大切な人から新年メールが送られてきた。
これとは別の大切な人。
何人もいる古い知人友人の中でもとても大切な存在。
一人は、大学時代、男の子として最後に踏ん張っていた頃の彼女の親友。
彼女の親友というところが何とも言えない…
一時はこの人と一緒になれたらとも思えるくらい大切な彼女だった。強くて優しくて可愛くて素敵な人だった。自分の望んでいた幸せをこの人に実現してもらうことで私の夢を叶えられるなんて考えたこともあった。今思えば考えも幼かったし、男として生きるんだってあの程度の軽い覚悟で生きてても、限界が近かったのははっきりしてたはずなのに、お互いに大学を出たら…なんて話すこともあった。
結局自分に嘘つくことできなくて、実家のトラブルもあって自分に正直に生きることを選んでしまった。
だからこそかなりつらい思いをさせてしまった。どう表現しても表現し尽くせないだろうし、あたしには想像もできない苦しみだったと思う。あたしも嘘をついて逃げるしかなかった。どう生きたらいいのかわからなくなってた。異性として愛することができなかったけど、大切な人かと問われれば自信をもってYESと答えられるくらいに愛おしい人だったから、悲しませ苦しませてしまっていることにさらに罪悪感を募らせていた。
そんな元カノの親友で、何度もダブルデートをしたり仲良くしてくれてたこの女性は、悲しむ元カノを必死で守ってくれた。あたしのことをけちょんけちょんに罵倒してさ。あたしもすごい傷ついた。でも言われても仕方なかったし、その程度の最低な人間だってただただ泣いてた。
未練なのか責任感なのか今となったらわからないけど、元カノの為にあたしができることはないか。それまでの人生の全てをぶち壊したあたしにとって不安定だった心を鎮めたかったのかもしれない。「外見や生き方は変えても中身はあたしのまま。みんなと友達としてそばにいたい…わかってほしい…」って思ってた惨めなあたしを新友さんは蹴散らしてくれてさ。すごいどん底に落とされた。けど、みんなと離れるときに「あたしがどうなっても、この子がついていたら元カノは大丈夫だ」って変な安心感があたしを飲み込んだのを今でもはっきり覚えてる。
けど、そのおかげで再出発するときに覚悟ができたって思う。もし、親友さんや元カノがそばにいたら、多分どこかで男の自分を演じてたと思う。新しいチャレンジをしたり、無理かもしれない挑戦をすることなんてできなかった。今あたしがあたしらしく生きられたのは、男としての歴史を、過去を完全に捨てさせてくれたからだって思ってる。
今思うと天真爛漫でも芯のある元カノのことを、別れてからも憧れて知らぬ間に目標の一人にしていたのかも…と思うことすらあるんだよね。あたしのなかの女性像は、母親と祖母、大学のときに支えてくれた親友と、そして元カノだった。
その別れから20年ほどした数年前、元カノの親友さんの連絡先が古いケータイの整理で出てきた。アドレス生きてないだろうなって思って送信。そしたら返事が来た。
友:
あのときはあたしに対して怒り任せに、元カノのことを守るために言ったけどやりすぎたって謝ってくれた。元カノは今幸せに暮らしてるよ。
み:
あたしは恨んでなんかない。むしろあたしのせいでつらい思いさせてごめんね。元カノのこと支えてくれてありがとう。
今みんな幸せに暮らしてるんだ?良かった。それが知れて本当に嬉しい。あれから二十年、ずっと十字架を背負って生きてきたの。あたしがどれだけ幸せになっても、自分らしく生きてても、心から喜ぶことができなかった。
友:
そんなに苦しんでたんだね。みちょ太郎も幸せになっていいからね。
み:
あたしも手術して性別も変えて、名前もみちょまるに変えたの。そして今は普通の男性と結婚して、里親として、母親として子育てもしてるんだ。家族写真を送るね。
友:
昔と変わらない、優しい雰囲気のまんまだね。よかった。激変してたらどうしようって思っちゃってた。ママとしたらあたしより先輩じゃん!
そんな会話をしてた。
そして今では遠く離れたところに住むママ友として学生時代のように仲良くしてくれてる。そこに元カノがいないだけ。それでいい。
ただ、その過去に今のあたしとして向かい合えた。認めてもらえた。たかだかそんなことなんだけど、そんなことが幸せへの最後のしがらみだったから、このメールには特別な意味がありました。
結局みんなに生かしてもらってる命なんだ。
だから毎日に感謝。みんなに感謝。
このお正月、この年賀状メールの中に書かれていたメッセージや、幸せそうな家族写真をニコニコ眺めながら、それ以外にもみんなの優しい言葉も沢山もらって心が温かくなりました。こんな恵まれた人生を生きられることに改めて感謝です。