二学期が始まって、調査書もらって私立の出願などなど無事にすませました。


自分の頃との違いにあたふたしたり…

受験事情も時代の変化があるんだなぁと痛感しておりす。



受験本番直前だというのに、当の本人は試験のあとの春休みの計画に忙しいようで、一万円を超える好きなアイドルグループのコンサートチケットが欲しいだの、六千円の写真集買いたいだの、友達みんなでディズニー行きたいとか、どこからそんな金を出すつもりだい?!って言いたくなるような無謀なことを言って困ってます。


いくらかは子どもの貯金で可能なんだけど、あまりに無計画なのでチクリとしておきました。


計算も碌にできない上に、物欲の権化と言いたくなるくらい欲しい物も沢山、衝動を止めるのが難しいこの子だけど、お金のことは早めに教育しなきゃいけない事情もあり、今回のことでお金の教育に本格的に力を入れなきゃなって、改めて決意しました。


いつも恋人の誕生日やクリスマスのプレゼント、友達との遊びのときにお金が無いと嘆いてる。そんなこの子だからこそ有限のお金を効率的に計画的に抑制的に使うためのコツ、【予算】の立て方を伝えていくつもりです。


人呼んで【令和5年度お小遣い予算委員会と通じょおこづ会】



予算案はお母さんの助言のもと本人の意志で作成。通じょおこづ会でお母さんと本人の両者同意の上で承認。予算修正は毎月末に審議できるものとする。




予算を立てて財政を把握する癖をしっかりつけられたら一人暮らしを始めても活きてくると思うし、計算が弱く強欲だからこそ不可欠な技能だと思うんですよね…じゃなきゃ…ガーン


というわけで、試験がすべて終わった3月から、年次予算計画を立てさせることでさっき本人と合意しました。面倒臭いと最初は嘆いていたけど、早く独り立ちしたいこと、お金を管理することが怖いけどそれが将来必要になってくるという不安もあって、チャレンジしてみると覚悟してくれました。


それまでに今の高校生のお金事情リサーチを始めなきゃだ。

中学生までと違ってお家ごとの個性が大分出てくるから、額面だけ見てても仕方がないから本当に難しい。最近のインフレ傾向への対応も必要になるだろうし…お小遣い金額の確定ですら一筋縄では行かないな。






あたしの幸福論



これに書いたこと、共感してくれる人ってどのくらいいるのかな。


若い頃の欲深さ


あたしも若い頃は大きな幸せを欲してた。人気者になりたいとか、チヤホヤされたいとか、お金欲しいとか、豪華な旅行とか、映える写真とか。


幸せって他人からの評価や贅沢のことだと思ってた。



きらびやかな世界に身をおいて


実際、人気者にはなってないけど、芸能人の知り合いとか増えたし、六本木や恵比寿、麻布、銀座界隈にお仕事関係者と出歩くこともしばらくあったし、人気者商売の人たちの素顔とか友人としていろいろ見てきた。(元男性だということは隠してです)


そういうわかりやすいみんなから憧れられるような華やかな世界を見てきたからこそ言えるのかもしれないけどね。大きな幸せがホント沢山転がってる世界だった。

でも、あたしは何かそういうの嫌になってきた。欲深くなったし、小さな幸せを冷めて眺めてたし、享楽興奮する人々を手の中で転がしてる感覚とか、優越感もあるし刺激的だし脳に直接大きな幸福感が突き刺さる感じ。何か生きてる気がしなくなってた。東京の摩天楼の中で刺激を求めて迷ってる感じ。


自分の幸せってものがわからなかった。他者からの評価、きらびやかさでしか見てなかった。あたしはそんな世界を求めてはいなかったことに気付いた。もっと地に足をつけ、心穏やかに生きていたい。



不幸のどん底にいたころ


そんな経験をしたから言えるのかもしれない。

本当に不幸のどん底にいたときに小さな幸せなんて見えもしなかった。自分が不幸であることが悔しかった、他人の幸せが憎らしかった。もっと幸せになりたい、誰よりも綺麗になりたい、可愛いと言われたい。そんな勝ち気な時期もありました。だからこそ小さい幸せなんて全く興味なかった。


そうなった原因。当時の私を思い返して当事者の経験談だと思う。写真を上げてる人を見てかわいいなぁ…女の子にしか見えない!リアルな女の子よりかわいい!と言われてるのを見ていいなぁ…きらびやかな衣装を着て綺麗に着飾って素敵だなぁ…。当事者の先輩の成功者が華やかな人しかいなかった。目標がそこしかなかった。それに対して貧しく醜く社会に拒否されるわたし。被害妄想を膨らませやすかった。


今も人気YouTuberとして活躍するような華やかな当事者が多いけど、青木歌音さんがスザンヌさんに指摘されたように、当事者が成功してる当事者を僻み妬みの眼差しを向けるのも同じだと思う。普通の女子の世界に平凡だけど幸せな人生って普通にあるけど、トランスの世界だとそういうのが見えにくいし、そういう生き方もしにくかった。そういう平凡をあたしは幸せだと思って選んだし、そういう幸せがあることを発信してるつもり。



幸せは幸せを招き、不幸は不幸を招く



実際、小さな幸せを感じられるといつも笑顏でいられます。その笑顔が幸せオーラに包んでくれてるなぁって思います。その幸せオーラにいろんな人の笑顔が吸い寄せられて、みんなの笑顔にまた幸せを感じる。幸せの連鎖。幸運は笑顔の近くに引き寄せられると感じてます。
その逆も然り。悲しみには悲しみが。怒りには怒りが。不幸のオーラには不幸のオーラが引き寄せられてくる。エコーチェンバー現象。


ちょうどいい幸せ、普通の幸せ


大きな幸せもいいけど、欲深くなったり調子に乗ったりあんまり気持ちいいものじゃなかった。それより小さな幸せを沢山見つけられると小さな微笑みにあふれる毎日を送れるから、優しい気持ちになれました。私には小さな幸せがちょうどいいです。

妬んだり僻んだり、大きな幸せを望んでばかりで日常に幸せが少ない人。小さな幸せを大切にして穏やかに温かく過ごすのも悪いもんじゃないですよ。華やかに生きてる人、輝いてる人なんてごく一部。殆どの女性も普通ですから。殆どの女性が普通だからこそ、それが普通なんです。欲張ることも人生には必要でしょう。でも、それにとらわれすぎて自らを不幸に誘っても仕方がない。



だからこそ等身大の夢を持つことが幸せだと思います。今の時代、等身大の夢なら私達でも叶えられます。その根拠や事例として私の幸せをここで発信しているつもりです。

不幸になるも幸せになるも心の持ちよう。些細なことには価値がないものと捉えるか、幸せと捉えるか。些細な出来事を幸せと捉えられたら、大きな幸せなんて無くても幸せに満ちた生活を送れました。

むしろ、大きな幸せに満ちてた頃より、小さな幸せがたくさんの方がいっぱい幸せだと私は感じてます。


ブランドバッグに宝石にきらびやかなドレスにシャンパン
お日様のもとで蝶々が舞ってるお花畑に寝そべってる

あたしは後者が幸せ。




日常の中で感じる些細な幸せ

え?日常なんて幸せの連続でしょ。





朝のホットミルクをノンダトキ


朝のみんなを送り出したあとに入る背徳感たっぷりの二度寝のお布団 


運動の後のお茶グビ飲みしたとき


河原の鴨のおさんぽを見たとき


川の石で甲羅干をする亀を見たとき

 

猫が後ろ足で頭を書いているのを見たとき


猫が前足の毛づくろいをしてるのを見たとき


犬のお尻がプリプリ振られてるのを見たとき


鳩に追いかけ回されたとき


スーパーのエスカレーターでおんぶされてる赤ちゃんと目があったとき


そんな赤ちゃんにニコひらめきってしてあげたときに、とろけんばかりの笑顔よだれを返されたとき


小学生が楽しそうに遊びながら帰ってるのを見たとき


小学生で怪我してる下級生の面倒を見てあげてる上級生を見たとき


近所のすごくお上品なおばあちゃまが優しく話しかけてくれたとき


宅急便の配達員のお兄さんがイケメンだったとき


信号がきれいに青ばかりで通れたとき


駐車場で店内入口のそばに空きがあったとき


雲の形が動物に見えたとき


雲の配置から上空の空気の構造がきれいに見えたとき


ピーマンの形が完璧な形だったとき


南瓜を煮たときにちょうどいい柔らかさにできたとき


セールみかんを箱買いしたやつが美味しかったとき


玉ねぎの皮がきれいに剥けたとき


暑くもなく寒くもなく丁度良い日


少しぬるくなったお風呂のお湯を温めたとき


スーパーのタイムセールにたまたま出くわしたとき


買わなきゃなって思ってたものが特売だったとき


子どもがご機嫌で帰ってきたとき


夫がご機嫌で帰ってきたとき


夫と買い物に出てるときに何も言わずともカゴを持ってくれてたとき


そのうえ重たい米を抱えて買い物袋まで持って全部運んでくれたとき


子どものユニフォームを手洗いし完璧に白くできたとき


ドレッシング類を使ったときにちょうどいい量で使い終わったとき


きれいに晴れた日に布団を干せたとき


夫が面白い寝言を言っているのを聞いたとき


仲良しママ友とスーパーであったとき


一目惚れした服を買ったとき


体重が減ったとき


便秘解消したとき


料理の味付けが成功したとき


子どもたちがおかわりを繰り返すとき


スマートスピーカーが面白い聞き間違いをしたとき


時計の時間と分と秒がゾロ目になった瞬間に時計を見ていたとき


テレビをつけたらちょうど番組が始まったところだったとき


ゴミを出し忘れてたことを思い出して急いで出しに行ってぎりぎり間に合ったとき


スーパーの仲良し店員さんの些細な優しさに触れたとき


近所の子どもたちから「**ママ!こんにちわ」と言われたとき


マンガの新刊が販売開始されたとき


いい映画を見てるとき


懐かしのアニメを見つけたとき


故郷のニュースや番組をたまたま見たとき


好きなアーティストが歌ってたとき


カルピスの濃度がちょうどよかったとき


好きな芸人さんを見たとき


家族の服にアイロンかけたとき


思った以上に洗濯物が早く乾いていたとき


キャンペーンに当選したとき


落としそうになったスマホをすんでのとこでキャッチしたとき


割れた!と思った卵が割れてなかったとき


ヤモリを見たとき


庭先にスズメが来たとき


レジで代金がゾロ目やキリ番だったとき


ふと気付いた数字が数学的に意味のある数字だったとき

(階乗、自乗、3桁の素数など)


地震が起こったときに揺れの時間と強さ、揺れの向きから直ぐさま震源域、深度を予想してマグニチュードを計算。CMT解も予想して、津波発生や揺れの被害の予想をして、後で気象庁の発表と照らし合わせてほぼほぼ合っていたとき


レアな気圧配置や気象現象を見つけたとき






あぁ、もうきりがない。

些細な幸せなんてどこにでも転がってる。


そんな些細な幸せを幸せと感じられることが幸せ。

 

 

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大切な人から新年メールが送られてきた。

これとは別の大切な人。

何人もいる古い知人友人の中でもとても大切な存在。



一人は、大学時代、男の子として最後に踏ん張っていた頃の彼女の親友。

彼女の親友というところが何とも言えない…驚き


一時はこの人と一緒になれたらとも思えるくらい大切な彼女だった。強くて優しくて可愛くて素敵な人だった。自分の望んでいた幸せをこの人に実現してもらうことで私の夢を叶えられるなんて考えたこともあった。今思えば考えも幼かったし、男として生きるんだってあの程度の軽い覚悟で生きてても、限界が近かったのははっきりしてたはずなのに、お互いに大学を出たら…なんて話すこともあった。


結局自分に嘘つくことできなくて、実家のトラブルもあって自分に正直に生きることを選んでしまった。


だからこそかなりつらい思いをさせてしまった。どう表現しても表現し尽くせないだろうし、あたしには想像もできない苦しみだったと思う。あたしも嘘をついて逃げるしかなかった。どう生きたらいいのかわからなくなってた。異性として愛することができなかったけど、大切な人かと問われれば自信をもってYESと答えられるくらいに愛おしい人だったから、悲しませ苦しませてしまっていることにさらに罪悪感を募らせていた。


そんな元カノの親友で、何度もダブルデートをしたり仲良くしてくれてたこの女性は、悲しむ元カノを必死で守ってくれた。あたしのことをけちょんけちょんに罵倒してさ。あたしもすごい傷ついた。でも言われても仕方なかったし、その程度の最低な人間だってただただ泣いてた。

未練なのか責任感なのか今となったらわからないけど、元カノの為にあたしができることはないか。それまでの人生の全てをぶち壊したあたしにとって不安定だった心を鎮めたかったのかもしれない。「外見や生き方は変えても中身はあたしのまま。みんなと友達としてそばにいたい…わかってほしい…」って思ってた惨めなあたしを新友さんは蹴散らしてくれてさ。すごいどん底に落とされた。けど、みんなと離れるときに「あたしがどうなっても、この子がついていたら元カノは大丈夫だ」って変な安心感があたしを飲み込んだのを今でもはっきり覚えてる。


けど、そのおかげで再出発するときに覚悟ができたって思う。もし、親友さんや元カノがそばにいたら、多分どこかで男の自分を演じてたと思う。新しいチャレンジをしたり、無理かもしれない挑戦をすることなんてできなかった。今あたしがあたしらしく生きられたのは、男としての歴史を、過去を完全に捨てさせてくれたからだって思ってる。


今思うと天真爛漫でも芯のある元カノのことを、別れてからも憧れて知らぬ間に目標の一人にしていたのかも…と思うことすらあるんだよね。あたしのなかの女性像は、母親と祖母、大学のときに支えてくれた親友と、そして元カノだった。


その別れから20年ほどした数年前、元カノの親友さんの連絡先が古いケータイの整理で出てきた。アドレス生きてないだろうなって思って送信。そしたら返事が来た。



友:

あのときはあたしに対して怒り任せに、元カノのことを守るために言ったけどやりすぎたって謝ってくれた。元カノは今幸せに暮らしてるよ。


み:

あたしは恨んでなんかない。むしろあたしのせいでつらい思いさせてごめんね。元カノのこと支えてくれてありがとう。

今みんな幸せに暮らしてるんだ?良かった。それが知れて本当に嬉しい。あれから二十年、ずっと十字架を背負って生きてきたの。あたしがどれだけ幸せになっても、自分らしく生きてても、心から喜ぶことができなかった。


友:

そんなに苦しんでたんだね。みちょ太郎も幸せになっていいからね。


み:

あたしも手術して性別も変えて、名前もみちょまるに変えたの。そして今は普通の男性と結婚して、里親として、母親として子育てもしてるんだ。家族写真を送るね。


友:

昔と変わらない、優しい雰囲気のまんまだね。よかった。激変してたらどうしようって思っちゃってた。ママとしたらあたしより先輩じゃん!




そんな会話をしてた。

そして今では遠く離れたところに住むママ友として学生時代のように仲良くしてくれてる。そこに元カノがいないだけ。それでいい。

ただ、その過去に今のあたしとして向かい合えた。認めてもらえた。たかだかそんなことなんだけど、そんなことが幸せへの最後のしがらみだったから、このメールには特別な意味がありました。


結局みんなに生かしてもらってる命なんだ。

だから毎日に感謝。みんなに感謝。



このお正月、この年賀状メールの中に書かれていたメッセージや、幸せそうな家族写真をニコニコ眺めながら、それ以外にもみんなの優しい言葉も沢山もらって心が温かくなりました。こんな恵まれた人生を生きられることに改めて感謝です。








このあたりの、書けずにいた書いてなかったお話のその後でした。いつの日か書き足そうかな。








その親友さんとの数年前のLine履歴があった。
頻繁にメッセージやり取りできるくらいに関係が直ったときのやりとり。
みんな大切な人たちだし、大切な思い出たち。
20年かけても一部でも取り戻せたことが嬉しい。

菩薩の微笑みって…青年だった頃もそんな印象だったとかさ、あたしって傍から見てどんな男の子だったんだろう。





明けましておめでとうございます。

今年も拙いブログですが足を運んでいただけると嬉しいです。







かなりのんびりお正月を過ごしています。

このお節、子どもたちに大人気です。

普段煮物を食べない子どもたちですが、美味しい美味しいとやたら食べてくれます。3日は持つくらいの量を作ったのに意外と減りが早い…それで「食べすぎた…きつい…」って言われてさえーえーえーえーでも、みんなが喜んでくれたのは素直に嬉しいこと。



施設時代はコストコのお節?とか近所のスーパーのお惣菜だったという子どもたち。お節なんか縁がなくて、お正月はピザとかそういうのを普通に食べてただけの冬休みだったとか。毎年お母さんの手作りお節を食べて、意味を教えられ、こういう伝統を楽しんでくれる余裕がでてきたのは嬉しい。

今年も田作おいしいね!高野豆腐美味しい!あー伊達巻なくなった!」そんな会話が聞こえてくるのが信じられない。最初は「ピザじゃないの?えー…煮物…そんなのヤダ!唐揚げつくって!じゃなきゃ食べない…」だったんですよ!もう信じられない変化。



それに加えてお母さんの希望によって毎食お雑煮は味変することになっています。私が若い頃日本各地結構引っ越してて、各地で味わったお雑煮がそれぞれ美味しかったから、いろんな味のお雑煮を作ってます。

朝は江戸風雑煮、昼は焼き餅、夜は京風白味噌雑煮。

明日の朝はお善哉。明日のお昼は名古屋風すまし雑煮。



上の子はお友達と初詣。下の子と夫の三人でご近所の神社に参拝してきました。

上の子にお守り代を渡してたんですが、恋愛守を買うと思いきや、ちゃんと学業成就の御守を頂いてきました。ちゃんと受験に向かい合ってくれてるんだなぁ…と感心していました。


家に帰って郵便受けを確認すると、塾のはからいで上の子が認めた手紙が投函されていました。その中に書かれていたこと。


お父さんもお母さんも自分にはできないことを沢山できて、それにひきかえ自分はまだまだ何もできない。すごいって思う。少しでもいろんなことできるようになりたいし、一人前って認めてもらえるようになりたい。だから勉強を頑張る。高校合格して夢を叶える。


だってさ。こんなの涙でまっせぇ泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い

お正月だけどちゃんと勉強の習慣残したいって3時間だけでも机に向かってくれた。明日も5時間やるって。すごいよ。それでもおバカちゃんだけど、その思いきっと実を結ぶよ。点数じゃない。夢を掴もうと行動することは夢を叶えるための必要条件。ずっと伝えてきたこと。もう何とか合格させてあげたいな。応援するしかできないけど。


さらに、お母さんが正月はゆっくり休むと言いながらお雑煮とか皿洗いとか何だかんだ仕事をしてることに対して上の子が「お母さん、休めてる?ありがとう、いつも。」また心のなかで号泣ですわ。


とにかくそんな感じです。

下の子もそれに引っ張られて勉強頑張ってます。いい影響になったらいいな。子どもたちと遊ぶ時間が殆どないお正月、少しさみしいけど、ゆっくりできてます。でも、成長が嬉しいお正月でした。



あと、小吉でした。

このくらいが良きかな良きかな。







夜にやってたABEMAのプロレス中継、NOAHの武藤さん引退までの中継企画。泣いた。(ただの涙腺弱いお年寄り?)

昔少しお世話になった丸藤さん、KENTAさんとの丸KEN復活にも興奮。これは今年のNOAHは丸KENの一年になるのかなって期待したけど、残念。でも、今後に期待したいニュースでした。

元文科大臣、現石川県知事のジャイアントスイングとか、本当に話題性にも飛んでた。

何より中邑真輔とグレート・ムタの対決は泣けた。武藤さんに憧れてプロレス始めたSHINSUKE。ムタやSHINSUKEの歴史を知ってるとホント涙ものだね。ファンキー加藤さんも泣いちゃった気持ちわかる。ムタも真輔もカッコいいょ!男の人達のああいう思い、ステキ。おねがいおねがいおねがい

(昔仕事で勉強しなきゃいけなくて勉強しただけ。今でもプロレスは怖くてまともに見てません…笑い泣き

こちらも昔2度ほど一緒にお仕事させていただいた武藤さん、引退ももうすぐかぁ…今日の試合、かなり久々に見たけどあの頃のキレはなくなってた。でもやっぱりすごいものはすごいね。歴史に残る偉大なレスラーの1人、武藤敬司は芸術だ。今日を含めて残る試合もきっと歴史になるね、間違いない!

武藤敬司引退ロード 


武藤敬司の名言より

    

思い出と闘っても勝てねぇんだよ。


    

郷に入ったら郷に従わないといけないわけだからさ。

そこに馴染めなかったらハブかれて、

需要もなくなるわけであってね。


    

挑戦していかないと退化するからね。