このころに私を助けてくれた恩人でもある親友の二人。

実はしばらく連絡を取らないようにしていました。

でも、十年ぶりくらいに連絡しました。
子どもたちと夏に彼女たちの住んでる近くまで
旅行に行くかもしれない計画を練ったからなんですけど。

子どもたちがお母さんの昔を知りたいというので…
今なら二人に会うことができるかも。
むしろ会うべきかも。
今だからこそ本当のお礼が言える。







謙虚でいる、感謝する意味



よく私は謙虚と感謝を

当事者には昔から伝えて続けています。


その意味は私の恩人たちへの思いと、経験からです。



前の記事にも書きましたが、

ホルモンの副作用の精神不安定はかなり強烈です。

命の危機も本当にあります。

社会生活をろくに送れないような虚弱精神に

変えてしまうこともあります。


強い心、変化した弱い自分でも

変化の過渡期を無事に生きられる

理解してくれる環境と、何より

盤石な生活基盤があって初めて成功する。

そう思っています。


はっきり言って、そんなものもともと持っている人は

ほとんどいないと思います。

積年の苦しみにタガが外れたことがきっかけで

爆発的に行動する人がほとんど。


だから、ギャンブルの要素が強いと感じています。


今の若い子で、モラトリアム期に親の支えや

教育現場の理解、友達の応援などがあれば

安定的な移行も可能かと思いますが、

それでもまだまだ壁にぶつかることの多い

トランス生活。


やっぱりギャンブルに近い。




ここで理解してほしいこと


支援者は応援した以上、無責任ではないということ。


いや、私も恩人に責任を感じてなんてほしくない。

負わせるつもりもない。全部自己責任だと確信してる。

みなさんもきっとそうだと思う。



けど、支援者の気持ちとしてどうだろう。


ギャンブル要素の強い人生を生きることを知らず

素直に私達のために心を折り、精一杯の応援をしてくれる。


その結果、精神を病んだ私を見て、自殺願望を聞き、

社会で差別に苦しむ姿を眺め、実らぬ恋を見届け、

郷里を失い帰ることのできない現実を知り、

どれだけ辛い思いを馳せるさせたろう…


男の子が可愛く変わっていく姿は喜ばしい。

けど、どんどん変化する様が不可逆的で

手術までして非当事者からみても

戻れないところにまで達する。



私達当事者は確かに地獄に生まれる。

そこから前を見て進み始めるも、

進む先も地獄のような生活。

稀に天国にたどり着ける。


支援者はなかなか報われない。

応援するんじゃなくて止めてあげたほうが

相手の為になるんじゃないか…

応援して手術して、全部私のせいじゃないか。




責任はないのだけど、

当事者のことを思ってくれているからこその

温かい支援であり、感じてしまう責任なんです。



実は応援してもらうということは

支えてもらうということは

支援をくれるみんなへの責任を伴うということ。




私はそれに気付いてからさらに頑張ったし

必要以上に助けを求めないようにしたし、

私のつらい気持ちを愚痴っててもダメだし

そのままみんなのもとを去りました。


幸せにやっている。もう近況はそれで終わる。

大切な恩人にもう私という十字架を負わなくていいように。

穏やかに暮らしてほしい。




確かな幸せを掴んだから


今は誰が見ても「普通の幸せ」を手に入れた。

私自身幸せに満ち満ちている。

確かに発達に課題がある子育てに苦戦してるけど

それだけだと言っていい。


親友二人にもらった愛は確かに今の幸せの基礎になった。

何人もの当事者の人を助ける力になった。

里子として我が家に来た子どもたちや

その周りの人たちの希望になった。


全部この二人のおかげなんだ。


ずっと重たい十字架背負わせてしまって

ごめんなさい。


私ができる罪滅ぼしと恩返しは

私がこころから幸せに生きること。




幸せにならなきゃいけない


その親友からのメール。


どんどんキレイになっていくのをみていて

嬉しかったんだけど、、

大学のときに、お話きいてしまって、

女の人になっていってしまって、

本当によかったのかなぁ😢

と思ってたことはあったの。

突き進ませたようで、、

後戻りできないし、

そのままの方がよかったのかなぁ?とか💦



でもでも、今日聞いてみて、

幸せそうで、

ほんとよかった✨✨


よくね、辛い辛い、差別されてる云々って聞くけど

本当に辛いのって自分だけなのかな?


私のことを思ってくれてる友達だからこそ

親だからこそ、先生だからこそ

本気で悩んで考えて手を差し伸べてくれてる。


だからこそどれだけ心を砕いてくれていることか。


苦しいから助けがほしい。

助けてもらっても苦しいから嘆く。


でも、それって誰も報われないんだよ。



難しいチャレンジを私達はしている。

自殺も多い悲しいチャレンジになることが多い。


けどさ

それでも生きようってもがいて

みんなに助けてもらうわけじゃん。



絶対に悲しい結末にしちゃいけないんだよ。

幸せにならなきゃいけないんだよ。



私はそう思って

助けてくれた人たちみんなに

感謝して生きてきたし、これからもそう生きる。



私の本当の幸せって何なのか。

どこに転がっているのだろう。

どうやったらつかみとれるのか。


考えてもがいて挑んで


その結果、今の幸せを掴み取った。




可哀想のまま生きていちゃだめだ。


可哀想のまま生きていちゃつまんない。


可哀想のまま生きていちゃ幸せになれない。



「可哀想」の殻から出なきゃ




私を助けてくれた親友や、昔の想い人も

失明は何とか免れたけど視力を大きく失ったり、

子どもが病気だったり、

突発性難聴で片耳が聞こえなかったり

みんないろんなハンデを抱えて

それでも幸せに生きてる。



私達だけが特別辛いわけじゃない。

大切なのは自分にないものを見ることじゃない。

あるものをもっとしっかり見てほしい。


どんな可能性があるのか。

何ができるのか。

その可能性を掴み取ってほしい。

それが不安定への最大の薬だと思う。



そして、大切な人を確かに認め感謝すること。

支援者の限界にも謙虚にいること。

これは弱者になっていると忘れがちになるけど、

人として大切な心だと思うのね。


この気持ちって社会で生きる上でも

大切なことだと思うし、

それが社会生活を潤してくれる。



弱者たらしめない自覚


弱者たらしめない支援


当事者と支援者がともに幸せになれる道は

私はここにあると思います。






あなたにとってとても大きな決断を

後押ししてくれた恩人は誰ですか?



その恩人の気持ちを想像したことありますか?




その人がいなかったら前に進めましたか?




どんなことがあっても、

気持ちが理解されなくても、

すれ違ってしまっても、

近くで支えてくれた人を思い続けることが、

助けてもらった人の責任だと思う。




助けてもらったらもう自分ひとりの人生じゃない


友達であったり、親であったり





友を自殺で亡くし、人を支援し、親になって


本気で人に手を差し伸べる責任の重さ。


もう少しワガママから離れて

人の心に目を向けようよ。


私達って実は愛されてたんだよ

世の中って冷たくなくて温かいんだよ


その温かさが見えないのなら

絶対に幸せなんてやって来ないから








おばさんのつまらない説教でした。



離れていても話さなくても

大好きで何より大切な恩人です。


勝手にメール引用してごめんなさい。



沢山の命の恩人には届かないけど

いつまでも心から感謝しています。


みどりちゃん、みぃちゃん、かまたせんせー、いしばしせんせー、おとふじせんせー、なおやくん、まるくん、いーちゃん、ゆかりちゃん、かおりちゃん、りょーちゃん、きょーちゃん、きょうこちゃん、たまちゃん、はらら、まいちゃん、なっちゃん、ゆかちゃん、めぐみちゃん、たんたん、やなくん、ひとみちゃん、こにー、ひえちゃん、ゆーのすけくん、じゅんぺーくん、のりこせんぱい、いりちゃん、おかもとさん、あいちゃん、まめ、よーこさん、おーまえくん、みやうちくん、しょーせんぱい、にわさん、ゆーちゃん、りょーこちゃん、てんちょー、しょーちゃん、かずいくん、えすな、ありす、みちさん、ゆきちゃん、

多分書き忘れもたくさんいる。


あの大変だった時代に支えてくれたみなさん。

みんなのおかげで私は生きてます。

みんなのおかげで幸せになりました。

あの時期に一緒に一瞬だけだけど

自分の性で青春を送れたことが

私の支えになって、その思い出は今でも宝物です。


特に、みどりちゃんとみほちゃん。

本当にごめんなさい。

そして心からありがとう。

20年弱かかったけど、恩返しできたかな?


離れていても連絡取れなくても

みんなのこと、ずっと心から愛しています。