あたしの幸福論
これに書いたこと、共感してくれる人ってどのくらいいるのかな。
若い頃の欲深さ
あたしも若い頃は大きな幸せを欲してた。人気者になりたいとか、チヤホヤされたいとか、お金欲しいとか、豪華な旅行とか、映える写真とか。
幸せって他人からの評価や贅沢のことだと思ってた。
きらびやかな世界に身をおいて
実際、人気者にはなってないけど、芸能人の知り合いとか増えたし、六本木や恵比寿、麻布、銀座界隈にお仕事関係者と出歩くこともしばらくあったし、人気者商売の人たちの素顔とか友人としていろいろ見てきた。(元男性だということは隠してです)
そういうわかりやすいみんなから憧れられるような華やかな世界を見てきたからこそ言えるのかもしれないけどね。大きな幸せがホント沢山転がってる世界だった。
でも、あたしは何かそういうの嫌になってきた。欲深くなったし、小さな幸せを冷めて眺めてたし、享楽興奮する人々を手の中で転がしてる感覚とか、優越感もあるし刺激的だし脳に直接大きな幸福感が突き刺さる感じ。何か生きてる気がしなくなってた。東京の摩天楼の中で刺激を求めて迷ってる感じ。
自分の幸せってものがわからなかった。他者からの評価、きらびやかさでしか見てなかった。あたしはそんな世界を求めてはいなかったことに気付いた。もっと地に足をつけ、心穏やかに生きていたい。
不幸のどん底にいたころ
そんな経験をしたから言えるのかもしれない。
本当に不幸のどん底にいたときに小さな幸せなんて見えもしなかった。自分が不幸であることが悔しかった、他人の幸せが憎らしかった。もっと幸せになりたい、誰よりも綺麗になりたい、可愛いと言われたい。そんな勝ち気な時期もありました。だからこそ小さい幸せなんて全く興味なかった。
そうなった原因。当時の私を思い返して当事者の経験談だと思う。写真を上げてる人を見てかわいいなぁ…女の子にしか見えない!リアルな女の子よりかわいい!と言われてるのを見ていいなぁ…きらびやかな衣装を着て綺麗に着飾って素敵だなぁ…。当事者の先輩の成功者が華やかな人しかいなかった。目標がそこしかなかった。それに対して貧しく醜く社会に拒否されるわたし。被害妄想を膨らませやすかった。
今も人気YouTuberとして活躍するような華やかな当事者が多いけど、青木歌音さんがスザンヌさんに指摘されたように、当事者が成功してる当事者を僻み妬みの眼差しを向けるのも同じだと思う。普通の女子の世界に平凡だけど幸せな人生って普通にあるけど、トランスの世界だとそういうのが見えにくいし、そういう生き方もしにくかった。そういう平凡をあたしは幸せだと思って選んだし、そういう幸せがあることを発信してるつもり。