「お金をかけた」とより「お金がかかった」ことですね。

それは、児童劇団の費用。

 

もう時効なので話せますが、幼い時児童劇団に入っていました。

名前を出せば今でこそ有名ですが、当時は自分もよくわかりませんでした。

 

なぜ入ろうと思ったのか・・・自分でもよくわかっていません。

ただなんとなく興味や関心に惹かれたのは間違えないようです。当時新聞広告に出ていたのをみてなんとなく面白そうな話をしたところ、話がなんとなくやってみる方向になり、入団のオーディションを受け合格し、入団しました。

 

ただ母としては結構心配していたようです。

今でこそ自分の疾患がパニック障害とわかっているのですが、当時オーディションを受けようとしていた時は、今のパニック発作が起き始めた時期。その時は何の病気なのかも全くわからない状態だったため、事前に病院の主治医へ相談に行ったとのこと。すると主治医からは「神経質な性格みたいだから、そういう経験をするのも良いでしょう」とのことで受けることになったみたいです。

 

無事オーディションは合格したのですが・・・問題はその先。

入団すれば、当然お金がかかる。今から36年前の話、当時入団にかかった初期費用は30万円。今でも30万円は大金ですが、当時の自分は小学生なのでそんなお金がかかるなんて思っていませんでした。でも母親は二つ返事で支払うことに。さらに月々のレッスン代が1万3000円。それも払ってくれました。

 

正直な話、我が家は決して裕福ではありませんでした。

そのことを子どもながらに感じていた部分もあったので、30万円というお金は衝撃的な金額でした。ただそれでも出してくれたのは、自分の成長のことを考えてのことだったんだろうと思います。今でこそ子役は1つの地位を確立していますが、自分が劇団に入った頃は今ほどの地位はなく、主役になるような存在ではありませんでした。なので、ある意味相当な投資だったかもしれません。

 

こうして自分は9歳から18歳まで、児童劇団に所属していました。

レッスン料が毎月発生するのは当然のこと、レッスンに通うための交通費もかかりました。最初の頃は母親と一緒に通っており、また外で食事をすることもあったのでお金はそれなりにかかっていきました。また劇団内で開催される芝居に出る時も、出演料がかかることに。今思えばホントにお金がかかっていたと思います。

 

で、長く所属していると劇団の外での活動も増えます。

自分の場合は小学6年生の頃から主要な役を担う「お仕事」もするようになり、そのために撮影場所や稽古場に行くことも多くなりました。しかしそれらの費用はすべて自腹。その度に都心まで通っていたので、交通費だけでも相当な額になりました。

 

一方でお仕事をすれば、出演料も受け取ります。

ただ・・・出演料は安いです。今思えば「なんて安いんだ」と思いますね。出演料よりも交通費などにかかった費用の方が高く、収支的にはマイナス。劇団にいたときに稼げたことはありません。

 

それでも、今思えば得たものはあります。

一番得ることができたのは、多少の度胸。人前に出るのが苦手で、話すこともできなかった自分。そんな自分が人前で堂々として今のような仕事をするようになったのは、まさにこの時の経験が礎だと思います。これがなかったら、自分の人生はまた違っていたかもしれません。

 

そう、劇団にいたことで「障害」も学びました。

自分が16歳の時に筋ジストロフィーのことを描いた舞台に出演した時、自分の中で勝手に「障害者」の像を描いていました。ある日役作りのために筋ジストロフィーの方が書いた日記を読むことがありましたが、その時にものすごい衝撃を受けた覚えがあります。日記は当時の自分と同世代ぐらいの人が書いたものでしたが、内容は障害のあるなし関係なく、普段自分が思うことがそのまま書いてあり、日記を読んで自分がものすごく偏見を持って障害のことを見ていたと感じた覚えがあります。

 

当時の自分は「筋ジストロフィー=長生きできない」という考えしかありませんでした。

なのでその役を演じるのは「体が動かず、死を待つ」という勝手なイメージしか持っていませんでした。しかし日記を読んでその考えは一気に打ち砕かれ、障害を持っていても考えていることは全く同じであることを気づかされ、とんでもない偏見を持っていたことを思い知らされました。

 

その時はまさか自分が福祉の仕事をしていることを想像していませんでした。

でも当時の経験は今の自分にとっては必要な経験で、福祉というものに初めて触れた出来事でした。その後母の病気もあり本格的に福祉の仕事を考え、今ではこの世界一筋で仕事をしています。今思えば、あの経験はとても大事な経験だったと思います。

 

お金はものすごくかかったし、お金をかけてもらいました。

でも今こうやって振り返れば、それ以上のものを得たようにも思います。特に「障害理解」の経験は決してお金では買えないものであり、劇団にいたからこそできた経験だったと思います。なかなかできないことをやらせてもらい、本当に感謝です。

 

親が私に一番お金をかけたこと

 

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久しぶりに仕事に行きました。

まだ気持ちの整理はついていませんが、仕事をしてみると思ったよりも集中できました。やっぱり、何もしていないよりは何かしているほうが、気持ちとしては良いのかもしれません。

 

こんな書き方の始まりですが、正直切り出しが分からないだけです。

単刀直入に言えばいいのですが、やはりすぐには切り出せないものです。

 

ここでも何度か書いていましたが、最愛の母が旅立ちました。

長年透析治療をして、危ない状態が何度もありましたが、最後は安らかに旅立ちました。

 

思えば去年の11月の時点で、最初の決断を迫られていました。

その時はまだ自分も心の整理ができておらず、ただただ助けたい一心でした。そこで一命はとりとめたものの、やはりこれが1つのきっかけだったように思います。

 

その後在宅復帰を目指して転院をしましたが、一方で覚悟もしていました。

ここまで色々な出来事があると、もう何が起こってもおかしくない状態と思い、病院の先生からも言われていました。

 

この半年間は、自分の心の準備の時間だったように感じます。

GW前に病院に呼び出されたときは、いよいよその時が来たと感じていました。それでも母と話すことができたので安心していましたが、容体は徐々に悪くなっていました。

 

そしていよいよ最期の時、母親を看取ることに。

もちろん悲しい気持ちはいっぱいで、涙も出てきました。でも、半年間準備をしていたためか思ったよりも自分自身を保っていたように思います。半年前だとそんな準備はできていなかったと思います。母もそうでしたが、自分も結果的にソフトランディングした形だったのかもしれません。

 

とはいえ、正直辛いです。

すべてを終えて母を抱えて自宅に戻ってきても、ふと涙が出てきます。今もこうやって書いていると、涙が出てきます。書かなきゃいいのにと思いながら・・・

 

でもどこかで自分も整理しなければ、前に進めない気がします。

別にプライベートなことなので書く必要はないことですが、その気持ちを押し殺しながら何事もなかったかのように日常を取り戻すのは、正直できなそうです。だから、まだ気持ちの整理はできていなくても、またこれからいつも通りにブログを書いていくためには、この場だけでも整理する必要はあるのかな、と思います。

 

久しぶりに出勤した職場、仕事が溜まっていました。

もちろん利用者さんも自分の母が亡くなったことは知っており、一部の利用者さんからは哀悼のあいさつもいただきました。相談支援の関係にある利用者さんとも話しましたが、思ったよりも普通に話すことができており、気持ちが揺らぐことはありませんでした。むしろ自宅にいるより仕事をしているほうが、気持ち的には良いのかもしれません。

 

ただ・・・寂しいです。

自分で身の回りのことをする生活は慣れましたが、母のいないことが日常になることは、何とも言えません。いつかは別れがあり、それは自然の摂理でありますが、それを受け入れるのにはまだ時間がかかりそうです。

 

一方で、きっと母なら「いつまでも泣くな」と言ってそうな気がします。

そんな自分は強くないですし、落ち込みますし、心が癒えるのにはまだ時間がかかると思います。でもいつまでもそんな状態ではいられません。なので、これをまた1歩に、前に進んでいかないといけないのかもしれません。

 

「泣けてくる」なんて一言では片づけられませんが・・・

ふと思い出すと、泣けてきます。

なんだか泣けてくる

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今日も出勤・・・と言っても、仕事らしい仕事はしていません。

平日に施設内の工事ができないため、その立ち会いのために半日だけ出勤。長引かなければ・・・と思っていましたが、予定通り半日で終了しました。

 

で今日は夕方が精神科通院。家に戻るのも面倒なので、外で過ごしています。

今日のブログも、そんな時間ができたから。

 

世間的にはゴールデンウィークが終わって「五月病」とやらなんとやら。

そりゃ10連休もすりゃ、仕事なんか行きたくなくなりますよ。むしろ自分は10連休取れる人が羨ましい。自分の仕事は基本的にカレンダー通り。そんなに休んでしまったら・・・仕事が終わりません。

 

そんな中先日、ちょっと重いケースの対応をしました。非常に悩ましいケースです。

最近調子を崩している方がいて、頻回に電話がかかって来ています。その都度電話で色々と助言をしているのですが、ある日の電話は自宅では外の様子。するとその方から「団地にいます」とのこと。

 

「うち(自分の職場)に来れますか?」と聞き、来れるとのことで来てもらいました。

この行動、自殺企図です。まだ冷静さがあったので良かったのですが、状況によっては駆けつけ以上の対応が必要なケース。

 

来てもらった後は、長めの面談を実施。

日頃から定期的に精神科に通院しているものの、主治医からの言いつけを守ろうとするがあまりに上手くできない状態に悪い循環へ回ってしまった状態です。この方から出てくる言葉で常に口にしていたのは「いろんな人に迷惑をかけた」ということでした。

 

この方の主たる病状はうつ病です。

この考えはまさにうつ状態からきているものであり、その他にも体が動かない、気持ちが上向かないなど、うつの症状が強く出ている状態です。で、今まではなんとかなっていたけどここで行動化してしまった状態です。ただ行動化した結果「怖気ついてしまった」とのことで、まず引き寄せることで対応し、1つ1つ物事を整理して対応していきました。

 

「うつ」といえば、先日のNHKスペシャルを見られた方もいるでしょうか。

サカナクションの山口一郎さんのことを放送していましたね。自分も見ましたし、最後は涙しました。

 

山口さんの状態も、まさにうつの典型症状でした。

体が動かないことや興味が薄くなること、行こうと思っても行けない・・・うつの渦中にある状態が映し出されていました。

 

このブログでも書いていますが、自分も抑うつ状態になり、仕事を休みました。

その時の自分も、こんな状態でした。自分が生きている意味を見出せず、母親に対していつも「ごめんなさい」と泣きついていました。別に何も悪いことをしていないのですが、何もできない自分を強く責め立てていたのでしょうね。

 

これらの状態、すべての原因は「うつ」です。

うつになると、人は正常な判断ができなくなります。よく「うつの時に重大な決定は先送りにする」と言いますが、それはこういうところがあるからです。うつは脳の機能異常なので、思考なども正しい認識ができないこともあります。「迷惑をかけている」と言っていたケースも、周囲は全く迷惑だと思っていないのですが本人はそういう認識になってしまいます。別に誰からも「迷惑」とか言われていなくても、そう感じてしまう状態で「認知の歪み」とも言えます。

 

自分の経験から、そんな時の対処は「何もしない」の1つ。

動くことができないのは完全なパワーレス状態なので、その時に行動を起こすのはものすごく辛い行為。であれば、その時はあるがままにその状態を受け入れる。動けないのは怠けているのではなく、全て「うつ」がそうさせているだけのこと。病気のせいなので、その人のせいではありません。だから、できないのであれば何もしなくていいと思っています。

 

一方、何かできそうならその範囲の中でやれば構わない。

「頑張らなくてもできること」があれば、それをやれば構わないです。雨戸を開けるでも良いですし、顔を洗うでも良い。どんな些細なことでも、できたらそれを評価するのが大事だと考えます。

 

個人的に望みたいのは、陽の光を浴びる。体内リズムを戻すため。

でもそれも難しいケースがあると思うので、その時は家の中・ベッドの上でも良いから部屋を明るくするのでもよし。いきなり高い目標を掲げるのではなく、現実的にできそうなことを積み重ねることが大事かなと思います。自分と面談をした方もできそうなことリストを作って今後の行動指標にしました。

 

基本的に精神疾患が直接原因で死ぬことはありません。

精神疾患に罹患した結果、正しい行動ができないために命を落とすことはあります。なのでうつ病や統合失調症など精神疾患そのものが死因にはなりません。基本的には死なない病気なのですが、間違った判断をしてしまうと命の危機が訪れます。なので自分たちはその状況を常に気にしています。安定している人であれば問題ないのですが、行動化した場合は必要に応じた対応をすることもあります。最悪の場合は、保護して貰うことも選択肢の1つです。ただ今まで自分の仕事の中では、そこまでのケースはありません。

 

常に自分が心がけているのは、寄り添った支援。

相談支援という仕事はどうしても直接的なことができない仕事。それでも心のつながりを持ちながら精神的には繋がっていることを意識してもらえればと思っています。そのためには日頃から遠慮なく連絡をしてもらえる関係を構築し、ともに考え行動していくことが大事なのだと思います。うつ病もそうですが、精神疾患は難しい疾患です。

 

 

※「精神疾患が直接原因で死ぬことはない」と書きましたが、てんかんは違います。

てんかんは分類上「神経疾患」になるので精神疾患ではありません。ですからてんかん重積発作になった場合は命の危険があるので緊急の対応が必要になります。てんかんも精神保健福祉手帳の対象であり、精神科領域でてんかんを診る場合もあるので精神疾患と認識される方もいるかもしれません。「精神領域ではあるが、精神疾患ではない」と考えていただければと思います。

今年最初の就労体験イベント。

うちの施設では、ある種恒例のイベントになっています。

 

就労体験のお話は、いつもお世話になっている東京ヴェルディから。

東京ヴェルディの就労体験についての話は毎回話しているので、詳しい話は省略します。過去の就労体験に関する話は右にある検索窓で「東京ヴェルディ」と入力してください。全て、出てきます。

 

今回の就労体験は、いつもよりも短めのショートバージョン。

また今回はいつもの「Grenn Heart Project」ではなく、ヴェルディ独自の就労体験イベント。元々はヴェルディのインクルーシブスポーツフェスタの一環で開催され、そこにヴェルディの方からお誘いを受けてメンバーに募ったところ「参加したい」との声があり、朝から味スタ(インクルーシブスポーツフェスタはAGFフィールド)に行って来ました。

 

ショートバージョンだったためか、今回は全体の参加者も少なめ。

いつもは結構な大所帯がいくつもあったりしたけど、今日はグループで来ていたのはうちくらい。自分も今の職場に来てからヴェルディさんとお付き合いをさせて頂いているので半分仕事・半分楽しみにして参加しています。

 

内容はミニスポーツ教室と、インクルーシブスポーツフェスタのお手伝い。

フェスタのお手伝いではみんなが同じところをやってしまう状態になってしまったけど、うちのメンバーさんは機転を利かせて後方サポートを自らやっていました。自分もメンバーさんが困らないように声をかけながらサポート。でもメンバーさんが自分たちで考えて行動してもらえるのは、ちょっと嬉しかったです。

 

いつもの就労体験が半日ぐらいだけど、今日は1時間半程度。

もしかしたらメンバーさんにとっては物足りなかったかもしれないけど、あるメンバーはそのままインクルーシブスポーツフェスタに参加し、あるメンバーさんは「短くてちょうど良かった」と話される人もいて、それはそれでよかったのかなと。

 

で、一部のメンバーは就労体験の後の「これ」を楽しみに。

 

就労体験とセットになっている、当日の試合観戦。

これまではJ2だったけど、今季からJ1に昇格したので、それを楽しみにしているメンバーも。(実は自分もちょっと楽しみにしています)

 

ただ・・・J2時代、就労体験の時の戦績は良くない状態。

それゆえメンバーも就労体験に参加するたびに「今回は勝つよね?」と話しながらも、最近の勝てていないヴェルディに不安視する声もありました。もっとも前節は勝利したものの、まだホームでは勝ち星なし。で、これまでの結果を考えると・・・って感じでした。

 

でも・・・最終的には、こんな結果に。

 

いやぁ、良かった良かった。ホーム初勝利!

 

ホント、どうなるかと思いました。

前半こそ2−0で堅実に試合を進めたものの、後半になり2失点。「やっぱり、ダメだな・・・」と思いながら今シーズン幾度と見てきた「勝ち切れない」試合になるのかなと思っていました。さらに後半33分でVARが入り、PKの判定。やっぱりダメか・・・と思ったPK。しかしPKが外れたことで、スタジアムの空気は一気にヴェルディに傾き、磐田のレッドカードでボルテージは高まり一気に押せ押せに。そしてアディショナルタイムで、念願の3点目。スタジアムはこれまで溜まっていたパワーが一気に爆発し、大歓声!そのまま試合終了の笛が吹かれると、スタジアムは歓喜の声。

 

いやぁ、気持ちいい試合をみることができました。

今までは本当に勝ち切ることのできなかった試合ばっかり。でも今日はスタジアムの空気もしっかりと味方につけて、しっかりと勝つことができたのは本当に良かった。それと、J2の時とJ1では、やはり熱気が違いました。サポーターの熱量の違いもすごく感じましたし、やはりJ1の舞台で試合をするのはものすごく重要なことであることを改めて感じました。

 

個人的には今シーズンに関しては高い目標は求めません。

まず、今年1年J1で戦い切り、来季もJ1でプレーすること。1桁順位で今シーズンを終えることができれば、十分なんじゃないでしょうか。でも、まだ始まったばかり。試合には勝って欲しいけど、試合に負けないことは後々影響が出てくるはず。まずは負けない試合をして、スタジアムの空気が味方している時はその風に乗って勝ち切って欲しいですね。

 

でもなんか、勝つっていいですね。気持ちいいものです。

今日は色々と物事が重なりました。

時間がある日はとことん時間があるのですが、物事が重なる時はとことん重なります。

 

自分のところで言う「物事」とは、相談諸々ややること。

相談は予定した訪問活動や面談はもちろん、電話が多くかかってきたり突発的な来所対応など。やることは相談以外の出来事。会議やプログラム参加など。基本的に今は相談事業専従で仕事をしているけど、時にはサポートすることもあるので必ずしも他の仕事をしないわけではありません。

 

午前は訪問活動。同じところで、2つの案件。

1つは計画相談でモニタリング&計画更新のための意向確認。対象の人が誕生月で、障害福祉サービスの受給者証が期限を迎えるため、新しい受給者証を発行してもらうためにサービス等利用計画案を作るための意向確認をしてきました。当然ながら新しい計画を立てるためにはモニタリングも必要なので、あわせて実施。

 

もう1つの案件は、施設内での問題行動の確認。

問題行動といっても誰かを傷つけたと言うのではなく、全面禁煙の貸しビル内のトイレでタバコを吸ったというもの。小さいことといえばそうかもしれないけど、万一のことが起これば小さいことでは済まされないことなので、その辺の事情確認をしてきました。ご本人の話も聞いてきて気持ちも確認してきましたが・・・まぁ、ダメなものはダメですよね。ただ実際にはこれ以外のことも色々と話をしてきました。

 

職場に戻ってきて昼食を食べた後は、プログラムのサポート。

今日はメンバーミーティングがあったのですが・・・参加者は2人。色々と決めたいこともあったのですが、これでは決められません。自分は書記で関わっていましたが、実際には書記だけでなく利用者さんの意見を引き出すために色々と話をしていました。

で、その間に他の利用者さんの対応で中座することも。慌ただしい・・・

 

メンバーミーティングが終わって一休みしてからは、利用者さんを送迎。

送迎から戻って来ると、すぐさま電話対応。希死念慮を訴える利用者さんの話を聞き、傾聴しながら助言。電話が終わったら、すぐ会議。今日は施設長が早退したので、必然的に進行役は自分。進行しながら、途中で電話がかかってきたり、来訪者が来たりと・・・うーん、落ち着かない。で、会議が終わった後にも関係機関からの電話対応。

 

結局今日の相談記録などを含めた日誌作成は、定時終了後。

そこから記録を入力して、モニタリング報告書の一部を作成して、計画案の一部を作成してと・・・

 

いやぁ、これが毎日だと大変ですよね。

ただ幸いなのか、毎日ではないのが今の自分の職場。以前の職場はこれがほぼ毎日。面談も1日に何組も組んだり、その後に複数の会議に参加など本当に大変な日が多かったです。あの頃に比べたらまだ自分のペースで仕事ができているので、その点ではありがたい職場です。

 

もちろん小さな法人なので、やることはたくさんあります。

やる内容や分量は転職を重ねるにつれて多くなっていると思います。転職前に比べ転職後の方が仕事が減った・・・ということは、ないですね。まぁこれをキャリアアップと言っていいのはわかりませんが・・・楽ではないですね。楽ではないですが、苦しくもないです。前の職場は大変で苦しい状態でしたが、それがないだけ今の職場はいいですね。

 

まぁ仕事や職場はある意味「運」みたいなところもあると思います。

実際に仕事をしてみないとわからない部分もありますし、同じ「大変」でも人によってその捉え方は違いますから、自分と同じ基準で測ることはできないと思います。ただ少なくとも今の自分にとっては、悪い仕事ではなく悪い職場ではないと思います。

 

5月になり、新社会人の人にとっては「辞めたい」と思う人もいるでしょうね。

すぐに辞めるのも構いませんが、もう少し様子を見てみることも、あってはいいじゃないですかね。もちろん体を壊すようなところであればすぐに決断した方が良いですが、ただなんとなく「嫌だなぁ」なら、もう少し考えてみるのも良いのかな・・・と思う、おじさんの思いであります。

職業・・・相談支援専門員

これで理解できる人は、どれだけいるのでしょうか。

 

で、改めて自分の過去のブログを見たら・・・あら、書いていない。

てっきり相談支援専門員の仕事のことを書いていると思っていました。なら、改めて。

 

ここでも何度となく自分の仕事を話しているので、改めて話す部分も少ないです。

自分の仕事としてここに書いていることがまさに相談支援専門員の仕事なのですが、あえて定義的に相談支援専門員の仕事を書くなら、次のことだと思います。

 

1、サービス等利用計画の作成

2、継続サービス等利用計画(モニタリング)の作成

3、障害福祉に関する相談

 

平たく言ってしまえば、こう言うことなんだと思います。

ただ具体的に何をしているのかといえば、まさにここで書いていることが相談支援であります。ただ「相談支援」の認識は人によって違うもので、本当に基本的なことだけをする相談支援専門員がいれば、自分のように「困っていることがあれば、なんでもやる」的に仕事をする相談支援専門員もいます。もちろんどちらが正しいと言うものはなく、どちらが間違っていると言うものもあります。

 

ただ1つ言えるのは、それぞれの相談支援専門員がどんなマインドで仕事をしているか。

さっきも話したように、自分の場合は「困り事があれば、可能な限りの支援をする」と言うスタンスなので、お金にならないこともたくさんやっています。今回の報酬改定で報酬化されましたが、当時はまだ報酬が貰えなかった通院同行も当たり前のようにやっていました。ただ「必要であれば、やる」のが自分の考えなので、そこに報酬が発生するか否かは自分にとっては関係ありません。そのマインドの違いで、相談支援専門員の働きは変わってくるのではないかと思います。

 

制度的なことを言えば、相談支援専門員が創設されたのは平成18年。

現在の障害者総合支援法の前身、障害者自立支援法が施行されたのにあわせて創設されました。また相談支援事業も法律に明記されました。

 

そして平成24年に障害者総合支援法に改正・改題され、相談支援も見直されました。

その結果、現在のサービス等利用計画の作成が必須(完全実施は平成27年)とされ、その作成を担うものとして相談支援専門員が位置付けられました。現在の「計画相談支援」が位置づけられたのもこの年で、自分はそれにあわせて相談支援専門員として仕事をしています。

 

令和5年の時点で、計画相談を行う事業所の数は、全国で11,846事業所。

事業所には配置されている相談支援専門員の数は、27,028人。ただ令和4年までに相談支援従事者初任者研修を修了している人数は161,460人とのことです。なので研修を受けた人全員が計画相談に携わっているわけではないと言うことです。もちろんその中には市区町村が実施主体となる相談支援事業に携わっている人もいますが、それでも研修を受けただけの人も一定数いることは事実でもあります。

 

ちなみに平成30年に主任相談支援専門員が創設されました。

まだ数は多くありませんが、自分もいずれは主任相談支援専門員の研修を受けることも考えています。まぁ1人職場なので、主任相談支援専門員になってもそんなに変化はないんですけどね。

 

と、ここまで色々と書きましたが、残念なことに一言では説明できなんですよね。

介護支援専門員(ケアマネージャー)であれば何となく広く仕事の内容が知れている部分がありますが、相談支援専門員はそこまで知れていないんですよね。でもやっていることはケアマネージャーに似ている部分もあるので、端的に説明するときは「ケアマネージャーの障害者版」と話しています。

 

でも・・・厳密にはケアマネージャーとも違う部分もあります。

もちろん基本的な支援のあり方はケアマネジメントなので、その部分は同じです。しかし業務内容と言う部分では、違う部分も多いかなと思います。報酬の仕組みも違いますし、全く同列の仕事とは言い切れない部分があるのも事実です。ただ一般的に説明をするためにはケアマネージャーを用いた方がわかりやすいので、便宜的に使っている部分があります。

 

仕事としては、やりがいはあります。面白いです。

しかし事業として成り立つかと言うと・・・そうとは言えません。それはもうここで何度となく言ってきました。また国は相談支援専門員を「必要な人材」と言っていますが、にもかかわらず福祉従事者に対する処遇改善の対象にはなっていません。その辺もなんだか矛盾を感じています。

 

にもかかわらず仕事を続けるのは、半分使命感もあるかもしれません。

なんだかんだ言いながら、やっぱりこの仕事は必要な仕事。実際に相談支援が入っていたから機能したこともありますし、入ったおかげで支援が進んだケースもあります。そう言う現状を見ると、お金にならないからすぐに廃止すると言う考えはなかなかできないですね。それに、相談支援を必要としている人がいるのも事実ですから。

 

なので、自分はこうやって色々と話し、訴えていくことが必要なんですよね。

自己満足でしかありませんが、それでも伝えなければこの仕事の認知が広がらないですからね。いつの日か、本当の意味で日の当たる職業になって欲しいものです。

 

私の職業は

 

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相談支援をしていると、色々と感じることがあります。

うまくいくことがあれば、そうではない時もあります。むしろうまくいかないことの方が多いと思います。

 

今日はモニタリングで訪問活動。

計画相談支援は基本的にご本人主体の計画作成ですが、時としてそれを支えるご家族の支援も必要です。今日はそんなご家族支援としてのモニタリングをしてきました。

 

ご本人にお話を聞くのと同様、ご家族にもお話を聞きます。

今回の場合はご家族・・・ご両親の「困り感」について特に重視してお話を聞いていました。ただお父様とお母様の困り感はだいぶ違う様子をひしひしと感じています。

 

元々この方の計画相談はお母様からの依頼で開始。

そもそそ「計画相談」そのものがわからず、その説明からスタートする形に。個人的には色々と考える部分がありました、ご本人とお母様を見ていて強く感じたのは、お母様の負担感。ご本人は何も困っていない様子ですが、それを支えるお母様は多大な負担感を持っており、これはなんとかしなければとの思いで支援が始まりました。

 

その間、新たな支援を導入してお母様の負担感解消にも努めました。

必要に応じて主治医連絡も行い、状況の改善に努めてきました。そのおかげで、今日のモニタリングでもお母様から「新たな支援が良かった」との話も聞けました。

 

しかしそれで負担感がなくなったかといえば、そうではない状態。

依然としてご本人に対する支援の負担感は持っており、それが家族関係に起因しているものであるのでなかなか支援が難しい状態。その負担感をお父様も共有していればまだ良いのですが・・・そうではないのが問題の1つ。

 

ご両親ともに共通の負担感や困り感があれば、話しやすい部分があります。

しかし一方が負担感・困り感を持っているのにもう一方は持っていないと、負担感・困り感の認識一致ができず、片やすごく大変なのに片や大変さの認識がもてず足並みが揃えられない状態になります。それが共有できないと、共に歩めない状態に。

 

実際にお母様とお父様それぞれから話を聞いていても、その雰囲気を如実に感じました。

お母様としてはご本人の支援をなんとかしたい思いがあるのに、お父様は「本人次第」と意識が違う状態。決定的なのはお母様がお父様に意見を求めたことに対しお父様は「わからない」の一言。これじゃお母様の負担は解消できません。

 

もちろんお母様・お父様それぞれのパーソナリティもあると思います。

ただ根本にはご家族としての意思統一がされていない部分もあり、ご本人に対してご両親が足並み揃った対応ができない状態があります。そこに自分がズバッと言えれば良いのですが、関係性を考えるとそうはいかない現実もあります。結果、お母様だけが抱えてしまう状態に。

 

何も考えなくて良いのであれば、荒療治に出ることも1つだと思います。

お母様の時間が全くないので、この際お母様が家を出て一人暮らし。ご本人とお父様2人で生活をすれば、お父様もお母様の負担感を理解できるのではないかと思いますが・・・実際そんな提案、できないですよね。立場がなければ、そんなことを言ってしまいたいです。

 

同じく、お父様に「そんなんじゃダメですよ!」と言いたい部分もあります。

でもやっぱり・・・立場がある以上、簡単にそうは言えません。逆を言えば、そこまでの関係性ができていないと言うこと。でもその関係を構築するのはなかなか大変なことです。ある種家族以上の関係性がないと、そこまで言うのは難しいですよね。

 

そして・・・やはり計画相談支援の基本はご本人。

どんな状態であっても、ご本人なしに計画は成り立ちません。いかにご本人にも理解してらいながら進めていくことが必要です。時には厳しいことを言う必要もあるかもしれまんが、その中でご本人の変容を目指せるか。それに向けて自分もアプローチをしていますが、まだ結果は出ていません。

 

ここが対人援助の難しさですね。

モノ相手であれば故障している部品を取り替えたり不具合を調整すれば終わるかもしれません。でも自分が相手にしているの「人の心」なので、機械のようにできるものではありません。教科書通りにいかないことがほとんどで、常に試行錯誤しながらやっていくしかありません。

 

正直、簡単な仕事じゃありません。大変な仕事です。

でも自分がそれを仕事として選んだ以上は、それに向き合っていく必要があります。もちろんいつもそんなことを考えていたら体が持ちませんので、ちゃんとリフレッシュすることも必要。こうやって支援の実際を話すことも、自分の中でのコーピングの1つだと思います。当然ながら個人が特定されるような形は倫理上問題があるのでその辺は配慮しつつも、相談支援の仕事をこうやって話し伝えることが自分にとっての気分転換にしていると思います。

 

もちろんここで書いたからと言って、問題は解決しません。

ただ自分自身も問題整理のきっかけになるので、自分にとっては必要な作業だと思います。で、後で見返したときに「これ、何のことだっけ?」と思うこともあるのですが・・・それくらいになっていると良いのかもしれませんね。

今日は特になんてことありません。

ようやく職場近くの桜が綺麗になりました。

 

昼間はメンバーさんと一緒にお花見に行ってきました。

昼間の桜も綺麗ですが、夜のライトアップされた桜もまた良しですね。

 

すみません・・・ちゃんとしたことはまた書きます。

たまには写真だけの投稿も、いいのかな。

4月になりました。

うちの事業所では、珍しく新年度らしさを感じています。いや、自分自身がそう感じているだけかもしれません。

 

それは新しい職員が入りました。それも新卒。

うちの事業所で新卒の人を採用するのは初めてとのこと。自分自身も今まで働いていた場所で新卒の人を迎えたことはなく、初めての経験。それだけにいつになく新年度らしさを感じています。

 

と同時に、新年度は変更の嵐。

特にこの時期に絶対にやらなくてはいけないことが、東京都への変更届。就労継続支援B型などの一部の事業所は毎年4月に報酬に関しての変更届を出さなけければいけません。もし出さないと・・・最下位の報酬体系で各種加算も認められない状態なので、必要な報酬と必要な加算を取るためには必ず変更届を出さなければいけません。

 

特に今年度は報酬改定の年。

そのためほぼ全ての障害福祉サービス事業所で変更届を出すことになります。自分もそれに向けて3月から準備をしていましたが・・・今日になりようやく、東京都から変更届の書式が提示されました。

 

これは毎年思うことなのですが・・・いつも書式の提示がギリギリなんですよね。

今日新しい書式が提示され、4月1日から新しい報酬を算定をしたい事業所は4月12日までに提出しなければいけません。厳密には4月11日の消印で12日に到着とのこと。10日に満たない期間で全ての書類を作成して届け出るなんて・・・本当、なんでこんなに無茶振りをするのかといつも思います。

 

なので想定される部分は事前に準備をしないと作成が大変です。

それを見越してある程度は準備をしているものの、やはり大変です。それを今まで親方様(うちのボス;管理者ですね)が1人でやっていたと思うと・・・いやぁ、大変です。日々の業務があまりに多い親方様なので、せめて自分ができる部分は自分がやらなきゃです。

 

ただ、今年度はこれだけじゃ済みません。

6月にはまた変更届の提出が必要。と言うのは、6月から処遇改善加算が変わり、それに合わせてその届出が必要になります。その部分については今の段階からどの加算を選ぶか検討をしているところ。もちろん今までの実績に基づいて選択する部分はあるのですが、職員の給料を確保するためにはできるだけ優位な段階を選びたいと思うのは当然のこと。と同時に、法人としてどの段階まで実行できるかも見据えながら選ぶ必要もあるので、なかなか大変です。

 

さらに、うちの事業所に関して言えば5月にも変更届を出す準備も。

5月から算定できる加算があるので、その変更届の準備もしています。で、その加算を算定するためには4月15日までに届かないと5月から算定できないとのこと。つまり・・・4月のからの変更届と5月からの変更届、そんなに期間を待たずに出さなければいけません。できれば4月の時にまとめて申請をしたいのですが・・・4月の変更届の段階ではまだ算定できる要件に合致しないので、その分は別に出さないとダメなんですよね。

 

もちろん、それも見越して準備はしています。なので、同時に出す予定です。

作成する書類は結構あるので、正直東京都が提示してから作るのでは遅いです。事前にできるものは準備して、提示されてから修正していかないと間に合わないですね。これだけは事業所の収入に直結するものになるので、絶対に遅れるわけにはいきません。

 

で、計画相談の方もどうやら届出は必要そうで・・・

まぁこの時期特有なものなのでありませんが、届出書類に追われている状態。不幸中の幸いなのは、今月の計画作成とモニタリングが少ないこと。少ないから力を割くことができる部分もあります。

 

まぁこう言うことをやるのも、前の事業所での経験があったから。

イヤイヤながらも課長になったことでこう言ったことにも意識せざるを得なくなり、結果的に報酬や指定基準のことも理解することに。大変な経験でしたが、今となっては役になっているので良かったのかもしれません。親方様の苦労も身にしみてわかるので、自分ができるところはやらなきゃと自然になりますね。

 

これはうちの事業所だけでなく、全ての事業所でやっていること。

大きな法人であれば事務方がやると思いますが、うちは小さな法人なので事務方はいません。なので自分たちがやるしかないのですが、その分色んなことを経験したり学ぶことができるのは、それはそれで貴重なことだと思います。大変ですけどね・・・

もはや、もう無理なのかも・・・と思っています。

これも「諦め」なのかもしれません。

 

この仕事をしてこんなことを言うのも何ですが・・・人見知りです。

特に異性は苦手で、異性と話をするのはとても苦手なことです。

 

にも関わらず、自分の仕事は相談支援。

話をしなければ始まらない仕事なのに、話をするのが苦手って・・・矛盾していますよね。

 

一応、仕事上では大丈夫みたいです。

利用者さんとのコミュにケーションは問題ないですし、それは男性女性限らず支障はありません。職員間のコミュニケーションも問題ありません。対外的なコミュニケーションも問題ありません。いわゆる「社会人」としてやるべき場面では問題はないようです。

 

が、プライベートでは・・・どうでしょう。

もちろん仕事の経験で多少は話せるようになったと思いますが、それでも自分から積極的に話をするのは、未だに苦手です。それは仕事でも同じかも。知っている人であれば話せるけど、懇談会や懇親会などの席で自分から話をするのは、やっぱりダメですね。

 

そんな自分ですから、当然ながら合コンとは全く縁なし。

そんな場に行きたいと思いませんでしたし、仮に誘われたとしても行かないですね。自分の中に強烈な苦手意識があるのだと思います。

 

何でこんなにダメなのか・・・多分小さい時の経験があるかも。

見えない相手に言うのも何ですが、小さい時も今もぽっちゃり(と言えば聞こえはいいが、要は太っているだけのこと)体型。なので小さい時は容姿から敬遠されることもあり、そんなことが頭の中に残っているので、いつまで経っても積極的になれない自分。

 

それは大学生になっても同じ。

どこか自分の中で「こんな自分が・・・」と引いてしまう部分もあり、自分から積極的に付き合いをするタイプではありませんでした。そのうち同性の仲間といる方が心地良くなり、お付き合いをしている人を羨ましく思いながらも、どこか自分の中では諦めていたかもしれません。

 

一時期だけ気持ちが盛り上がった時もありました。

それは友人が結婚していくこと。その時は自分も色々と考えるところがありましたが・・・その頃は自分の体調が悪く、仕事も不安定な雇用状態。結婚を考える前に自分のことで精一杯の状態でした。

 

そんな時代を超えながら、ようやく最近になり余裕の出てきた自分。

でも今から恋愛・・・まだ40代(いや、今年アラフィフか・・・)だから遅くないのかもしれないけど、でももう40代。もはやどうやって恋をすれば良いのかわからない状態。いや元から恋の仕方がわからないだけかも。わからないから恋愛をしてこなかったのだと思うし、わかっていれば恋の1つや2つくらい話せたでしょうね。

 

それでも、心動かされた時もありました。

でも実際には何もつながらず。恋の仕方がわからないのもあったと思うし、自分に勇気もなかったのでしょうね。勇気がないのは、自信がないから。つまり、ネガティブ。自分の基本性格はネガティブです。

 

とはいえ、これでも多少はポジティブに考えるようになりました。

今更体型のことを考えてもしょうがないし、そんなことをいちいち気にせずに行こうと考えるようにもなりました。だから仕事では問題なくできているのだと思いますが・・・プライベートになったら、話は全く別になってしまうのでしょうね。

 

やっぱり、恋愛はもう諦めの時かな。

もちろん、人生何があるかわからないので、あとは時の成り行きに任せるしかないですけどね。

 

恋愛を諦める時ってどんな時

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