珍しく、今日は職員が3人お休み。
1人は予定休だったけど、2人は急遽お休み。まぁ自分もコロナに感染した時は大変迷惑をかけてしまったので、致し方ないです。その分、今日は慌ただしかったですが・・・
まぁ他の職員はこういった慌ただしさをどう感じているかわかりませんが・・・
少なくとも自分はそういうことを楽しんでいる部分があります。確かに大変ではあるのですが、充実感を感じています。もちろん、計画相談でヒィヒィいうことも多いんですけどね。
こんなことも言えるのも、今は心身ともに健康だから言えるのでしょうね。
今でこそ(半分根拠ないのない自信で)イキイキとしていますが、今の職場に入った頃はこんな姿を自分でも想像していませんでしたね。入職した時はまともに仕事ができるかどうかすらわからない状態でしたから。
自分のプロフィールにも書いてありますが、今も精神科に通院しています。
そのきっかけになった「パニック障害」のことについてはこれまでも何度となく書いていますが、今日はもう1つの「持続性気分障害」の方について触れようと思います。このことは何となく書いていましたが、そのことをちゃんと書くことはなかったかもしれません。
「持続性気分障害」はあくまで自立支援医療の診断書上の診断。
もちろんそれもあるともいますが、入院した時に書いてもらった保険金申請の診断書では「適応障害」と書いてありました。多分、どちらもあったと思います。強いていえば、適応障害の方が強かったかもしれません。それは、また後ほど。
発症に至るは、前の職場(法人)に転職した時のこと。
転職する前は市が管理する施設の職員として働いていましたが、新しい施設を開設するにあたり開設準備のスタッフとしての求人があり、それに応募。採用され別の法人に転職しました。当初の流れでは開設した後は相談支援専門員として勤務することになっていました、あわせて地域活動支援センターも併設されるとのことで自分はその業務にも関心を持っていました。
そんなこともあり、開設準備は主に地域活動支援センターについて関わることに。
当然ながら「開設準備」なので、色々と調整することも多く、行政に出向いて話をしたり細かいことを詰める作業もしてきました。当然ながら事業の運営にあたっては理事長にも逐一報告し、時には行政と理事長の板挟みになりながら物事を進めることもありました。
また施設全体の開設準備であるので、運営的な面での準備もしました。
色んなことを同時並行で進めながら、時には右手と左手両方に電話を持ちながら・・・なんてこともありましたが、何とか施設の開設に漕ぎ着けました。出来上がった施設は、その市における障害者福祉の中核施設。障害者複合支援施設で、その中に地域活動支援センターがあり、相談支援事業所も併設されました。いわゆる「地活1型」です。
と、これで自分の役割は・・・と半分思っていましたが、ここからずれ始めます。
それは「役職」についたこと。施設が開設される直前に法人の関係者から「開設したら役職についてもらうので」との話。自分の中では開設後は1相談支援専門員として仕事をするつもりでしたが・・・でも実際施設開設にあたっては施設の組み立てを行ってきたのだから仕方ないか・・・と思い受けることに。でも今考えれば、これがそもそもの間違えだったんですよね。
開設後は計画相談と地域活動支援センターの両方を担当することに。
ただ実際にはそれ以外に「施設運営」という業務がのしかかって来ました。それは当初想定していた業務だけでなく、施設としての渉外的な業務を行うことも。また職員の指導も行うことがあり、それは自分の担当する部署以外の職員に対して助言することも多くなりました。開設したばかりの施設でキャリアの浅い職員も多くいたので、そのような職員に対しては自然とそのような役を担うことにもなりました。
そんなことをしていうちに、自分の業務はだんだんと増えることに。
業務が増えるに従い、本来の業務(相談支援)が圧迫され、結果として残業に。残業もほぼ毎日のようになり、1日2時間越えの残業は当たり前に。今までそんなこと経験したことがなかったので、当然ながら疲労も溜まっていきます。
この状況をマネージメントしてくれる人がいれば良かったのですが、そこにも問題が。
マネージメントをしてくれる人はおらず・・・というより、自分がマネージメントの側の立場に。一緒に開設準備で入職した同僚がトップで、自分が2番手。そんなような状況だったので、毎日同僚と励まし合いながら仕事を進める状態でした。そんなうちに同僚とは残業中に「もし(ここを)辞める時は、一心同体ですから・・・」なんて話すことも多くなりました。
こんな状況を知ってか知らずか、自分の環境はさらに変化。
年度が変わってからは更なる上役に就くことに。そのことは当初から「就きたくない」と話していましたが、結果的に避けることはできず管理的立場に。自分でも無理な役割とも思っていました。それでも周りは関係なく、自分に判断を求められることが多くなりました。
きっとこの頃は、かなりボロボロだったのでしょうね。
それでも「自分がいなくなったら、施設が回らない」という間違った使命感から足を止めることができず、そのまま突っ走ることに。残業も36協定・時間外残業上限を常に超える状態で、自宅には寝るために帰っている状態。で、口をつくのは「辞める時は一心同体」という言葉。
当然ながら、そんな仕事の仕方は自分の体を壊すことに。
精神科の定期通院を続けている中で、先生からドクターストップがかかることに。ドクターストップがかかった時に、自分は先生に「いつから休めばいいですか」と聞くと、先生からは「今すぐ」との返事。当然ながら正しい思考ができない状態だったのですぐに決断はできず、先生や親から説得されて仕事を休むことに。
短い休暇ののち仕事に戻るも、今度は今までできていたことができなくなる状態。
仕事の負荷を減らすために同僚に相談し役職など全て外してもらったけど、それでも何もできず、むしろトイレに駆け込む日が多くなり、程なくして再びドクターストップ。この頃は食欲もなくなり、どんなことに対しても悲観的な状態に。今振り返れば「明らかに異常」という状態だったけど、その時は自分の異常さに気がつけないんですよね。
当然ながらこんな状態では生活もままならないため、初めての休息入院。
入院先からそうなったことを同僚に報告するために電話をすると、自分が2回目の休職をして間もなく同僚も退職したとのこと。正直ショックだったのと同時に納得もしました。
休息入院から退院後、再び復職。でも、騙し騙しの復職でした。
復職した時は正直「辞めます」というつもりだったけど、強い慰留を受けて「もう少し続けます」といって続けることに。でも仕事がうまくできない状態は変わらず、復職から半年後に退職。退職の引き金になったのは、保護者対応ができなかったこと。
そんなことで、自分の中では「もう福祉の仕事は就かないかな」と思っていました。
ただ時間が経ってくると自分の心持ちも変わってくるのか、確かに落ち着いては来ました。そんな中、求職活動中に見つけたのが今の職場の求人。それも職種は「相談支援専門員」。
自分が「もう、やらない」と思った仕事をまたやろうとしていたんですよね。
退職した直後であればそんなことは絶対に思わないのですが、この時は退職してから7ヶ月が経過。仕事から離れたことで少し冷静に物事を考えられるようになっていたのかもしれません。ここが「適応障害」と思う理由。ストレスになっている事象がなくなることで回復していくのが、適応障害。「仕事」というストレスがなくなって回復した結果、再び福祉の仕事、それも全く同じ仕事を考えるようになったんですよね。
で、その結果が今の自分。しっかりと復職できました。
復職してからのことは、ここで書いている通り。ボロボロだったあの時からは想像できないくらいです。もちろん、復職した時の不安があったのも事実。それもここで書いている通り。でも少しずつ仕事を重ねることで自分の中でも自信の回復につながったのでしょうね。
ちなみに、気分障害の薬は飲まなくなりました。
今はパニックだけの薬で、その薬も減薬が始まりました。まぁ調子が悪くなり始めた時は、パニックの薬が気分障害にも効く薬でもあったので「薬を飲んでいるから、悪くなることはない」と変な根拠を持っていたんですよね。でも、結果としては「薬を飲んでいても、悪くなるものは、悪くなる」ということ。薬は万能ではないですね。もちろん、ちゃんと効果は発揮しますが、過度な信用は禁物ということです。
ただ、ちゃんと回復できたのは、適切な治療と適切な休息だったのかと思います。
「体を壊してまでやる仕事はない」というのは全くその通りで、ダメと思ったら早く見切りをつけることも必要だったのでしょうね。もちろん職場の環境改善で何とかなるなら、その方が良いと思います。でも自分の場合はどんなに変えても無理だったから、辞めるという結論が良かったのかもしれません。
あと、一応これらの経験も無駄ではなかったと思っています。
事実、この経験があって今の立場(法人主任)になってよかったと思いますし、今の立場になっても自分が「無理」ってことはやっていません。それはあらかじめ施設長にも話しているので、理解も得られているからでしょうね。
まぁ疾病体験は嫌なものが多いと思います。
でもそこから学ぶこともあると思うので、全てがダメだったものというのではなく、そこから次に繋がればいいのかな・・・とも思います。