の続き。


高校時代


頭は良かったほう。

中学の先生からも高校は地元1の進学校の

それも特進クラスを薦められた


リーダーシップがある方がもっとカッコいいじゃん

という理由で1年から生徒会役員、2年では生徒会長。

2度ほど高校が地元のテレビや新聞でニュースに取り上げられ

生徒代表ですましてインタビューに応える羽目に。

街を歩いていても知らない人から声をかけられ

警察官にすら認識されるくらい地域の有名人。


バレンタインチョコも沢山。

こんなに漫画通り幸せな男になってるのに

何でまだ満たされないの。

むしろ苦しさが増すの。


エッチをしたらわかるかも!

正直、当時は女の子をとっかえひっかえ、

大人の先輩からも誘われエッチも何度かした。

サイテーな話なんだけどね。

でも残るのは罪悪感。


自分の体がどんどんわけがわからなくなる。

やっぱり股間の異物が失くなれば良いのに…

何度かカッターを持ち出して切ろうとした。

夢でも何度朝起きたら女の子になっている夢をみたことか。


そんな高校時代、残したものが大きすぎた。

家族からの期待、地域からの期待、

名門校の卒業生からの期待を背負い苦しかった。

もう女の子に戻れない…進むしかないのか…。

2年の終わりから荒れはじめた。

また学校に行きたくない。


そんな苦しんでいた時期に優しく見守ってくれたのが

野球部の先輩だった。

カッコよくて、汗が輝いてて、長身で、凛々しくて、

本気で好きになってた。

先輩が卒業してからはもう何も手につかない。

高校3年の一年間はもうダラダラ。

もう男として多方面から期待されてる事実がいやになってた。


大学受験で東京に来た夜、

二丁目の今はないニューハーフバーに立ち寄った。


すべてを捨てて、家族を捨ててニューハーフになりたい。

このまま消えたい。男でいることが苦しい。


ママさんたちもお客さんも温かく迎えてくれた。

私のことを女の子として迎えてくれた。

久々に女の子に戻れた。

あんな心穏やかな時間は初めてじゃないかってくらいの

感覚だったことを覚えている。


お姉さんたちから

「まだ早急に答えを出す必要はないよ、

私達はここにいるから苦しくなったらいつでも遊びにおいで。

じっくり考えてそれでも変わらなきゃいろいろ教えてあげる」


居場所がある事を知った。

もうしばらく自分探しをして頑張ってみよう。

そんな気持ちで受けた受験は全滅。

故郷を離れ関西で浪人。


大学時代


一年勉強した結果、某国立大合格、

新しい生活をすることに。

昔から小さい子の世話をするのが大好きだったから

保育士か学校の先生になりたくて、

教員になれる学科に入った。


しかしすぐに波乱が。

不景気の折り、父がリストラ。

家の中がグチャグチャだったバブルの終わりの頃

父が入り浸ってた飲み屋のママに対して

多額の借金の保証人になっていた。


色んなものを失った。

学費は突如止められ、

生活費も何から何まで自分で賄うことに。

バイト漬けの毎日。


男の子にならなきゃいけなかった理由は

ずっとずっと家族のためだった。

必死に家族を守るために男の子になったのに。

自分の何より大切にしていたものが壊れていった。


9〜20時大学

夕方は家庭教師と塾

21〜27時カラオケ屋


一年以上そんな生活。

大学の実験やゼミでは疲れ切っていて

やるべきことができなくなって

みんなから迷惑がられることになった。

「バイトが大変で…」

「バイトなんてやってるからだろ」

何も言い返せない。


体が持たなくなった。

過去が重荷となって、未来も見通せない。

自暴自棄になって自殺未遂をしてしまった。

鬱病の診断がされて休学することになった。


大学2回生が終わる春でした。



大学休学


そのときに助けてくれたのが

同じ学科の親友の女の子2人。

全部洗いざらい話した。

必死で守ってきた家なのに、

もうぐちゃぐちゃ。

あるのは負の歴史だけ。

地元のみんなが期待してる

ニューハーフになったなんてみんなの恥。

だから女の子に戻りたいけど戻れない。

もう純粋に女の子だった頃の気持ちもわからない。


友達から

一緒に自分探しをしよう

私達が手伝ってあげるから


休みの日にはカップルのフリして

洋服選びから何から協力してもらった。

服も沢山分けてもらった。

気持ちが悪かった当時の私を嫌な顔せず受け入れてくれて

通行人たちから変な目でみられても笑顔で連れ回してくれた。

いろんなこと一緒にしてくれた。

彼女たちの前では女の子でいられた。


大学でも何とか受け入れてほしいけど…

そんな無茶な願いに一緒になって直談判してくれた。

教授も応援してくれて、一気に受け入れ体制が整った。

男子は奇異の目でみてくるけど、

女の子たちは受け入れてくれて、

トイレも障害者用を使うんだって遠慮する私に

みんなが女子用使えばいいの!って引っ張ってくれて

毎日嬉しくて嬉しくて、涙流してばっかりだった。


やっぱり男でいるの無理…

心療内科の先生からも専門医を紹介された。

そして性同一性障害の診断をもらう。

その少し前にホルモン治療を始める。


まずは疲れた心を直そう。

治療に専念するためアルバイトをしながら

生活費と治療費だけを作る生活。


私が戻れる日のために大学内で

性同一性障害の学生向けに

いろんなルールが整備されていった。


そんな時期からしばらくして後輩男子二人が

女子として通うようになった。




大学3回生の話でした。







このころの体験が私の人生や生き方を作った

大切な時期になりました。

幸せをつかめたのも、この時代の仲間のおかげ。

後に仲間とどうなったのか、18年後の出来事です。





そして、本編はつづきます。