主人のワクチン3回目の副反応が思いの外酷くて、

結局寝ずに介抱してます。


医者しらずのタフネスそのものだけど、

弱ることがなかったせいで

ちょっとの熱でも身体症状が酷いよう


そもそも平熱が低めの人だから

そんな主人が38〜9℃出したら

もう一大事になっちゃう。



あたしなんかは風邪は年中行事だから

副反応が結構激しく出てても気怠いくらいで

我慢できるんだけどね。



医者知らずってのもこんな弊害あるんだね。




眠い…

クラブチームの大会前の大事な時期に…


上の子が学校で悪ふざけして

大事な肢体の関節を捻挫しました。


全治一ヶ月。



終わりました。




ばか。




うちに委託される前、

まだ施設にいた頃の交流中に

スポーツ少年団の一番のハイシーズンだというのに

骨折したり、大怪我したり、

結局何もできずに終わってさ、

その時も沢山伝えたのに…




まぁ、子どもなんてこんなもん。




何を伝えても聞いてないさ




でも、今回ばかりは本気で家族全員凹んだ…




夢のための大切な試合だったし


受験にも当然大きな武器になったのに


練習もこんないい環境なかったし

こういう環境で練習できることを

本人も望んでたし、喜んでたのに



なんでこんなバカをするかね…



何で口酸っぱく伝えてきたかわかったかい?




本人も泣きながら現実に打ちひしがれてるよう

「ごめんなさい…」




お父さんはワクチン3回目の直後で

副反応がキツイというのにこんな話聞かされて

怒涛の説教を続けたあと死んだように閉じ籠もる




お母さんは

もうこうなっちゃったから諦めるしかないよ

しっかり反省するところは反省して繰り返さないこと

そして今できることをしっかり考えて行動しなよ

仲間たちのためにできることはないか

次のチャンスを掴むための準備はないか

他に今代わりにやるべきことはないか

沢山泣いて、落ち着いたら前向きなさい




話も落ち着いたあと、お父さんがおもむろに

「ちょっと出かけてくる…」

と辛そうなのに出ようとする。


危ないからやめるよう伝え、どこに行くのか訊いたら


「患部が早く治るように

 用意してあげられるものを

 買いに行くんだよ。

 こんなで終わったら可哀想すぎる…」


突き放してるようで、可愛くて可愛くて仕方ないよう。

気分屋で腹立つところは腹立つんだけどさ

こういうところ、嫌いじゃないんだよね。


買ってくるものだけ代わりに夜中に買いに行って

寝る前に施してあげた。


「副反応でこんなヒーヒー言ってる状態のお父さんが

 それでもあなたのために用意したいって

 むりやり買い物に出ようとしてくれたんだよ。」


「うん…ショボーン



こういう家族の思いってものを

交流中は見てなかったろうし

今度はちゃんと感じてくれるだろう。


高い勉強代になったけど、

また一つ大人の階段を昇ってくれた

そう思って納得してます。




はぁ…

書類の準備と発送に、学校・児相・市役所への電話に、

上の子の病院に、パパの副反応に、

お説教に、パパの慰めに、夜中の買い物に、

夜中に書類の作成とコンビニでFAXと、

バタバタな一日でした。


お風呂明日にしよう。

もう寝る…






https://www.asahi.com/articles/ASQ2R01WHQ24PTIL01P.html 




多様性を認めようということも押しつけ

多様性から離れてしまうと反論されてしまう

でも、ぼくらは「社会」を生きる

多様性を認めることは、なんでも好き勝手にしたり、

言いたい放題言ったりすることではない

お互いの「好き」「大事」を尊重していくこと




りゅうちぇるくんも同じようなことを言ってると思う



最近当事者やその界隈から、

マイノリティの権利を主張するのではなく

どのように共生していくのかといった意見が

ちらほら見られるようになった気がする。


活動家のやり方とは違う大切なものがあるとか

アンチの声に心痛めたりする人が増えたのかな?


私もそうだったように…


勝手な推論なんだけどね




でも、やたら最近は共生をテーマにした意見が多い

このあたりもっとムーブメントが大きくなってほしい


人権感覚のアップデートを社会は行ってほしい



児童の社会的養護もそうだろう

障害者福祉もそうだろう


社会的弱者を弱者たらしめる福祉ではない


社会的弱者となってしまった人が

等しく幸福を追求できる社会であること


非弱者も等しく幸せを追求できること




田中れいかさんのご本と同じ


 

 

児童養護施設で青春を過ごした彼女の言葉も

「かわいそうはもう古い!」


弱者を弱者たらしめているのは

弱者という役割を無意識に押し付ける社会と

弱者という役割が心地良い本人の思い



弱者を慈しんであげてるという自己満足エゴから脱却

弱者という被害者意識のシンデレラ物語から脱却




共生、共存、平等こそ

制度によって矯正・強制されるものではない


社会のすべての人の心のなかで叶えられるべきもの



なんて、個人の思想です。

当事者として私はそう感じてます。




下の子を先日、思春期外来に連れてった。


4回目の受診。




まだいま時点では心理テストWISC-IVを受けてないけど、

スクリーニングや過去の検査結果などから?かな


「ADHDとアスペルガーの傾向がありますね」


まだ確定診断ではないのかな?

でも、先生からはっきりとその言葉を賜ると

流石に複雑な気持ちになっちゃった…



いろんな本を読んでもADHDかアスペルガーの

どちらかだろうなぁってのは

容易に理解することができるレベル。

過去の心理テストもズバリな結果だし

心理士さんからも診断出してもいいレベルといわれてた。


でも、まだ様子見だっていうから耐えてたけど、

もう本人がきつそうだった…



それで踏み切った本格的な医療の助け



けど、病名は聴いてなかった。


そして先生からADHDとアスペルガーの

併発だろうという現実、


覚悟はしてたけど、いざ言われると何か悲しかった。

さらにその両方だってのは切なかった。



まぁ、里子ちゃんて結構高い割合で

何らかの発達障害を抱えている子が多いとはいうけど、

わかりきっていたことなのにさ

やっぱり切なくて…



いや、診断の前と後で何か変わるのかといえば

なんにも変わってないんだけどね。

結局今まで通りなんだけどね。



白目向いて必死な変顔しながら

よくわからない動きをしながら

意味のない声を発して

リズムに乗って繰り返す姿でも

やっぱり可愛い我が子。




アスペルガーでもADHDでも普通に生きてる人も

沢山いること知ってる。

幸せに生きてる人も知ってる。


社会にでたら悲しいとき、悔しいときあるだろうし、

そういう思いにぶち当たってくんだろうな。



でも、もういよいよはっきりと現実がみえたんだ。

下の子の個性に合わせて一番いい未来に向かって

本人が歩んでいけるような支えをしてあげるしかない。



少しでも自分に誇り持って、

でもその個性と上手く付き合って

あわよくばその能力を活かして輝いてくれたら。

そうじゃなくても幸せに生きてくれたらいいな。


悲しいだけのADHDやアスペルガーにはしたくない。

明るいADHDや楽しいアスペルガーにしてあげたい。



そのためにも温かくのびのび

でもしっかり成長していける

そういうお家にしてあげたい。




最近、この子の不思議なダンスを見てるときに

困った顔をしないように、ニコニコ見てあげてる。


お母さんのニコニコが嬉しいのか

いつにもましてキレよく大きな声で

満面の全力変顔でダンスを加速する下の子


踊り疲れて満足した頃に「おいでウインク」と招くと

嬉しそうにお母さんのお膝に座って

変顔のまま歯グキをむき出しに全身を硬直させ

頭をカクカクうなずかせながら

頭撫でられて嬉しそうにしてる。



学校ではバカにされるからやらないという。


そういうのも自分を抑えるのに必死で

ストレスがすごいんだろう。

本人がよくわかっているよう。



我慢させててゴメンね。

お家くらい好きにしてたいよね。




だからお家の中では気持ちよく全力で踊ってもらう。

できる限り特性による衝動は公私や時間場所など

TPOを分けて(←の理解が難しいんだけど)

緩急をつけてもらお。



やりたいことに夢中になってヨダレダラダラ流してても

お家の中では

「ヨダレでちゃってるよーウインクきちゃないぞぉ!ニヤリ

「えへへ!照れちゃんと拭くもん」

で済ませていきます。



とにかくニコニコニコニコ。

悪いことへの怒り表現は大切なときのために

極力取っておきたいと思います。



あらためて再確認した覚悟。




です。





はい。







のシリーズ続編。
また、思いつき投稿。




高学歴な私の血筋


うちの家系、頭良すぎる。


昔、叔母さんの家に単身泊まりに行ったとき

朝食の話題が特殊相対性理論でした。


そんな親戚たくさんいます。



従兄弟姉妹は男女関係なくみんな

京大医学部、京大法学部、阪大法学部、

筑波大、北海道大、神戸大、上智大

兵庫県立大、京都女子大、龍谷大


親や伯叔父母は

京大に何人か、金沢大、立命館大、同志社大、亜細亜大、



叔母1人と母が地方の短大がいるくらい。



別にみんな塾とか英才教育とか

エリート的な教育をなにも受けてないんだけどね。



だからたちが悪い。

自力で頑張らないといけないし、

昔からそういう人たちばかり見てきたから

そういう未来しか思い描けなかった。



今親戚見渡しても

某化学系企業で研究者してるとか

某物理学系大手企業の副社長とか

弁護士とか医者とか起業家とか




恐ろしい一族です。



でも私は平凡ですニヤリ

普通にビンボーです(←そこいる?)



昔から研究者とかエリートとか興味なかった。

学問は嫌いじゃなかったけど、遊びだった。

そんなものより、地域の子どもたちの面倒見たり

他愛のない話で和ませてあげてたり

そっちのほうが好きだった。




でも、こんなモンスターに囲まれて生きてきたら

それでも知識や思考回路などぶっ飛んでます。




高学歴以外周りにいなくてさ

GMARCHレベルで出来損ない扱い。

関関同立、公立大レベルが最低ライン。

学術論文が朝食の話題とかじゃ世間から外れすぎ。



いざ地域コミュニティに入ってみて、

ギャップに気付かされるわけですよ。



もう男だ女だ以前に

この我が家の「あたりまえ」は

世間の非常識になっちゃう。



そういう話が通じるコミュニティなら

遠慮なくそういう話をするけど、

世間の殆どはその対極。





自我の抑制と解放



埋没するということは同化すること。

埋没したい人は徹底的に自分を隠すこと。

自分らしく生きるということの逆をいくこと。



遅くトランスした人が苦労するのはそこだろう。

長年の自我抑制から、解放へ転換することが目的。

しかし自我の解放は埋没の逆を行く行為。



自我の解放に目的がなければ、

積年の抑制された不満が無かったとしたら、


自我にそこまでとらわれずに自然と埋没できる。



多分新世代の当事者は新しい時代を作る。

私達世代のように「自我」にとらわれないから

自然体で世間とつながる。

だからその存在が自然になる。

LGBT教育が進み理解は広がる。



他方、私達円熟のトランス戦士はきっとお荷物になる。

かつて私達がトランスの先輩たちに

「あなた達がトランスのイメージを損ねている

 古臭い昔話を言われても困る」

と感じていたように。



私達世代の社会は昔の価値観のまま

私達自身も自我にとらわれつづけ苦しむ。




結局、古い人は埋没できないか、

なんとか自我を殺して埋没するかなんだろう。


郷に入らば郷に従え







郷に入らば郷に従え



私は学歴、知識、思考回路が

世の女性のそれとは大きく離れてる。

それを押し殺してる。

思いっきり演じてる。


それをすることでその苦しさよりも大きな利益、

自分のやりたいことを実現できる環境と

豊かな人間関係が手に入っている。


こんな演じることは本当はしたくない。

けど、そういう世間の自然な価値観を育むことが

困難な環境だったんだから仕方ない。



もう女子高生には戻れない。

一緒にキャピキャピ言ってなんていられない。



私は正直言うとかなり意識して演じている。

けど、何だかんだ言って結果は快適なんだよね。

多分性の根はこんなだったんだと思う。

歪んで育ってるだけ。



アンチの人に言わせると

「だからトランス女性なんて結局男なんだ」とされる。


いや、そうは思わない。

きっと次の世代は自然体で自分の性を認められる。


そんな彼女たちは、トランス女とか所詮男だとか

そういう視点自体を世間から取り除いてくれるだろう。



羨ましい思いもなくはないけど、

私もそういう社会になってほしいと思って

ほそぼそと啓蒙してきてた。


彼女たちの輝きを心から喜び応援してる。

そして感謝してる。





かつてのトランス戦士



さぁ、これまで頑張ってきたオバサン連中

道を切り開こうと戦ってきたトランス戦士よ


あなたは新時代をどう生きる?


私の思う正解は自分の幸せを求め

自己実現に一歩でも近付くことだと思う。


私は完全埋没の演技生活。

頭の良さは明らかな邪魔だから隠し通す。

自分の中の世間にはなじまない

「プライド」を、「個性」を

どうすればいいのか。


大切に抱きしめていることもいいだろう。

でも、あたしは捨てました。

今それが全くなんの役にも立たないもん。

知識を披露することによって

失うものは多くても手に入るものはない。



自分らしさという「同一性」に過剰に囚われていては

自己実現は叶わないというパラドックス。


「自分らしく生きる」ということは、

「自分勝手に生きる」ということにもなりかねない。


一緒に暮らすコミュニティの構成員みんなの

心地よい空間を損ねてしまったら

コミュニティからは弾かれる。


歌いたいから歌わせろ

踊りたいから踊らせろ

表現の自由だろ!


って理屈と一緒。

歌いたいなら歌える場所で歌ってろ。

踊れる場所で踊ってろ。

それが当然の反応。



やっぱり謙虚さなのよ




LGBTへの反発は

「個性の尊重」の名のもとで

「当事者の自分勝手を認めないやつ」は悪だという

ポリティカル・コレクトネスの同調圧力に

一部の人が辟易しはじめたから。


それも、特に私達オバサン世代に増えてきた。

その点をしっかり認識したい。


その点でも私は自分らしく生きること以上に

共存することを何よりの価値として生活しています。

それが将来我が身を守るために必ず役に立つから。