ことばのチカラLite
Amebaでブログを始めよう!

ATAMI

 「なんで水野君との最後の仕事がこんな平凡な殺人事件なんだ。不細工な男が不細工な女を殺し、月並みな熱海での殺人なんて。そして君には胸がない。」「やめてください、バーボン刑事」。水野刑事の胸をわしづかみにしたバーボン刑事は、おもむろにその手を離しながらいつものキザなポーズを極め、10年間ともに働いてきた水野刑事との別れの哀愁に浸る。
 先日観てきた「ATAMI」のワンシーンである。東北の田舎警察署から警視庁に抜擢された熊田刑事は事件をでっち上げてでも出世を目指してきて、数々の汚職のうえにようやく手に入れた東京栄転だった。しかし彼に影のように付きまとう一人の娼婦。「ブスで田舎モノのおまえにこれから飛び立とうとする俺の足を引っ張ることは許さん!おなかの子をおろせ」執拗につらく当たる熊田刑事に必死に喰らいつき東京まで出てきてしまいつらく当たられ続ける。そして東京でのどん底の暮らしの中でも意地を張り成功を夢見る被害者アイコと彼女との結婚を決意し一緒に田舎に帰ろうと誘う純朴な田舎モノの犯人大山金太郎。
これから見に行く人のためにハイライトシーンについては伏せておくが、なんとも切実に感じさせられるドラマだった。
 自分のいやなところというのは誰でも目を伏せているものだ。毎日鏡で見慣れた自分の顔もいざ写真に撮られるとこれは自分ではないと否定したくなる。なぜか?本来人間の顔は左右非対称である。どんな美人でも自分の顔には1つや2つ気に入らないところがあるらしい。鏡で見慣れた顔は、いつも見る自分の顔であり自然にいやなところに目が行かない訓練をしており、そういう意味で主観的な顔といえる。しかし友達と旅行などで一緒に撮った写真の顔には違和感を覚える。なぜか?それは悪いところを見ない訓練ができていない客観的な顔だからである。そしてこれは自分ではない、この写真はおかしい。と言うことになる。特に油断しているときに人から撮られた写真がどうしても気に食わず捨ててしまう人も多いのではないか?
 熊田刑事も被害者もお互いの相手に自分の一番見たくない部分が投影されていることに気づき、何とかそれを自分から遠ざけよう、否定しようとした。熊田刑事は否定しきれず、出産と同時に一緒になってしまうが、アイコは最後まで否定し、大山が人生そのものとまで言って大事にしていたアイコ自身との思い出までも否定してしまったために殺されてしまった。自分を知ることは難しいと言うことを何度か書いてきたが、自分を知ることは怖いことでもあるようだ。

一歩前へ踏み出す勇気を与えるコトバ

 ここに一組のトランプがある。ジョーカーが1枚含まれており合計53枚。よくきった後でジョーカーを出すために何回かめくるとさすがに最初から出てくるということはめったにない。しかしここでわかっているのは53枚すべてめくれば必ずジョーカーが出てくるということだ。これを二組のトランプにして1枚ジョーカーを抜き、105枚にしてやってみると、ジョーカーにあたる確率が約半分になるのは納得してもらえると思う。しかしここでも当然のことながら、どんなにたくさんめくっても105枚めくれば必ずジョーカーにあたるという事実である。
 生きてく中で、このようにトランプをめくっていかなくてはならない場面は山ほどある。ある人は仕事でセールスの結果としてのスペードのキングを求めているかもしれない。またある人はプライベートで自分だけのハートのエースを探しているかもしれない。しかし自分の確率を正確に知っている人は少ない。私の経験則からいうとどんなに確率の悪い人でも300枚がいいところだろう。言い換えればどんなにコミュニケーション能力のない人であっても300人に会えば自分とまったく同じタイプの人間に会える。その人は仕事であろうが、プライベートであろうが、あなたに完全に共鳴してしまうので、あなたが望むことはその人が可能な範囲で何でもかなえてくれる。一歩前へ踏み出ためにここでは3つのアプローチを試してもらいたい。

 最初のテーマは300枚のトランプをいかに減らしていくかということ。仕事におけるトレーニング、プライベートにおける魅力性の開発だ。あなたは自分のことが好きだろうか?自分がどれくらい好きかという限界値以上に人を好きになることはない。人を好きになることがない人は人からも好かれることはない。しかし好感度をあげない限り幸運を招きいれることはできない。
 松下幸之助氏は人をとるとき今までの人生の中でその人は運がよかったか?という点を重視したらしい。『運がよかった人は必ず人から好かれた結果として人の協力を得ることができ、結果として本人には運がよかったと感じられる』
 好感度を具体的に上げる方法にはいくつかある。好かれたいと思う相手を好きになることだ。自分が好きでもない相手から好かれることがないのはいくらなんでもわかるだろう。それでもわからないのであればまず笑いかけてみることだ。微笑みかけるという行為自体が相手に対して「I like you.」場合によっては「I love you.」といっているようなものなので、男も女も魅力的な人は強力な笑顔を持っている。
 もうひとつ具体的に好感度をあげていく方法がある。相手を尊重することだ。平たく言えば相手の話を聞くということ。お見合いおじさんでは傾聴の魔術として触れているが、相手には価値があり、自分はその価値を認めていることを表明することが「傾聴」という行為に凝縮されている。想像してみれば納得がいくと思うが、自分しか興味ないだろうと思われることに目の前の人が共鳴し、関心を持ってくれたら自分はその人にどういう感情を抱くだろうか?決して悪い気はしない。それどころかもっと自分をわかってもらおうとして思わず熱弁をふるっている自分に気づくことだろう。そこで相手がさらに関心を持って質問などしてきたら、一生懸命それに答えようとするのではないか?それは自分の最大の関心事なのだから当たり前だ。誰にでも自分だけの世界があり、関心を持ってもらいたい話題がある。その人に好かれたいのなら、その話題を見つけ、それにフォーカスすることだ。
 魅力的で人から好かれる人というのは手持ちのトランプが非常に少ない。そして運がいいので1枚か2枚めくれば当たりが出るようなこともある。そうでない人はその現象だけに目を向けてはいけない。自分のトランプの手持ちも有限であり、必ずあたりが入っていることを認識しよう。

 2番目のテーマは渡された自分の能力に応じた枚数のトランプを当たりが出るまで、出なければ最後まで確実にめくり続けることができるようになることである。
 誰でも失敗をすると次への挑戦に怯んでしまう。拒否されることに対する恐怖心が大きくなるからだ。しかし、その恐怖心を小さくすることができれば次のトランプをめくる行為はずいぶんと楽になる。そしてその恐怖心は実際に小さくすることができる。
 ひとつ確実に約束できることは自尊心と拒否されることへの恐怖心には逆の相関関係があるということだ。自尊心の高い人は拒否されてもそれを個人的に受け止めない傾向がある。トランプはめくり続けなければならない。運がいい人でも最初の2,3枚であたりが出ることは少ない。しかしめくり続ければ必ずあたりが出るのだ。
 外資系の生命保険会社が税理士や医者、弁護士という社会的ステータスの高い人をセールスマンとしてリクルートするには意味がある。第一に彼らは顧客を持っているということがいえる。単に顧客名のリストを持っているというだけなら誰でも持つことは可能だろう。しかし彼らはその顧客一人ひとりから一目置かれている存在であり、ある意味尊敬されている。影響力があるのだ。そして彼らは自分に影響力があることを知っている。生命保険のセールスは大変なことだ。ほかのセールス同様、断られることが商売と考えたほうがいい。多くの人はお客から拒否されることにより自分自身が拒否されているように勘違いしてしまい自信をなくしてしまう。しかし彼らはどんなに拒否されても非常に冷静に考えることができる。「アプローチの仕方がまずかったのかな。では少し変えて次の人あたろう。」
 生命保険はいまや加入していない人を探すほうが難しいくらいみんな入っている。必要性がないのではなく必要性を認めているからすでに加入しており、そのために「もう必要ない。」といっている点が通常のほかのセールスの場合と事情が違う点だ。彼らはどんなに断られても決して気に病むことはない。たとえば、かかりつけの医者からわざわざ電話がかかってきて、体の具合を聞かれて失礼な対応をする人がいるだろうか?電話をかけるほうもそういうイメージを持っているので、その状況で失礼な対応をされても気に病むのではなく、相手をかわいそうに思うくらいかもしれない。
 松下幸之助の言葉に「やってみなはれ」というのがある。物事は始めることができればすでに半分完成したのも同然。十分時間をかけて完璧な決断をくだすよりも、タイムリーに合格ラインの決断を下すことのほうが世の中では結果を残せる。やり始める前にクリアしておかなくてはならないリスクへの対処法は人によって違う。
 いずれにしても完璧を求めるスタイルと、合格を求めるスタンスが結果に大きな違いを生み出している。
 完璧型はビジネス上の決断をする際に、考えられるすべてのリスクをつぶしてから決断を下すタイプだ。また通常頭がいいので想定されるリスクの数が半端ではない。世に言う頭でっかちだ。しかし実際行動してみるとそんなリスクはどこ吹く風で、すんなりうまく行ってしまうことが意外に多い。彼らは自ら多くのリスクを想定し、必要以上に恐れてしまうために決して行動することはない。そして種を蒔かない農夫は決して収穫することはない。
 一方松下氏は回顧録の中で、結果的には100点満点で40点、50点という決断が多かったことに触れている。彼の場合合格点にも満たない決断といえるかもしれないが、それを実にタイムリーに行っていったのだ。致命的でなければとりあえずやってみるということだろう。合格レベルで動いている人ならもっと確率がいいはずだ。動き出すと不思議なもので、どこからともなく情熱がわいてくる。体験上この情熱が勝負を決めていることを私は知っている。知能指数よりも情熱指数が重要だ。ビジネスの上でお客が重要な決断をする際キーになるのはあなたの情熱であり、知能ではないことを覚えておこう。確かに情報は判断の基準になるが、決断するのは100%感情的なものである。それは相手があなたをどれくらい好きかということであり、どれくらい信じているかということ。信用されているレベルではなく信頼されているレベルになっているかということが重要になる。情熱的な人はうそをつくことができない。うそを突き通すためには常に自分の言ったことに整合性をとる必要があり、言ったことを覚えておかなければならないからだ。そんな計算をしながら情熱的に話すことは人間には難しく、相手はそれを本能的に知っているために目を見るのだ。最後のカードまで情熱的にめくってみよう。

 3番目の方法は対象を広げるということ。エースばかりがハートではない。もしかしたらクイーンの方がもっと自分にふさわしいハートかもしれない。7だって場合によってはラッキーセブンと呼ばれる。ハートのエースにこだわるのも人生だが、自分をよく知り、自分にふさわしい相手が本当にエースだけなのか?と考えることは重要だ。仕事で言えば代替案を探ることにもつながるだろう。常に自分の思い通りに世の中が回るとは限らない。ビジネスでは分母に時間があるためその限られた時間の中で当たりをめくっていかなければならない。スペードのキングにこだわったためにタイムオーバーになるのであればセカンドベストを探るということも忘れてはならない。パーフェクトアンサーはひとつかもしれないが、合格点のとれるアンサーは決してひとつとは限らない。
 場合によってはあきらめることも重要だ。消極的に聞こえるかもしれないが、ビジネスの世界では経営戦略の一つに撤退戦略という言葉がある。ブラックホールに吸い込まれることがわかっている状況でそれを回避しないことは自殺行為だ。
 やりたいと思っていることをできない状況を続ける事は自分の自尊心を下げることになり、すべての生活において悪影響を与えてしまう。あきらめない限り失敗はないが、できない状況を続けることによって自信をなくしてしまいそうになったら撤退することも考えてみるべきだと思う。そのバランスをとることによりストレスを回避し、精神衛生上の健康を取り戻すことができる。十分元気になってから再度チャレンジしてみるのもありだろう。

 ずいぶんと長い間やり始めたいと思っていたが、なかなかやりだせなかったことというのは誰でも一つや二つはあるだろう。しかしそれはやり始めない限り淡い希望で終わってしまう。それをやり始めたとき初めてその実現に近づき始めるのだ。夢、憧れ、願望、希望。そういったものがただ、心にあるだけの状態では何も起こらない。やると決めるか断わるか。いずれにしても決断が重要だ。
 今の自分はなぜここにいるのか?なぜこんなことをしているのか?それは今の自分が決めたことではない。たまたまそうなった所為だと感じられるかも知れない。しかしそれは紛れもなく、過去の自分が決めたことだ。まずそれを認めよう。周りから導かれたにしても、それに従う決断をしたのは自分の決断だ。決して他人は自分をコントロールすることはできない。多少影響を与えることはできるかもしれないが、それに従うかどうかは自分に選択権があるからだ。
 それを認めることができるとすばらしいことが待っている。つまり「過去の自分が決断した結果により今の自分が生み出されている」ことを認めると、その関係をそっくりそのまま今と未来の関係にシフトできるからだ。つまり「今の自分が決断した結果により未来の自分が生み出される」ということだ。ここで初めて人間は自由を得る。将来の自分は「どうなるかわからないもの」ではなく「今の自分が決められるもの」に変わる。
 この前提に立てたときに3つのオプションはさらにあなたの強力な武器になる。魅力を高めてトランプの枚数を減らし、必ず当たりがあることを信じ情熱的に最後までめくり、どうしてもだめなら一旦立ち止まって等身大の自分を見つめなおす。正確なトランプの枚数を数えて自分の確率を知れば、また一歩前に前進する勇気がわいてくるだろう。

空っぽなのに重いもの?

 『からなのに世界でもっとも重いものは何か、それは財布である』海外の格言は実に機知に富んでいるものが多い。その中でもユダヤの格言にはお金にまつわるものが多いのが特徴でもある。「からの財布」想像するだけでなんともいえない気分になるが、お金が入っても右から左へのO型の諸君であれば誰でも一度は経験済みではないか?

 誰にとってもお金持ちになることが幸せになることなのか?仕事で成功することが幸せなのか?それは確かに違う。人間には幸せを感じるアンテナが人それぞれ違い、ある人は人との交流に幸せを感じる。またある人は自分の意思の通り自由自在に生きることに幸せを感じる。趣味の世界、楽しいことに幸せを感じる人もいる。そして自分の力を認めてもらうことに幸せを感じる人はお金、成功にこだわっている。いろいろなタイプの幸せがあるのだ。

 願望は単にこころで願っているだけでは人には伝わらない。必ずこたえてくれるという期待をもって相手にお願いしてみるのである。その具体的な行動によって初めて相手に自分が求めているという意思とその具体的な内容が伝わる。特に「期限を区切った具体的な価値あるGoal」は人間を動かす不思議な力を持っている。意外にもそこまで具体的な願望を持っている人は少なく、意義ある人生を送りたいと誰でも思っているので、そのようなことが目の前にきたら結構すすんで協力してくれるものなのだ。
 また、幸福になるための黄金律に『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』というものがある。
 すでに幸福になっている人にはそんなことは言われなくても自分で実践していることだろう。そう、幸福な人にはこの公式が生まれながらに遺伝子に組み込まれているのである。もしこの考え方に賛同できないとしてもこれが幸福になることの黄金律なのである。

 「からっぽの財布」は、幸せになるための公式にしたがって毎日を生きるだけで徐々にぎっしり詰まった財布に変わってくる。
 『求めよ、さらば与えられるであろう』あなたがお金を求めれば、それは札束でぎっしりとなる。あなたが自由を求めれば、厳しい世界で生き残る経験と実績で満たされ、人の交流を求めれば、それは友人や家族との親密な関係を築き、楽しい思い出でぎっしりとなる。

3人の親友

 『少なくとも3人の親友を持て、医者と弁護士、そしてトップセールスマンを』
 欧米では珍妙な格言が多いが、セールスマン時代最も頻繁に上司から聞かされたのがこの格言だ。

 不慮の事故で生死をさ迷うような大怪我をしたとき、プロフェッショナルとはいえ、赤の他人である医者がどこまで限界に挑戦して自分のことを診てくれるだろうか?やはり最後のところで救命措置をやめてしまう「プロの基準」というものがあるはずだ。そんな時、神業のブラックジャックが幼馴染みだったら、君が命を吹き返すまで決してあきらめることはないだろう。仲良く遊び、語り合ったときのことを思い起こしながら、愛情と誠意と忍耐を以って万全な人事を尽くしてくれるに違いない。
 弁護士の場合はどうだろう。あなたが正しいか、そうでないかは別にして、弁護士の仕事はクライアントになったあなたを弁護することだ。何かの陰謀によってはめられ突然逮捕されてしまったあなたに無罪を立証する証拠はなく、優秀な弁護士を雇う潤沢な金もなく、ましな国選弁護人をつけてもらう伝さえない。国からあてがわれた弁護人が他の多くのクライアントを掛け持ちで見ている中で、自分に対してどこまで「特別扱い」してくれるだろうか?
 そんなときに中坊公平が親友だったら、ブルドーザーのようなバイタリティで証拠探しに乗り出し、切れ味鋭い独自の論理展開で裁判官を煙に巻き、無罪を勝ち取ってくれることだろう。使えない国選弁護士があてがわれたら、あなたはどうするつもりなのか?

 医者と弁護士はなんとなくわかる。しかしここでなぜ最後がトップセールスマンなのか?
 答えは「人生の岐路において、機微に富むアイデアと結果を出す考え方により常に建設的なアドバイスを与えてくれるから」だそうだ。
 日本では「セールスマン」という職業のステータスは「要らないものを売りつけられる」とか、「もみ手で卑屈な種族」とか、やたらイメージが悪い。しかし海外では「売れる」、しかも「トップの成績を出し続ける」セールスマンのステータスは非常に高く、その報酬も桁外れに高い。
 毎日何十人、何百人という人から拒否され、断られつづけ、それでも自分を奮い立たせて拒否されることへの恐怖心と闘い、心を傷つける弾丸が飛び交う戦場に向かう経験を持つトップセールスマンはこころの痛みに人一倍敏感で、それに正しく対処する方法を知っている。
 人生の岐路に立ち、思い悩む場面でヒントになる考え方の引き出しを沢山持っているのだ。

失恋で傷つけられた人にとってはココロの医者となり、四面楚歌の状況ではいつも味方について周囲にあなたの弁護をしてくれるトップセールスマン。あなたの人生が過ぎ去る前になるべく早く見つけ出し、親交を深めていこう。

ベストエフォート【べすとえふぉーと】

「誠に恐縮ですが、ご依頼いただいた件、まだ解決しておりません。鋭意対応中ですので、もうしばらくお待ちください。」「そうですか、わかりました。では、ベスト・エフォートで結構なので、お願いします。」

 私の脳裏に一瞬そのことばがひらがなで躍った。『べすとえふぉーと?』
 私の古ぼけた国語辞典には載っていないが、ネットの辞書で調べてみるとさすがに載っており、説明も詳しい
 〔ベスト-エフォート(best effort)は最大限の努力の意〕
 品質を保障しないデータ通信の方式。また,それを提供するサービス。通信速度などについて可能な範囲で最大の品質を確保するものの,ネットワーク全体の利用状態によっては,その品質が低下する場合もある。

 「プルルルル」電話が鳴る。「はい、あっ、お電話いただきまして、恐縮です。その件ですが、なおベスト・エフォートで対応しております。もうしばらくお待ちください。」
 そのとき、ハッとした。すでに自分のことばとして口をついて出てきたことにではなく、先ほどまで何とかがんばって成し遂げようという気になっていたのが、一気に消えうせていたことについて驚いたのだ。すでにあきらめモードになり、言い訳として使っている自分が情けなかった。

 「ベスト・エフォート」なるほど、これは大変便利なことばだ。しかし依頼する側が使うときとそれを受けた相手側が使うときとでは微妙に意味が違ってくる。最大限の努力とは自分で言うことではなく相手に評価してもらうことだからだ。
 お願いする側が使う場合は「相手への配慮」と肯定的に受け取られるが、受ける相手が最初から「『ベスト・エフォート』でがんばります」というのは「善処します」とか「トライはして見ますが、保証はできません」という意味になってしまい、「やる気はありません」と取られかねない
 便利なことばだが、注意が必要だ。

初恋

 ユジンとの出会いは突然訪れた。テニスコートの前がボクの下足入れだ。すれ違うテニス部員たちの中にひときわ目立つ女性がいる。背筋をピンと伸ばした身長は、165cmはあるだろう。それまで他の部員と談笑していたせいか、すれ違うボクと一瞬目が合ったときその驚くばかりの笑顔がこちらにもこぼれてきた。あまりにも衝撃的で最後まで受け取ることができなかった。ボクの高校生活はこうして幕を開けた。

 柔道部に入ったばかりのボクは五分刈りで56Kgのちんちくりんである。女の子と話すとすぐ顔が紅潮してしまい、目を合わせることすらできない。しかしそんなボクに容赦なく再会は突然訪れた。
 あれから数日経ち、出会ったことも忘れていたが、ある朝通学で使っているバスにユジンが乗り込んできた。同じバスを使っていることがわかっただけで感激し、その日一日がバラ色だった。もう虜である。
 毎朝ユジンが乗るはずのバスに乗るだけでワクワクし、ユジンの乗るはずの停留所が近づくたびにドキドキして、ユジンが乗り込むのをみるとバクバクした。

 先日ニューズウィークが「恋する脳」の研究を特集していた。恋をしている人の脳は、そうでない人の脳と著しく状態が異なるらしい。 四六時中相手の一挙手一投足が気になり、その反応に一喜一憂する仕組みになっている。まさに恋は盲目とはこのことだ。

 ボクの恋は果てしなく内にこもる方向で盲目だった。恋愛小説を読み、ユジンを当てはめて勝手にうまくいくシナリオを妄想し、柔道に打ち込んでいるだけで事態が進展するのでは?という根拠のない希望を抱き続けていた。なんら具体的なアクションを取らなかったためユジンにとってのボクはサンヒョクどころかヨングクにすらなっていなかったのだ。
 「ちんちくりんのボク」に今の私のような強力な助っ人がコーチとしてついていたら、かなり早期の段階でせめて登場人物には、なれていただろう。

東京ラブストーリークラブ

 「カンチ、セックスしよ。」お茶の間のゴールデンアワーで放送されたセリフの中では異例だが、懐かしむ人も多いのではないか。織田裕二扮するボクトツとした侍のような「カンチ」と鈴木保奈美扮する現代的で一途な「赤名リカ」との純愛ドラマだ。

 『人生は出会いで決まる』。ちょうどその頃から前職のお客様へのアフターサービスとしてネルトン形式の出会いのコーディネートを始めた。タイトルにあるクラブ名は今では「お見合いおじさん」に変えており、内容もイベント中心から考え方中心に変えている。本業ではないが、やり始めてもう15年になる。
 わかってきたことはいくつかある。まずは「どんなに魅力的な人でも出会う機会がなければ何も起こらない」ということ。そしてもう一つは「適切な人に出会う機会があってもその人から魅力的に映らなければ何も起こらない」ということ。とてもシンプルだ。
 毎回5組ほどカップルが誕生した。2時間弱という限られた時間をすべてフリータイムにしてしまうと男女ともに外見重視の傾向になってしまうので、自己紹介タイムなどを工夫して強制的に全員とコミュニケーションさせたり、内面も評価対象にしてもらうようなゲームをつくったり、毎回苦心したものだった。

 最近は海外に行く人も多いと思うが、それが1ヶ月や1年など長期にわたる滞在の場合、本人に大きな変化が現れる。否が応でも住み慣れた故郷と比べるようになるので自然に観察力が養われる。そして不思議なことに日本にいるときよりも強く日本人であることを認識するのだ。そのまま日本にいても英語の勉強はできる。話せるようにもなる。しかしこの日本人としての自覚をもつという境地には中々達することはできない。全く違うものに触れて初めて個人が成長するのだ

 『出会いは人を成長させる』 出会いが重要なのは恋愛ばかりではない。人間誰しも今の自分よりも少しでも「よくなりたい」、「成長したい」、「できることを増やしたい」と思うはずである。しかし自分と同じレベルの自分が自分のことを飛躍的に成長させることはできない。それは能力の元になっている考え方が同じレベルだからだ。
 人が集まる場には目に見えない心の世界でいろいろなことがおきる。普段つきあっている人とは違う仕事を持つ人たちとの交流がある。違う年齢、違う経験、違う境遇。そういった違った何かが自分にとっての成長のきっかけになることが実に多い。

立場がわかるウォーキングのススメ

今日もD氏がボウフラのような格好でクネクネしながら歩いている。「前傾75度、あごを引き、後ろに残る足で蹴って前進するイメージで…」
何事も正しいフォームを身に着けるのは大切なことだ。

 Lesson.1)狭い歩道を歩いている。前から180cm近いスラッとした色男が歩いて来た。ちょうどすれ違うところに電信柱がある。
 そんなとき私は極力道を譲ることにしている。しかし今日の相手は私より一枚上手だった。私が立ち止まって相手を待とうとする先手を打って視線を合わせてきた。譲る動作が板についているばかりでなく、ジェスチャーまでつけて「どうぞ ^^)」。ニコッと笑う愛嬌に「こいつ俺のことが好きなんじゃないか?」と一瞬戸惑いながらも、なんとも言えず引き込まれ、不覚にも私も笑ってしまった。まったくいつもと逆の展開に調子を狂わされたのだが悪い気はしなかった。
 歩行者の立場はみんなわかっているが急いでいるときなどは中々この180cm氏のように道は譲れないものだ。

 Lesson.2)そういえば以前自転車で通勤していた頃歩道を走るのが大変だった。自転車にとって車道はあまりにも危険すぎる。ところが歩道では歩行者優先だ。そうかと言って降りて押していたら会社には間に合わない。これが自転車の立場だ。
 マウンテンバイクになると仏壇にあるような小さな鐘しかついておらず「チン」と一回しか鳴らない。それですぐ気づいてよけてくれる歩行者もいるがたいてい気づかないか、気づかない振りをしている。歩行者の歩道における歩行者優先意識というのは日本では実に絶大だ。
 翌週私は自転車ショップに行き大音量で人の声で注意を促すベルを購入した。「ピンポーン、ピンポーンすみませーん、自転車が通ります!」という音声を歩行者の後ろからいきなり大音量で流す。さすがにそれで道を開けてくれない人はいなくなった。

 Lesson.3)休日はドライブだ。交差点を左折するとき歩行者の信号はすでに「赤」になっている。自動車用の信号もすでに黄色だ。しかし歩行者はいつまでも渡っている。彼が渡り終わったとき結局車は一台も左折できず、『2回目の赤信号』を待つ羽目になる。これが自動車の立場だ。
 この事態を歩行者の意識を改めさせるのではなく、スクランブル交差点を作って歩行者用の信号と自動車用の信号に分けてしまう施策が全国で広まっている。日本では歩行者の横断歩道における歩行者優先意識というのも実に絶大だ。

 私は人の歩き方を見るとその人が運転免許証を持っているか、また自転車によく乗る人かどうかを当てることができる。すべての乗り物の立場を知っている人は、相対する歩行者に対して暗黙のうちに何が求められているかがわかるので自然に歩き方に差が出るのだ。
 どの学校でも自転車に乗る人のためにマナーと身を守るための交通ルールを教えてくれる。自動車の場合はもっと機会が多い。教習所、警察、街中の標語などなど。しかし歩行者に対する教育は意外に少ない。すべて歩行者優先で片付けられる日本では歩行者の歩き方など学ぶ必要はないのかもしれない。
 「立場がわかるウォーキング」を習得した人は、自転車や自動車を運転する人からだけでなく、すれ違うもう一人の歩行者からも一段と美しく見えるようになる。特別なトレーニングは必要なく、ここで言う立場を理解するだけで、今すぐマスターできるのだ。

恩師

「ヒデキ、おまえどこファンや? なに、巨人?!バカたれ」、「バシッ!」。
静まり返った教室に竹刀の音が鳴り響く。私で5人目だった。ヤクルトファンのH氏にとって巨人ファンは敵以外の何者でもなかった。

 石川県輪島市出身。A学院大学卒業後、池袋で浮浪者を2年経験。その後都内でも破竹の勢いで急成長するT進スクールグループの中学生を対象にした進学塾で文系主要科目を受け持つ名物人気講師、H氏のことである。
 授業は毎回、自分の苦労話やそれがどうやって報われたかという人生訓に半分くらいの時間を取ってしまうので、中にはどうしても授業に集中できず先生にわからないように『コッソリ勉強してしまう生徒』が出てしまう。そんなときは先ほどの竹刀が容赦なく飛んでくるのだ。今そんな先生がいたら父母からのクレームも相当なものになっているだろう。

 毎週金曜、夜八時に同じように生徒に体当たりしていく先生が活躍するドラマがヒットしていた。すでにいくつも版を重ねているので多少内容も変わってきているかもしれない。ドラマだから当たり前だが、彼も殆ど本来の授業内容を教える場面はなく、徹底して生徒のプライベートに立ち入り、自分の人生哲学をぶつけていった。「いいか、『人』と言う字はこのように支えあって。。。」このくだりを懐かしむ人も多いだろう。

 能力開発というのは孤独な作業だ。私も学生時代に英会話スクールで講師をしていたが、授業中という限られた時間の中では先生のできることもまた限られる。大切なことは如何に生徒がひとりになったときに自分で問題を解決して行くことができるかだ。生徒の内面には「教えてもらう」姿勢から「自分で楽しんで学ぶ」姿勢への変革が必要であり、その意味で濱田先生は我々に一人のときにがんばる力、モチベーションの源となることばを沢山くれた。
 『有志有途』多感な時期にこのことばは響いた。志あれば道あり。そしてその道を歩き続けるかどうかは自分の選択である。

Nommunication

「アコ、イカウ、マハルキタ!」いつものように店内ではタガログ語が飛び交う。国際派を自称する私も一緒になってタガログ語を駆使し、場を盛り上げている。
 夕方の商談で仏頂面して私の話を聞いていたT部長はその日初めてお会いした取引先のキーパーソンだ。何を考えているのかわからないのでとりあえず池袋西口の安いフィリピンバーに連れてきたわけだ。
 これが同一人物かと目を疑うほどの変わりようにさすがの私もあきれたが、目の前のT氏はネクタイを頭に巻いてなんと『モーニング娘。』のヒット曲を激しい振りつきで踊っている。
 これが酒のチカラだ。

 有史以来人間には酒がついてまわっている。いろいろな効果、効用があるが最もシンプルな効果は気分がよくなること。そしてその場でともに飲んだ者同士が親しくなれること。これが一番おおきい。友となり、仲間となり「ここだけの話」が聞ける。
 個人的にはもともとそんなに強い方ではなく、ちょっと飲みすぎるとすぐ事故を起してしまう。取引先の社長に抱きついたり、店の備品を壊して出入り禁止になったりしたこともある。明るいほうに壊れるので恨みをもたれることがない点が唯一救われるところだ。

 効力の高い薬はたいてい副作用も大きい。痛風で苦しんでいる人を何人も見ているが、本当につらそうだ。またアルコール中毒になり出社しなくなった同僚もいた。酒は理性を失わせるため建前を崩し本音を聞けるという効用があるが、これも裏を返せばその本音の内容によっては致命的な結果にもなりかねない。

 笑い上戸、泣き上戸、絡み上戸に寝入り上戸。野生の部分が露出した人々の本来の姿はまさに千差万別。昼の間、「人と同じであることに命を懸けている」サラリーマンが、夜になるとこれだけ個性豊かになるのだ。
 事故を恐れてリミットを意識するようになった私だが、たまには思いっきり壊れてみたい。そして本当の自分を見てみるのもいいかもしれない。しかしそのためにはそれが致命傷にならない飲み仲間が必要だ。