高学歴な私の血筋
うちの家系、頭良すぎる。
昔、叔母さんの家に単身泊まりに行ったとき
朝食の話題が特殊相対性理論でした。
そんな親戚たくさんいます。
従兄弟姉妹は男女関係なくみんな
京大医学部、京大法学部、阪大法学部、
筑波大、北海道大、神戸大、上智大
兵庫県立大、京都女子大、龍谷大
親や伯叔父母は
京大に何人か、金沢大、立命館大、同志社大、亜細亜大、
叔母1人と母が地方の短大がいるくらい。
別にみんな塾とか英才教育とか
エリート的な教育をなにも受けてないんだけどね。
だからたちが悪い。
自力で頑張らないといけないし、
昔からそういう人たちばかり見てきたから
そういう未来しか思い描けなかった。
今親戚見渡しても
某化学系企業で研究者してるとか
某物理学系大手企業の副社長とか
弁護士とか医者とか起業家とか
恐ろしい一族です。
でも私は平凡です![]()
普通にビンボーです(←そこいる?)
昔から研究者とかエリートとか興味なかった。
学問は嫌いじゃなかったけど、遊びだった。
そんなものより、地域の子どもたちの面倒見たり
他愛のない話で和ませてあげてたり
そっちのほうが好きだった。
でも、こんなモンスターに囲まれて生きてきたら
それでも知識や思考回路などぶっ飛んでます。
高学歴以外周りにいなくてさ
GMARCHレベルで出来損ない扱い。
関関同立、公立大レベルが最低ライン。
学術論文が朝食の話題とかじゃ世間から外れすぎ。
いざ地域コミュニティに入ってみて、
ギャップに気付かされるわけですよ。
もう男だ女だ以前に
この我が家の「あたりまえ」は
世間の非常識になっちゃう。
そういう話が通じるコミュニティなら
遠慮なくそういう話をするけど、
世間の殆どはその対極。
自我の抑制と解放
埋没するということは同化すること。
埋没したい人は徹底的に自分を隠すこと。
自分らしく生きるということの逆をいくこと。
遅くトランスした人が苦労するのはそこだろう。
長年の自我抑制から、解放へ転換することが目的。
しかし自我の解放は埋没の逆を行く行為。
自我の解放に目的がなければ、
積年の抑制された不満が無かったとしたら、
自我にそこまでとらわれずに自然と埋没できる。
多分新世代の当事者は新しい時代を作る。
私達世代のように「自我」にとらわれないから
自然体で世間とつながる。
だからその存在が自然になる。
LGBT教育が進み理解は広がる。
他方、私達円熟のトランス戦士はきっとお荷物になる。
かつて私達がトランスの先輩たちに
「あなた達がトランスのイメージを損ねている
古臭い昔話を言われても困る」
と感じていたように。
私達世代の社会は昔の価値観のまま
私達自身も自我にとらわれつづけ苦しむ。
結局、古い人は埋没できないか、
なんとか自我を殺して埋没するかなんだろう。
郷に入らば郷に従え
郷に入らば郷に従え
私は学歴、知識、思考回路が
世の女性のそれとは大きく離れてる。
それを押し殺してる。
思いっきり演じてる。
それをすることでその苦しさよりも大きな利益、
自分のやりたいことを実現できる環境と
豊かな人間関係が手に入っている。
こんな演じることは本当はしたくない。
けど、そういう世間の自然な価値観を育むことが
困難な環境だったんだから仕方ない。
もう女子高生には戻れない。
一緒にキャピキャピ言ってなんていられない。
私は正直言うとかなり意識して演じている。
けど、何だかんだ言って結果は快適なんだよね。
多分性の根はこんなだったんだと思う。
歪んで育ってるだけ。
アンチの人に言わせると
「だからトランス女性なんて結局男なんだ」とされる。
いや、そうは思わない。
きっと次の世代は自然体で自分の性を認められる。
そんな彼女たちは、トランス女とか所詮男だとか
そういう視点自体を世間から取り除いてくれるだろう。
羨ましい思いもなくはないけど、
私もそういう社会になってほしいと思って
ほそぼそと啓蒙してきてた。
彼女たちの輝きを心から喜び応援してる。
そして感謝してる。
かつてのトランス戦士
さぁ、これまで頑張ってきたオバサン連中
道を切り開こうと戦ってきたトランス戦士よ
あなたは新時代をどう生きる?
私の思う正解は自分の幸せを求め
自己実現に一歩でも近付くことだと思う。
私は完全埋没の演技生活。
頭の良さは明らかな邪魔だから隠し通す。
自分の中の世間にはなじまない
「プライド」を、「個性」を
どうすればいいのか。
大切に抱きしめていることもいいだろう。
でも、あたしは捨てました。
今それが全くなんの役にも立たないもん。
知識を披露することによって
失うものは多くても手に入るものはない。
自分らしさという「同一性」に過剰に囚われていては
自己実現は叶わないというパラドックス。
「自分らしく生きる」ということは、
「自分勝手に生きる」ということにもなりかねない。
一緒に暮らすコミュニティの構成員みんなの
心地よい空間を損ねてしまったら
コミュニティからは弾かれる。
歌いたいから歌わせろ
踊りたいから踊らせろ
表現の自由だろ!
って理屈と一緒。
歌いたいなら歌える場所で歌ってろ。
踊れる場所で踊ってろ。
それが当然の反応。
やっぱり謙虚さなのよ
LGBTへの反発は
「個性の尊重」の名のもとで
「当事者の自分勝手を認めないやつ」は悪だという
ポリティカル・コレクトネスの同調圧力に
一部の人が辟易しはじめたから。
それも、特に私達オバサン世代に増えてきた。
その点をしっかり認識したい。
その点でも私は自分らしく生きること以上に
共存することを何よりの価値として生活しています。
それが将来我が身を守るために必ず役に立つから。
