【読書感想文Blog】ネタバレ注意⚠ -21ページ目

【読書感想文Blog】ネタバレ注意⚠

読んだ本の感想とたまーに日常( ᐛ )

星を掬う

町田そのこ

2022/11/4

 
 

 

 

 

 

★ひとことまとめ★

母娘とは、家族とは何か。

 

 

 

 

 

 

↓以下ネタバレ含みます↓

作品読みたい方は見ないほうがいいかも

 

 

 

【Amazon内容紹介】

町田そのこ 2021年本屋大賞受賞後第1作目は、すれ違う母と娘の物語。
小学1年の時の夏休み、母と二人で旅をした。
その後、私は、母に捨てられた――。
ラジオ番組の賞金ほしさに、ある夏の思い出を投稿した千鶴。
それを聞いて連絡してきたのは、自分を捨てた母の「娘」だと名乗る恵真だった。
この後、母・聖子と再会し同居することになった千鶴だが、記憶と全く違う母の姿を見ることになって――。

 

 

【感想】

町田さんの作品が読みたくて図書館でずっと予約していて、ようやく回ってきました~飛び出すハート

久しぶりに本を読んでボロボロ泣きました~泣くうさぎ

 

自分が親になる立場になったからか、色々と考えさせる部分がありました。

母性が全く湧いていない今…果たして自分は子供を育てられるのか?という不安が常にあるので、母親がいなくなってしまった子供は将来どうなるんだろう?と興味がありました。

 

 

 

定期的に金をせびりに来る元夫・弥一に生活を脅かされる千鶴。いくら逃げても居場所を特定され、ありったけの金を奪われ、思い通りにいかないと暴力を振るわれる。

金銭的にも精神的にも困窮していた千鶴は、賞金目当てに幼いころの母との思い出をラジオ番組に投稿する。

 

 

小学一年生の夏休み、千鶴は母に連れられ旅に出た。

母の愛車に乗せられ、海・温泉・花火大会など、連想ゲームのように目的地を探す旅。

普段は物静かで感情的にならない母が、よく笑い、怒り、泣いていた。

夏休みの終わりごろのある朝、母と泊まっていた宿に父と祖母が現れ、黙って千鶴を連れ出した母を責め立てた。

そして、その日を境に千鶴の前から母は消えた。

母はなぜ私を旅に連れ出したのか。あの夏休みは母にとって何だったのか。

 

 

金をせびりに来る弥一から執拗な暴力を受けた千鶴は、次に弥一がやって来たときに弥一を殺そうと決意をする。この日々に終止符が打たれるなら、殺されても構わない。

もし、あの時母が一緒に連れて行ってくれていたら。あの楽しかった夏の日々の延長線上を歩めたなら。

こんな未来に辿りつきはしなかったのに。

母さえ、わたしを捨てなかったら。

 

千鶴の投稿した思い出話は準優勝を獲得し、ラジオ番組で放送されることとなった。

番組の放送後、ラジオ局の担当者・野瀬より連絡があり、番組宛てに問い合わせの電話があった旨を伝えられる。

「お母様の名前は聖子さんではないですか?

思い出を投稿したのは、千鶴さんではないですか?」

問い合わせをしてきた人物は、現在母と同居している芹沢恵真という若い女性のようだった。そして、できることなら千鶴に会いたいという。

近々、どういうかたちでなのかは分からないが、自分の人生は終わる。その前に、22年間行方知れずだった母のことが分かるのならばと、千鶴は恵真に会うことを承諾する。

 

千鶴が元夫から暴力を受けていると知った恵真は、自身や千鶴の母・聖子らが暮らしている家で一緒に住まないかと千鶴に提案をする。

始めは断固拒否する千鶴だったが、聖子が若年性認知症を患っていると打ち明けられたことで、恵真達と一緒に暮らす決断をする。

恵真や野瀬の協力を得て、母・聖子と共同生活を始める千鶴だったが…。

 

 

 

なぜ聖子は千鶴を置いていったのかという千鶴と聖子の母娘の話だけではなく、聖子と聖子の母との母娘関係や、幼いころに両親を亡くし本当の家族を知らない恵真、子供に捨てられた彩子の話など、

母娘とは、家族とは何かについて深く考えさせられるお話でした。

共同生活のなかで少しずつわだかまりが溶けていき、各々が前向きに進むことができたのは良かったです。

 

作品を読んで、本人の意識次第な部分もありますが、母親がいない、特に捨てられたという事実は当たり前ですが子供に大きな影響を与えるんだなあと感じました。

けれど聖子の話を読んでいると、母親とはいえ1人の人間なので、自分の人生を謳歌したいという気持ちも分からなくもありません。

とはいえ聖子も母親からかなり大きな影響(負の)を受けているので、母親が子に与える影響というのは計り知れないですね。

子にとって、母親ってそれだけ大きな存在なんですよね。(私も母親との関係で色々悩んだのでよくわかりますが。)

母親のことをどうしようもなく憎く思うこともあれば、それでも母親に認められたかったり愛されたい自分もいるという。

やっぱりどんな相手に認められるよりも、母親に認められたい気持ちが誰にでもあるんだろうなと感じました。

 

 

けれど、この作品を読み終わってもお腹の子供への母性、愛情みたいなものは湧かなかったですね~。。。

尚更育てる自信がなくなったというか。。。自分の存在が、良くも悪くもかなり子供に影響を与えてしまうということに尻込みしてしまいました。

小説やドラマだとハッピーエンドが多いですが、現実はそう上手くはいかないですからねハートブレイク

 

 

タイトルの”星を掬う”というのは、認知症によって自身の奥底にある海に沈んでしまった感情や記憶の中から、たまに水面に浮上する星のように美しく輝く記憶を掬う、という意味なのですが、素敵な表現だなと思いました。

 

自分の祖母もそうでしたが、調子の良いときは昔の話を話したりしていましたうさぎ

若干創作っぽくなっている部分もありましたが、出てくる人物や地名などは正しいことも多く、それだけ本人の中で強く印象に残った人や場所だったなのかな~と感じていました。

祖母が晩年に思い出していたのが、辛い記憶や悲しい記憶ではなく、星のように素敵な記憶であって欲しいな~。

変な絵

雨穴

2022/10/26

 
 

 

 

 

 

★ひとことまとめ★

歪んだ母性が招いた、凄惨な事件。

 

 

 

 

 

 

↓以下ネタバレ含みます↓

作品読みたい方は見ないほうがいいかも

 

 

 

【Amazon内容紹介】

ホラー作家兼YouTuberである雨穴氏による、自身初となる11万字書き下ろし「長編小説」!
タイトルは『変な絵』。
見れば見るほど、何かがおかしい? とあるブログに投稿された『風に立つ女の絵』、消えた男児が描いた『灰色に塗りつぶされたマンションの絵』、山奥で見つかった遺体が残した『震えた線で描かれた山並みの絵』……。
いったい、彼らは何を伝えたかったのか――。9枚の奇妙な絵に秘められた衝撃の真実とは!?
その謎が解けたとき、すべての事件が一つに繋がる!
今、最も注目を集めるホラー作家が描く、戦慄のスケッチ・ミステリー!
※前作『変な家』の“キーマン”栗原も登場!
※購入者「全員特典」として、雨穴による第一章「風に立つ女の絵」オモコワ朗読動画(1時間)つき!

 

 

【感想】

10月は1回もブログをかけませんでした…!

人生が変わる出来事というか…

 

妊娠が発覚して年内に結婚する方向になりました驚き

所謂でき婚…

絶賛つわり中で、具合が悪くなって倒れたり寝込んだりしています。。。

 

私、でき婚じゃなかったら、結婚しただろうか?

旦那になる予定の人はとても良い人ですが、自分は結婚したかったのだろうか…?

妊娠がわかった時も、私は嬉しさ皆無で「まじかよ」としか思えず。方や彼は嬉しかったようで結婚して産むことに決めたのですが…これでよかったのか?と毎日思っています汗うさぎ

中絶も考えましたが、自分の年齢や親に孫を見せてあげたいということを考えたら、観念して産むことにしたって感じですね。

 

自分が今この状態なので心の底から思いますが、本当に!でき婚なんてするものじゃないですね。

つわりで具合が猛烈に悪い中色々なことを決めなければいけないし、こちらの心の準備ができてないのに周りには良い言葉も悪い言葉も含めてあーだこーだ言われるし昇天

男性には絶対つわりや妊娠中のマイナートラブルの苦しみはわからないからか、「年子がいい」とか「年子だと楽だと思う」とか馬鹿な事言われるんですよね~。

あの~、こっちの体調不良とか仕事のこととかどう考えてます?って感じです。気楽でいいよな~ほんと。

もしお腹の子供が娘なら、でき婚だけは絶対辞めろと言いますね宇宙人くん

 

彼にも言っていますが、妊娠がわかってから今までお腹の子供に対して愛情や母性が全く湧かず、私って子育てできるのかな~?と日々考えていますねこクッキー

子どもがお腹の中でしか育つことができないから、義務としてお腹を貸してあげている感じ。

「赤ちゃんすくすく育っていますよ~!」と検診で言われても、「ふーん…」という感じ…。

つわりは赤ちゃんが健康に育っている証拠!とか言われても、いやいい迷惑だよ…と思う始末。

母性や愛情はいつ湧くのか?産まれたら?産まれても湧かなかったら?

 

自分がここまで薄情な人間だとは思いませんでしたね~うさぎ

聖母みたいな妊婦・母親には多分なれないだろうなあ…。昔飼っていたハムスターハムスターへの方がよっぽど愛情を注いでいた気がします。

 

私の薄情さはきちんと彼に伝えていますが、彼はどう思ってるんでしょうね~。

こんなに薄情というか、人間味のない女だとは思いもしなかっただろうかキョロキョロ

そういう意味でも男にとってもでき婚は博打ですね~。

 

↑というのは1週間前くらいの気持ちで、また少しずつ心境は変わりつつある…

けど相変わらず母性も愛情も湧かない知らんぷり

 

とにかくつわりがしんどくて何も考えられないですね…これ仕事(営業)無理だわと思う日々。

食べづわり✕胃痛という最悪なタッグで、食べてないと気持ち悪くなるのに食べると猛烈に胃が痛くなるという。

最近は吐きづわりも加わってきたのか、猛烈な吐き気が来ることがあるのでビニール袋持参してます。。

しかも子宮筋腫にもなってしまった。。。今まで筋腫なんてできたことなかったのに。。。

 

まあそんな話はほどほどにしておいて…

 

 

大好き雨穴さんの2作目です本

一見関係性のないように見える複数の「変な絵」ですが、章を進めるごとにその絵が意味する恐ろしい事実が浮き彫りになっていく…というお話です。

 

作品は、ある1枚の絵に対して心理カウンセラーが学生に解説をしている場面から始まります。

当時11歳の少女が、母親を殺害したのちに描いた1枚の絵。

当時彼女のカウンセリングを担当した萩尾登美子は、その絵から「彼女はトゲトゲしい攻撃心の奥に、とても優しい心を持っていて、更生の可能性が十分ある」と診断を下した。

 

本編では、ある不気味なブログとそのブログに掲載された5枚の絵、ある保育園児の書いた不気味な絵などなど、「変な絵」の謎を解き明かしていくのですが、全く関係がないと思われた「変な絵」が恐ろしい殺人事件へと帰結していきます。

学生時代の栗原さんも出てきます。

 

 

一言でまとめると、歪んだ母性は恐ろしい、でしょうか不安

冒頭で私も母性がどうのこうのと書きましたが、子供を自分の所有物・自分の欲求を満たしてくれるものとして見てしまうと恐ろしいことになるなと感じました。

自分の思い通りにならなければ憎しみも湧くだろうし、その憎しみは子供にだけではなく、配偶者にも向けられるだろなと。

子供も含めて、自分の思い通りになるものなんて何もないのだと自戒しなければいけないですね。

 

山の絵に関してはちょっとこじつけっぽく感じてしまいました驚き

これから殺される、死の間際の人(しかも手の自由も最低限しか利かない)がそんな悠長に絵を描けるかな~と思ってしまいます。

 

真相が気になってハイペースで読み進めましたが、ずっと手元に取っておきたい!衝撃を受けた!!というレベルではないかなあうさぎ

それでも雨穴さんは好きなので、第3弾が出たらそれも買うと思いますが!

何者かになりたい

熊代亨

2022/09/19

 

 

 

 

★ひとことまとめ★

何者かになるためにはどうしたらよいのか?

 

 

 

 

 

↓以下ネタバレ含みます↓

作品読みたい方は見ないほうがいいかも

 

 

 

【Amazon内容紹介】

「自分」に満足できないのは、なぜ?
〈承認欲求〉〈所属欲求〉〈SNS〉〈学校・会社〉〈恋愛・結婚〉〈地方・東京〉〈親子関係〉〈老い〉
アイデンティティに悩める私たちの人生、その傾向と対策。

「何者かになりたい」。
多くの人々がこの欲望を抱え、それになれたり、なれなかったりしている。
そして、モラトリアムの長期化に伴い、この問題は高齢化し、社会の様々な面に根を張るようになった。
私たちにつきまとう「何者問題」と、どうすればうまく付き合えるのか。
人と社会を見つめ続ける精神科医が読み解く。

【目次】

はじめに
第1 章 承認されると「何者か」になれる?
第2 章 つながりが「何者か」にしてくれる?
第3 章 アイデンティティと何者問題
第4 章 恋愛・結婚と何者問題
第5 章 子ども時代の何者問題
第6 章 大人になってからの何者問題
補論 何者問題への処方箋
おわりに

 

 

 

【感想】

続きです。前編はこちら

 

 


■第4章 恋愛・結婚と何者問題

パートナーとつきあっていたり結婚していたりすることは、あなたがパートナーに選ばれ、認められているということであり、少なくとも「一人の人間のパートナーである」というアイデンティティは獲得できる。

「何者かになりたい」という願いの最重要課題としてパートナーシップを重視する人は絶えない。

しかし、本当に恋愛は何者問題の特効薬になるのか?

 

恋愛関係の難易度は、あなたのアイデンティティの構成要素が充実しているか乏しいか、言い換えれば「自分は何者でもない」と悩んでいる度合いが高いか低いかにも大きく左右される。

 

恋やパートナーシップというと永遠を求めたくなる人も多いが、永遠でなくとも手元にはなにかが残る。それをこれからの自分に活かしていく余地はあるはず。

 

自分自身のことに夢中で自分自身のために恋愛やパートナーを必要としている人に比べれば、そういう段階を卒業した人の方が、余裕のある恋愛や自己中心的ではないパートナーシップを築けるようになる。

 

マッチングアプリは、忙しい人や恋愛対象に出会う機会の少ない人にも機会を与えてくれる点や、マッチングシステムによってある程度の相性合わせが行われる点でもマッチングアプリは優れている。

ただ、こうしたアプリの便利さになれるなかで「出会いのかけがえのなさ」「パートナーのかけがえのなさ」を見失っていくとしたらそれは問題である。

相手が交換可能なとき、または交換可能に見えるとき、その人はあなたにとって「何者」なのでしょうか。多分何者とも言えない、””使い捨てのなにか”に映ることでしょう。

恋愛を有意味なものとし、パートナーをパートナーたらしめているのは、交換不可能性、「失いたくない」という気持ちや思い入れではないか。

交換可能な相手との恋愛では「親密さ」にたどり着くことはできない。

 

アイデンティティが乏しく「自分は何者でもない」と感じている人が恋愛や結婚をとおしてアイデンティティを獲得したと感じ、「自分はこの人のパートナーだ」と確信した瞬間はとても心地いいはず。

しかしこの場合、自分のアイデンティティも「自分が何者かになれた」という感覚もパートナー次第ということになってしまう。

恋愛や結婚やパートナーシップがアイデンティティと呼べる唯一のものになってしまっている人は、パートナーの顔色を過剰にうかがったり、パートナーの一挙一動を監視したり、愛情を何度も確認せずにいられなくなったりしがち。

パートナーへの強いしがみつきは一時的にはパートナーシップを強めるかもしれないが、長期的には疲弊させ、やがてはパートナーシップが崩壊していく原因となっていく。

 

もしあなたが「何者かになりたい」と思っている最中なら、原則としてそのためのトライアルや努力を続けるべきで、恋愛や結婚を焦りすぎなくてもいいのではないか。

今は恋愛がうまくできない人でも、アイデンティティの獲得・確立が進んでくれば自然に恋愛がうまくいく…なんてこともよくあるもの。

 


■第5章 子ども時代の何者問題

両親のアイデンティティの獲得・確立の程度は、夫婦のパートナーシップだけでなく、家庭のありようにも影響する。

その家庭の子どもの置かれる立場や、子どもの心理的な発達にも影響するのは言うまでもない。

「自分は何者でもない」と苦しむ人のバックグラウンドとして、親子関係の苦しみや子ども時代の不遇な環境が見つかるのはよくあること。

たとえば思春期まで親の言いなりになっていた人が、思春期になっていきなり「自立しなさい、自分自身の構成要素を自分で選ばなければならない季節ですよ」と言われて、すんなりと実践できるものだろうか。

 

自分の親のことを「毒親」とみなし、自分はその親の被害者であることを自分自身の構成要素、アイデンティティとみなしたとしても、それを社会全般につながっていくための経路としたり、仲間意識や上下関係のなかでコミュニケーション能力を養う居場所とすることはできない。

もしあなたの親が「毒親」に相当するとしても、過去を振り返って得られる「毒親の子ども」という負のアイデンティティにはあまりこだわらないほうがいいかもしれない。

 

中二病は大人から見れば未熟な振る舞いにも見えるが、「未熟でもいいから自分を何者かにしようとする試み」つまり「ちょっと極端な振舞いや役割をとおして自分自身の構成要素を獲得しようとする試み」と理解できる。

 

子どもは親からアイデンティティを相続しきれず、親と自分の違いを反映した自分のアイデンティティを獲得していくほかない。

 

 

■第6章 大人になってからの何者問題

中年になったからといって「何者かになりたい」という気持ちが完全になくなるわけではない。時に、唐突に思春期のやり直しのような行動をとることがある。

今までの仕事をやめて自分がやりたいことに全力を尽くす人、パートナーや家族を捨てて若い愛人のもとに向かってしまう人など

思春期に比べると、中年期は人生の残り時間の短さと過ぎてしまった時間の大きさを意識せずにはいられない時期。

健康が少しずつ損なわれ、社会的な立場や役割も変化していくなかで、「自分が何かに挑戦できるチャンスがあと何回ぐらいあるのか、そもそもこれが最後のチャンスではないか」と意識させられる場面がたくさんある。

十分の人生をやり直せるかもしれない最後のチャンスらしきものに出会ったとき、それを素通りするには努力が必要になる。

社会的な立場も含め、すでにアイデンティティの構成要素となるものを持っている中年が思春期のやり直しのようなことをすると、それが社会的生命にとって命取りになることもあり、しかもやり直しがきかない。

 

中年が自分自身の構成要素を失ってしまうのはかなりの痛手である中年期のアイデンティティの危機がうつ病などの精神疾患へと発展してしまうこともある。

中年期は自分自身の構成要素を探し求める時期というより、すでに何者かになった・なってしまったあとの時期。それだけに、せっかく手に入れ、十分に馴染んだアイデンティティの構成要素を失ったときの再出発はなかなか大変である。

思春期とはまったく違った形で、「自分はもう何者でもないのではないか」という疑いが生まれることがある。

 

「父や母としての自分」というアイデンティティの構成要素として「〇〇の父・母」が占める割合が高く、なおかつ思春期に獲得したかったアイデンティティに未練を残している場合は、子育てをとおして未練を埋め合わせようとしてしまう場面がある。

子どもに自分の夢を仮託し、親のアイデンティティの敗者復活戦になってしまう。「子ども自身が何者かになるプロセス」ではなく、いわば「親が何者かになるためのプロセス」になる。

 

 

年を追うごとに「死別」というまったく別の問題も浮上してくる。

自分自身の構成要素の一部をなしている人が急にいなくなることで、自分のアイデンティティに空白が生じている。長年ファンをしていた有名人が亡くなった時にもこうした心境はしばしば起こる。

高齢になることとは、死別や解散や打ち切りによって自分自身の構成要素が虫食い状に失われ続けていくことでもある。

高齢者に対する風当たりは強くなっているが、アイデンティティの観点から見た高齢者とは、たくさんの喪失を経験してもなお何者かでありつづけてきた凄い人または何者かになりきれなかったとしてもそこまで生き続けてきた、年の功が感じられる存在である。

 

 

 

こちらの本を読んだ感想として自分が今後取り組むべきは、とにかくたくさんの自分の構成要素を手に入れることだと感じました。

将来衰えていく中で、構成要素の消失は避けて通れないことだと思います。

その時に構成要素がたった一つしかなかった場合、アイデンティティがぽっかりとなくなってしまいかねない、つまり「自分は何者でもなくなった」と悩む可能性が高い驚き

また、自分が(なれるかわからないけれど)親になった時に、子供に対して自分の期待や自分のアイデンティティの未練を押し付けることはしたくない…赤ちゃんぴえん

そのため、まだ体力と健康である今とにかくいろんなことにチャレンジして、多くの構成要素を手に入れたいと思いましたうさぎ

 

 

今年の夏はとにかくいろんな人とはじめまして~と会って、いろんなところに行く機会があったのですが、そんな私を見て彼が「そんなに色々な人と会うってことは、(何かが)欠乏しているんじゃない」「現状に満たされてないんじゃない」というようなことを確か言ったんですよねうさぎ

言われた瞬間はムっとして、いろんなことに取り組んだりいろんな人と会うことがそんなにマイナスなことか~?むかつきと感じました。

けれど、確かに彼のように傍から見たら「今の自分に満足できていないの?」と思われることもあるかもしれないですよねうさぎ

あれやこれやいろんなことに手を出して、現状で落ち着くことができないのかな?みたいな。

もちろん現状で満足している(アイデンティティの構成要素が多く揃っている)人は、いまのままでいいと思います。

私の彼もかなり好き嫌いがはっきりしているので、アイデンティティの構成要素が揃いきっているタイプだなと思います。

 

ただ、この本を読んでから改めて思いましたが、構成要素が消失する可能性を考えるといろんなことに沢山チャレンジすることは大事なことだよな~と。

人からどう思われたとしても、その人が自分の構成要素を持ってきてくれるわけでもないですし…煽り

 

 

また、昔の自分は恋愛においてもパートナーを構成要素にしてしまう傾向があったなと感じました。

自分が何者かになるために相手を必要としていたな~と。だから依存というか、彼の趣味でも何でも自分に取り入れてコピーしていたというか。

相手からしたら自分と違う人間だからこそ惹かれたのに、自分のコピーになっていったらそりゃ興味も薄れていくよなと今なら思えますうさぎ

別れて彼がいなくなるとものすごい虚無感に襲われて自分って何なんだろうと思っていたけれど、まさに彼をアイデンティティの構成要素にしてしまっていたからだし、今考えると自分自身の構成要素自体全然なかったんでしょうね。

 

プライドが高かったので、構成要素として良いかどうか(アイデンティティと言えるかどうか)に対し自分の中での及第点が高く、周りと比べたらそこそこできていることだとしても、まだまだ全然だめだと思っていました。完璧じゃないとダメだ、みたいに。

人より優れていないと構成要素にしてはいけないと思っていましたね真顔

いまは色々なことに対して完璧主義的な考えを改めるようになり、自分に対しても人に対しても割と寛容になってきたと思うので、上手にできないことでも自分の構成要素にしてしまっています。

ゲームも下手だけど好きでやりたいと思えればそれでいいし、読書も以前に比べたら読む冊数も減ったけれどそれでもいいと思えていますニコニコ

結局自分が楽しく幸せに生きていければいいわけで、自分のアイデンティティを人と比べることに意味はないなと気づきました。

比べることで「自分は何者でもない」という気持ちが強くなってしまうだけかなと。

 

なので、昔に比べたら今は恋愛もうまく行くようになったと感じています。自分のことも彼のことも尊重して付き合うことができるようになりましたにっこり

 

 

とにかくいろんなことに興味を持って、自分はこうだと言えるアイデンティティの構成要素を手に入れて、手に入れた構成要素が無くなっていくことも受け入れながら、楽しく生きていければいいな~と思いましたニコニコ