基準に考えると「学校は来て当たり前」の世界になるのかな。


モンスターペアレントって言葉があるけれど、学校自体がモンスターに

なってるかも・・・?


それに対抗するのにモンスターペアレントなるものが生まれちゃったのかな。



学校ってなんなんだろう・・・?


って疑問に思っていた私に、今日電話で話ししてくださった先生が、


「今は我が校には不登校の子はいませんが、明日はどうなるのか

わかりません、いつ不登校の子が出てもおかしくないのです。」


と言ってくださった校長先生がいて、だれが悪いとかじゃなくて、

誰にでも起こることなんだって、わかってくれる先生もいるんだなぁ~

ってホッとした、今日でした。