里親といっても国の里親制度の中で

4種の分類が定義されていて、

それぞれ公的支援の種類や程度が違う。


児童養護の世界の世界では

(児童養護施設や乳児院、児相、里親など)

今更すぎて当たり前すぎる話なんだけど、



トランスジェンダーが里親になるために


将来トランスジェンダーの方にも

もっと力になってほしいと思うし、

そんなの関係なくすべての人に

お力添え、理解がほしいと考えてるので、

私なんかじゃなんの影響力もないけれど

どうしても伝えたくて書いてみる。


セクシャルマイノリティという属性の方の中には

なぜだか身勝手な人が多い。

弱者ビジネスとも揶揄されるくらいの活動の中で

ワガママになりすぎてる。


セクシャルマイノリティの人たちも弱者だと思う。

子どもたちがほしいという思いを主張するのもいい。

けれど、子育てを誰かの代わりに請け負うには

多大な覚悟と責任を背負わなければならない。


子どもたちもまぎれもない弱者だ。

間違いなく大人が保護しなければ生きていけない。


セクシャルマイノリティは確かに不便を強いられる。

しかし、自分で道を切り開いたり夢を追ったり

自由に生きることができる知識と経験を有している。


だからこそ、里親となる者が社会的に弱者であるべきではない。

弱者として泣き言をいっていては子どもを守れない。

家族を巻き込んでいては子育ての環境ではない。


その点で謙虚で居られる方に向けている。

自分の権利のために戦う前に

子どもたちを守る、それが親心だと思う。

それがわからない方なら里親には向かない。


だから自分で立つことができる方こそ里親を目指してほしい。


弱者である子どもを盾に戦っても、

お涙を頂戴できるだろうと思う。


一方で子どもたちを巻き込むことを理解していながら、

戦うために子どもを利用したと嫌悪する人もいるだろう。


結果としての権利獲得であっても

少なくない人々の心のなかに不信感が募ることは

本当に勝利なのか、私はそう考える。


女性として、男性として

“らしい生活”のためのアイコンとして

子どもたちを利用しようとしていないか。


女性として生きる、その為に子どもがほしいではない。

母は子どもが生まれたからなるものではない。


私の経験からも感じたけど

里親の元に子どもが来たから

母親になれるわけではない。


日々子どもたちと向かい合って、

子どもたちのために自分を捧げ

子どもたちから沢山のことを学ばせてもらって、

初めて母親になれる。


何度も言うけど

自分自身が強く立てる方でないと

子どもたちの成長は阻害されるし、

子どもたちの未来を犠牲にする。


精神不安定な方が申請をしても、

子どもたちには不利益。


里親になりたい気持ちを

認められなかったとして仕方ない。


しかし、それは差別ではない。


子どもたちは私達の道具ではない。

子どもたちに沢山のものを捧げ、

それでも生きられる強さが必要なんです。

その点をトランスジェンダー当事者には

ご理解いただきたい。


その上で是非子どもたちのため

名乗りを上げてくれる方が増えたら嬉しいです。

子どもたちは本当に沢山の幸せや喜びを

毎日運んできてくれます。

子どもたちに感謝する日々です。


簡単に里親制度とは


前置きが長くなったけど、本題。

本当に専門的なところは

書いてる方が沢山いるから割愛します。


里子ちゃんは行政的には“要保護児童”と言われる。

基本的には生みの親(実親)から

世話を受けられない子どもたち。


かつては親が病死、事故死、戦後は戦死や貧困が原因で

孤児院に預けられてた。

中には、子どもが生まれなかったお家に

養子にもらわれていったり、

親戚のお家で育てられるといった形で

要保護児童のセーフティネットとなっていた。


戦後からそのあたりの制度が改正、整備され

孤児院は児童養護施設などと名称を改められた。

そして、施設以外で育てられる子とその養育者にも

行政が枠組みをはめて、子どもたちの人権保護と、

養育者への支援を充実させてきたという経緯がある。

さらには孤児や貧困が主なきっかけだった時代から、

虐待や貧困の時代に変わってきた。


そして、施設以外で養育を行う保護者に里親の4種類の区別がうまれた。

1、親族里親  :血縁親族が引き取るタイプ

2、養子縁組里親:子を養子として戸籍上の家族とするタイプ

3、養育里親  :戸籍上は他人のままで、子育てを代行するタイプ

4、専門里親  :病気や障害があるなど養育に専門技能を要する子を育てるタイプ


2は法的に実子となるので行政の支援はほとんどないけど、

3と4は補助金を様々な形で受け取れる。

私は現在3の養育里親をしているけど、

正直補助金があまりすぎるくらい受け取っている。

多すぎて迷惑なんだよね…恐縮。

こんなに幸せをもらってるのにお金までもらって…


お金のために里親してるとかいう批判がたまにあるけど、

確かにそう言われても仕方ないくらいに貰えてる。


そんなつもりもないし、

こんなに血税を申し訳ないし。


でも、せっかく貰えるのなら大切に貯金して

子どもたちが巣立つときに

しっかり支えられるように

ためておいてあげようとしてる。

それが社会から付託された私達の責任なんだろう。


そういう思いで国民のみなさんに対し感謝しながら

今はありがたく受け取っている。


だから、せめてプライベートなお金くらい

誰かの役に立ったのなら…

そういう思いで少しでも困っている人のために

私も支援すべきと考えた活動には募金に協力したり、

クラウドファンディングに協力したりもしている。


みんなが面倒くさがるPTA活動にも

積極的に参加させてもらったりしてる。


恩返しと言うにははばかられるほど小さなことだけど、

それでも可能な限りやっている。


そこまで思わせるほどこの補助金は大金。

こんなの受け取れない普通のママたちはほんとすごい。

子育てってお金かかる。

ほんと心苦しい。本気で減らしてほしい。


でも、国の方針は、

里親を里親の善意で運用するのは難しい。

金銭面での負担を減らして、

むしろ労働対価として報酬を支払う。


そのくらいの扱いにして数を増やしたい。

家庭的な環境下で健やかに育ってほしい。

確かにその思いも間違いではないし、

里親が増えてほしいとは思うが、

私には大金すぎる。心苦しさが勝る。


あくまでも私の感想です。


とにかく、可能性に満ちた幼いいのちとその一生を

里親は守らなければならない。

社会から大きな期待をよせられ、

悲しくも子どもと離れなければならない

実親さんの思いもある。



子どもにとって健やかな環境を


だからこそ、トランスジェンダー当事者には

私をはじめ里親の前例がいくつかあるようだけど、

里親を目指すのは自由だし、

お母さんになりたいって気持ちもわかる。

里親がもっと沢山求められているというのも

紛れもない事実ではある。


しかし、自分勝手な理由で

子どもたちと向かい合うことはしないでほしい。

あくまでも、子どもたちのための制度だし、

子どもたちのために身を捧げるものでありたい。



子育て現場で何かあるとはまた差別だと

クレーマーになっていたらモンスターペアレント。

子どもたちを人権活動の道具に使ったら

巻き込まれた子どもたちも地域も困る。


子どもたちを何より守りたい。

それがママ友見てても思う普通の親の感覚。

人権を盾に暴れても正直ドン引き。


これらのことを踏まえてチャレンジできる方は是非。

子どもたちの未来のために、頑張ってくれる仲間が増えてほしい。

そして、こどもたちから沢山の幸せを分けてもらえる喜びを

共感できる仲間が増えたら…そう願っている。


里親の種類と、私の考える心構え。 


子どもたち食べ盛りで

ご飯作るのも一苦労なんだけど

お弁当とか多くなると大変過ぎるから

外食たまにはいきたいなぁとか、

他のママたちのマネして

冷食とかコンビニ弁当詰替とか

していいかって昔聞いたことあるの。


友達皆の大好きなファミレスとか

お寿司屋さんとか焼肉屋さんとか

以前なら喜んでついてきたのに。

スーパーの唐揚げとかカップ麺とか

食べたがってたのに。

最近は、全く食べたくないらしい。


何でかきいてみたんだけど、

どれも不味いから嫌だ

だってさ。


この子達がいた養護施設では冷食とかレトルトが多くて

お弁当は冷食解凍しただけのもの。

たまに連れてってもらえる支援者のレストランくらいが手作り。

それだけが美味しいと思ってたけど、

何を食べてもママの作る料理が一番美味しいから

外食もお惣菜もレトルトもカップ麺も食べたくないって。


それ以来、誕生日もクリスマスもお正月おせちも

みんなママの手作り。

でも、子どもたちが美味しかったって喜んでくれると

それが何よりうれしいんだよね。

おかわり無くてもまだ食べたそうだったら

ママの分をいつもあげるんだけど、

それを美味しそうに平らげてくれると

空腹にも勝る幸せに満たされる。


子どもたちの力ってすごい。

この子達がいるからあたしって生きてるんだなって思う。

本当に子育てをさせてもらえて幸せです。

ありがとうございます。

こんなうちを選んでくれた子どもたち

ありがとう、大好きだよ。


https://ameblo.jp/mtfaf/entry-12716239172.html 

の続き。



本当にそれって差別ですか?


MTFに限るわけではないけど、

差別を受けていると思う属性の人にありがちな間違い。


それって本当に差別?


ここ結構重要。


差別って何なんだろう。

やりたいことができなかったら差別?

自分の認識と違う評価を受けたら差別?

みんなやってるのにこんな自分だからやらせてもらえなかったら差別?


全部差別かどうかなんてそれだけじゃわかんない。

でも、当事者はすぐにそれを差別と言いたがる。

これ、大きな間違い。


障害のある人が何かしようとしてて、でもその行為をする能力が無くて、

通りすがりのあなたが急いでいるところにその障害者が

「手伝ってください」と言われて、

何とかしてあげたいなと思ったとしても、

手伝う方法も知らない、道具もない、時間もない。

こんな時に手伝えないことが差別なのか。

心では寄り添っても、いろんな事情で手伝うことができないことって

生きてたらたくさんあるはず。

それなのに、弱者はそれを相手のせいにして、私は被害者だと声高に叫ぶ。


病院での扱いが戸籍名のままだ。

戸籍名変更の手続きで市役所での対応が素っ気なかった。

通用名を使った保険証に変えてもらえなかった。

名前を変えても裏書きだけで、表は同じままだった。


当事者なら色んな経験あると思うけど

ほとんどがはっきりいって差別ではない。

私に言わせたら迷惑クレーマー。


いや、当事者を批判したいわけではない。

私も同じ道を進んで苦しんだからこそ気持ちは痛いくらいにわかる。

でも、それとこれとは話が違うことを明確に言いたい。



マイノリティの不都合は、普通の日常


社会人になればわかるはず。

仕事をするときに、相手が可愛そうだから何とかするという

心温かい対応をすることは本当に正解なのだろうか。

必ず手続き論がコンプラで定められているはずだ。

さらにはコンプラで規定されていなくても、

通常業務の場合例外なんて想定せずにいつもどおり処理する。

それをこなすことのどこが差別なのか。


業務の効率化は顧客満足度を上げるために必要。

だからマイノリティは例外になる。

これまで想定されてなかった社内ルールであろうと、

それに従わなければ罰せられる窓口担当に怒鳴り散らしてどうする。

しかし、それを慮れと言って効率の悪化やコンプラ違反を要求することは

権利であるのかもしれないが、傍から見たらクレーマーだ。


権利権利と主張して、相手の迷惑を顧みないでいては

正論かもしれないが、相手から冷たい眼差しを受けることになる。

その負の感情こそが差別の原因になる。


私は日本初のことを何度かやってきた。

今では何故か某政党の成果に入れられているが、

彼らと協力したことは一度もないけど。


ただただ、社会に生きると心を通わせて、

私に同情しても何もできない彼らに感謝して生きてきた。

恨むことなど何もない。

だって彼らにはその権限がないのを知っているから。

むしろこんな無茶なお願いに耳を傾けて下さっただけで

ありがたくて、嬉しくて、頭を下げるしかなかった。

誰一人として侮蔑的な言葉をかけてきた人はいない。

どうにもできないんですと申し訳無さそうに言ってくれた。

だから、彼らを差別だと罵ることに私は全く理解できない。



自然と先駆者になっていた


では、どうやって私は日本初を何度もやってきたのか。

悪いのは私達を想定してないルールであり、非効率であること。

例えば、公務員は法令、政令、省令、通達、マニュアルのような

厳密な取り扱い規則に則って対応を行っている。

市民一人ひとりに寄り添っては対応しきれないし、

そもそも寄り添ったりするつもりもない。

それはマイノリティに対しても他の市民に対しても同じであること。

俗に言うお役所仕事と揶揄される仕事ぶりなだけである。

そのお役所仕事の制度を利用する民間業務も同じだ。

それらを窓口で騒いでもご迷惑なだけ。

ここで気づいてほしい。

そんな法令以下の様々な規則のどこかに不備があるということ。

そこを変えないことには前に一歩も進まないということ。

そのルールに従う窓口も、ルールを作る上層も差別をするつもりで

お仕事をしているわけではない、そのことをどうか理解してほしい。


私はどう乗り越えてきたのか。

そういう窓口対応をされたときに感謝しながらも、

何故そういうルールになっているのかを訊いた。

例えば学校のルールについて困ったときに窓口で訊くと

「そういうルールになってるけど、詳しくは私はわかんないの…

教育委員会からそういうやり方しろって決められてるから」

つまり、教育委員会がルールについて知っている。

そこで、教育委員会に事情を話し対応をお願いした。すると

教「ルールできまってて…」

私「詳しく教えてください。」

教「文科省からこれこれいう通達があって、

 全国一律でこういう運用をしなきゃいけないんです。

 文科省のあれこれ課が決めてます」

つまり、文科省が出どころだって突き止められた。

そして、文科省に直電話。

私「こういう理由があって、つらい思いをしています。

 難しい事情もあるかと思いますが、ご検討いただければ…」

省「それは確かに問題ですね!すぐに検討して通達を

  新たに出し直したいと思います。」

ものの3日で文科省が通達を出して、すぐに学校から連絡きて

事なきを得ることになった。

それが今ではベースになって法制化された。


差別でもなんでもない。

実はみんな寄り添う心はもともとあった。

今の時代ならもっと増えているはず。

それなのに、やりたいことが叶わないからと暴れる。

マイノリティはクレーマーになったら終わり。

少ない私達の権利は求めるべきだが、

その小さな効果のためにどれだけの犠牲が生まれているのか。

実務をこなすだけの職員に怒鳴り散らすことで何ができるのか。

もう一度考えてほしい。


だからこそ、性別移行を考えている当事者に私は常に伝えていることがある。



謙虚であれ

謙虚であれ。


みんな私達を虐めたくてそうしてるわけではない。

心を傷めたり、申し訳なく思っている人もいるのに、

その方々の気持ちに寄り添わないで、私達に寄り添えなんて

タダのワガママ。

そんな私達が愛されるわけもない。認められるわけもない。

暴れようものなら嫌われに行っているようなもの。

そのワガママが差別の種になる。


だから謙虚であれ。


結果、私はみんなに愛され、守られ、今では幸せに生活できている。

やりたいことをみなさんに助けられながら実現していったら

知らない間に日本初を何個も達成している。

今では普通に主婦してママにまでなっている、

人権活動家なんかとは無縁な私なのに。

私はこんな生活を送れている理由がそこにあると考えている。




続く…


パス度よりも女の矜持を


これは書きたい。


パス度は確かに必要

でも重要度って正直あまり高くはない


私の骨格は完全男

身長高いし、骨太

可愛くもなければキレイでもない


手術のあと激太りお腹も太ももも冗談抜きのデブ

肌もそんなにキレイじゃないし、

メイクも敏感肌過ぎてノーメイク

はっきり言って干物www


でも年取ったらもうおばさんかおじさんかわからない人もいる。

でも、一つだけ大切な要素があると私は思う。

みんな「私は女だ」って自覚はあると思う。

けど、長らく女社会で生きてきて、

二丁目界隈には縁がない私が当事者を見ていて、

真に女社会に生きられない理由に気付いた。


それは女としての矜持


女社会で下ネタは笑えない。

女は大股開きで座らない。

セーフティエリアでおかしなことをしない。


中には女性でもはっちゃける人もいる。

二丁目のオカマの爆弾トークを楽しむ人もいる。

けど、ほとんどの女性はテレビで見るオカマだから楽しむ

リアルで横にいた時にオカマとしてなら目新しい


でも、いざ女性としてそこにいた時に、

オカマ的振る舞いは異物でしかない。


信頼できる立場の男性以外の男性は、

オカマはあくまでも男性としての扱い。

女性にしたら恐怖の対象でしかない。


心が女性だと名乗ろうが、

その振る舞いが男そのものであったり、

女性らしいものでなければ

女性だとは認めない。


論外な行動がさらに最近女性からの嫌悪感

著しく増幅させている。


女子が女子トイレで記念写真など撮らない。

女子が陰部を撮影などしない。


そんな自称女子を世の女性が

心から受け入れるわけがない


そんなことをしたい時点で、

ジェンダーとしての女性を目指していない。


ただ「らしくいたいだけ」


私たち当事者の生きる権利は当然守られたいと私も願う。

しかし、その一方で男性への恐怖心をもつ女性の安心を

根こそぎ奪う権利はあるはずがない。


本当に女性だというのなら、

その矜持を見せるべき


女性は幼い頃から我が身を守る術を教わり、

油断しては怒られ、正され、実際に不安に怯えながら、

中にはそれでも美しくあろうと飾り、魅力を磨く人がいる。


女であることを強いられ努力している


MTFがその努力なしに、

むしろ脅かす男性側と同じように振る舞い

女社会に踏み込めば必ず軋轢を生む


自分らしさを優先し、

女性らしい内面を育まなければ

真に女性として生きることは難しい


もうすぐ二十年女社会ばかりで生きてきた私の実感。

学校のママ友達、里ママ、習い事、PTA、仕事と

女性に囲まれて楽しく過ごしている私の個人の意見。


仲良しママ友と過ごす茶話会が何よりの癒やし。

子どもと亭主の愚痴が大好物。

ご飯を作って家族や子どもの友達に喜んでもらうのが幸せ。


地域の子どもたちに

「ーーのお母さんこんにちは!」

っていわれて

「ーーくん、このまえの凄かったね!」

って話すと照れ隠ししながら

はにかむ感じが可愛いなとか、

そういう普通の日常も実は手に入る


大切なのは、女性としての矜持


それがなければ延々オカマ扱い。

それだとなりたいはずの女性から

いつまでも認めてもらえない

そこだけはわかってほしい。


そして、私より明らかに

綺麗で細くて肩幅も華奢で若い

そんな当事者を数年前町中で見かけたときの話。


子どもとその友達を連れて歩いてたときだったけど、

子どもたちはなんて言ったか…

「うわぁ、オカマいた!オカマオカマ!」

いや、私、彼女より酷いけど…

でも子どもたちは私になんて気にも止めず、騒ぎ立てる。


ママ友との会話でも


「昨日のーー見た?

あのニューハーフさん

本当にキレイだよね!

あたしら全員完敗www

マジ女辞めるわ」


なんてね。

所詮そんなもの。



続き 


最近、子どもがスポーツで某選抜チームに選ばれたんだけど、

保険絡みのことで里子であることを

チームの代表さんに説明せざるを得ない状況になって…


学校の先生もされてる方だからある程度信頼して、

ご挨拶も兼ねて事情を説明したときに驚愕した。


長らく一緒に暮らしていても、

今でも当たり前のことを

知らないまま大きくなっているところがあります。

素直で真っ直ぐな子なので

いろんなこと教えていただけたら…



大丈夫ですよ、このチームは


そういう根性の曲がった奴ら

叩き直すため


あえて呼んでいますから。」

と話すら聞こうともしないで

被せてこんな暴言…


え?

そういう

根性曲がった

奴ら?


そんな事一言も言ってない。

体育会系だといえばそこまで。

そろそろ社会の厳しさは学んでいく歳ではあろうけど、

根性曲がった奴らとしてひと括りにする理由

どこだったのだろう。


里子だからだろうか。

そうとしか思えないけど、

仮にそうなら里子ってプロフィールは

世間的にはハンデなのか。


反発したかったけど、

ここを出てしまっても他に

子どもの夢をつなげる道はない。


自分の境遇に自信を持ってもらいたいと願いながらも

足かせになってしまっている現実。


いや、今のこの子ならそんな代表のイメージを壊すくらい

努力してくれる、そう信じて応援するしかない。


だからこそ間違いは間違いでパパが指摘し

あたしは守って認めていくつもり。

いざという時は体を張って守る。その覚悟で臨む。


初めてここまで偏屈な指導者や先生という立場の方に出会った。


でも、あんなゴリラマッチョに睨まれたらあたし無理…

もう怖くて怖くて挨拶の時からビクビク。

こういう時にあたし任せにして、

後で文句言うパパにはホント残念。