今日の一曲!バンドじゃないもん!「結構なお点前で」 | A Flood of Music

今日の一曲!バンドじゃないもん!「結構なお点前で」

 遅々として進まない令和の大改訂の最中ではありますが、新たに音楽レビュー記事をアップしていない状態が二週間ほど続くと、そろそろ何かしら書かなければといった使命感が顔を覗かせてくるので、これを解消するために筆を執るとします。笑

 とはいえ、本記事は令和の時代になってから初のレビューエントリーとなるため、選曲は悩みました。今や日本だけのガラパゴスな紀年法となっている元号を意識する以上、やはり日本的なナンバーを紹介するべきではとの内なる声に従った結果、アイドルグループ・バンドじゃないもん!*の「結構なお点前で」(2017)を紹介することに決定です。3rdアルバム『完ペキ主義なセカイにふかんぜんな音楽を♡』収録曲。

 * 同グループは2018年11月に改名を果たしており、現在の正確なグループ名は、バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHIですが、本曲のリリースは改名前なので、本記事の表記もこれに準じています。



 バンもん!の単独記事を立てるのは今回が初となりますが、実は過去にも幾度か言及をしたことのあるグループです。初めて存在にふれたのは2017年のアニソン振り返り記事で、ハマった経緯の説明と簡単な魅力の解説はそこで済ませています。また、同連載に於ける別の記事には、出羽良彰さんのワークスを紹介する過程で名前を出しました。加えて、2018年に【テーマ:春|卒業/別離】で書いていた「今日の一曲!」のまとめ+補遺記事では、「しゅっとこどっこい」(2017)を短くレビューしています。

 僕の嗜好・遍歴紹介記事に名前を挙げているアーティスト・ミュージシャンの中で、形態をアイドルに絞ると、当ブログ上に単独のブログテーマを持たない存在が遂にバンもん!だけとなったので、今回の選曲理由たる日本的云々は抜きにしても(その点は後述します)、バンもん!の記事を作成する地均しは出来ていたのです。

 更に言えば、この整地作業が完了したのはつい最近のことで、先月まで連載していた【テーマ:平成の楽曲を振り返る】の第二十八弾に於いて、夢みるアドレセンスを取り上げた時点で、残す一組となっていたのでした。同記事内には、「音楽好きの立脚地から高く評価しているアイドル」についてと、「アイドルソングに描かれている日本像」についての言及があり、この二点はバンもん!およびレビュー対象曲「結構なお点前で」にも適用可能なポイント・オブ・ビューであるため、その一部を引用しながら書き進めていきますね。


 前者に関しては、夢アドの記事に書いた「同グループの音楽の質が高い理由のひとつには、楽曲制作を名の通ったミュージシャンが担っていることを挙げられます」との記述が、そのままバンもん!にも当て嵌められます。上掲の初言及の記事内には3rdアルバムへの短評が載せてあるのですが、そこで「楽曲制作陣の面々を見たらクオリティの高さにも大いに納得です。Q-MHzに在日ファンクにGLAYのHISASHIにORANGE RANGEのNAOTO等々、このアルバムにかける本気度が窺えるラインナップとなっています」と述べているのが一例です。

 自己矛盾的でユニークなユニット名がそもそも象徴している通り、バンもん!はアイドルとは言ってもバンドとの中間体のようなスタイルが特徴で、発起人たる鈴姫みさこについては、神聖かまってちゃんのドラマーとしてのキャリアも有名です。出自からしてバンド或いは邦ロックとの親和性が抜群のアイドルであるため、僕が気に入らない道理はなかったとまとめられます。


 後者に関しては、夢アドの記事から引用すると「日本人という個々が生きてさえいれば国家的な精神性を誇示せずとも日本は健全なのではといった、坂口安吾の『日本文化私観』(1942)を彷彿させる自国像を、知ってか知らずか再現している」が、取っ掛かりとして適した文章です。詳細は遡ってリンク先をご覧いただければ幸いですが、時代の変化と共に変質した「日本(人)らしさ」にフォーカスしたアイドルソングとして、「結構なお点前で」も傑作のひとつだと評しています。



 ※ 動画内2:07~本曲の試聴が出来ます。

 ということで前置きが長くなりましたが、ここからが「結構なお点前で」のレビューパートです。楽曲制作を担ったのはDogP(活動休止中の黒赤ちゃんのメンバー・松野恭平と乾ひであきによる名義)で、クレジットからもバンド性は予感出来ます。実際のサウンドはミクスチャーな印象ですけどね。本曲の音楽性については話の流れでふれるので、まずは後述するとした「日本らしさ」から話を始めます。


 さて、本曲に於ける「日本らしさ」とはずばり何か。誤解を恐れずに言えば、「偽物感」にこそあると主張します。これは決してネガティブな意味ではなく、「現代では翻って本質に近い」と、アンビバレントに解せる誉め言葉だとご理解ください。

 歌詞をぱっと見ただけでもわかると思いますが、日本をテーマとしているナンバーにしては、過剰なまでの日本語と英語のちゃんぽんが特徴的です。歌い出しがまさに好例で、"日本のHeart 教えてGreat man/My teacher is 廉太郎 赤塚様は絵の巨匠"は、日本文化に寄与した偉人の名前を引用しつつも、それを英文の中に据えているところに、ある意味では狂気すら覚えます。

 しかし、このことは歌詞中でも自己言及もしくは自己批判(=皮肉に近いもの)されており、続く一節が"西洋かぶれ わたくしたちに教えてください"であることを加味すれば、西洋文化が溶け切っている現代日本の状況を、異常と見做して批評を加えるのは本意ではなく、ごく当たり前の光景としてファクトを描き出しているに過ぎないと、そう解釈するのが自然だとの認識です。迂遠な言い回しで恐縮ですが、この手の変質を「翻って本質に近い偽物感」とまとめます。


 曲名の「結構なお点前で」が象徴しているように、本曲のメインモチーフは「茶道」です。茶聖"千利休"も登場しますし、"苦くても クセになる"や"適温やっぱ最高ね"などのお茶由来の表現や、"茶茶茶"や"茶まってくれて ありがとたん"などの洒落が利いたフレーズも登場します。このように日本の伝統と呼べるものをモチーフとしているわけですが、"型破りな発想で"と共に革新性が歌われているように、保守性だけを良しとするわけではない、不易流行的な精神が提示されているのも重要な要素です。

 未来志向で文化を発展させていく素地の観点で言えば、千利休が確立した作法が現代でも受け継がれていることが証明しているように、業界に次々と新風を呼び込んでいくスタイル(=ニュー・スタンダードの形成)はやはり肝要でしょう。保守や伝統に固執し過ぎた結果、皮肉にも文化を潰えさせることになるケースも往々にしてあると思うので、これもまた「翻って本質に近い偽物感」に結び付けられるモチーフ選びだと主張します。まあこの場合は、先の西洋かぶれの例とは違って「偽物感」とすると語弊がある気はしますが、伝統を重んじて奇抜な新手を良しとしない立場からすれば、偽と断じたくもなるだろうと、視点を他方に移して納得していただけたら幸い。


 そして、ここからの記述が現代的なまたはバンもん!的な部分です。スタンザを跨いで引用しますが、"お茶のお供に「ぐみ」はいかが/わざとふざけちゃうのもご愛嬌/現代をClose up/未完成な物語に真実はあるのだ"は、ぶっ飛んだ発想にこそ本質が宿り、更に未来で評価されるかもしれないという、ここまでに述べてきた「翻って本質に近い偽物感」を、まさに体現するフレーズであると受け取れます。

 中でも"お茶のお供に「ぐみ」はいかが"は、ダブルミーニングどころか、もしかしたらトリプルミーニングかもしれない点がお気に入りです。ひとつは「お茶+グミ」という悪夢のような取り合わせのことで(「お茶味のグミ」ならともかく「お茶請けにグミ」だと思うので)、後に"わざとふざけちゃう"と続くのは、この見方に基いたものであるはずです。もうひとつはメンバーの名前「ななせぐみ」に由来する受け取り方で、わざわざ平仮名にしているのと鍵括弧で括っているのは、十中八九このためでしょう。そして、あるかもしれない三点目は「合組(ごうぐみ)」を意識したワードチョイスの可能性です。これは要するに「ブレンド」のことなので、"お茶のお供に"を受ける語とすると文脈的には不自然ですが、少なくとも[ぐみ]という音がお茶関連の用語に出てき得るものであるところに、面白みを見出せると感じました。


 ぼちぼち作編曲の面にもふれましょう。先に「サウンドはミクスチャーな印象」と述べましたが、これはポップロックをベースとしつつも、随所に和楽器の音が取り入れられている点や、落ちサビ前のスクラッチパート(3:04~3:22)に代表されるように、補助的な電子制御も施されているといった、「ごった煮感」を便宜上形容した結果の言葉遣いです。2番サビ後の"結構なお点前で"から続くセクションは、スクラッチに繋がることも考慮すればラップ調と言えなくもないので、ジャンル名としてミクスチャー・ロックを使ったとしても、カバーされる範疇にあるは思いますけどね。このパートの歌詞では、"無償の愛 つなぐよ Wi-Fi"のサイバネティック・ラブ感が素敵です。

 旋律も含めて全体として心地が好いのはBメロで、和風のラインに乗せて、"わびさび旅 写経書いてMake up/たまやかぎや 一期一会Night/滝 月 雪 あられやこんこん/我が日本のGrooveはいかが?"と歌われるのは、非常に僕好みの海外製サイバーパンク風な和洋折衷だと言えます。この優雅なセクションから、俄にハードなサウンドのCメロへと移行するギャップも好きで、ロックの暴力性と筝曲の荒々しい面のみを誇張させてミックスしたかのような音作りが、過去と現在の邦楽の融合に映り、これは確かに"我が日本のGroove"であると納得です。


 後は細かいツボについて雑多に言及していきます。まず歌い方に関してクセになるポイントを挙げると、サビの"Magical"および"Miracle"の連呼が、[マジコ]および[ミラコ]と発声されているところと、落ちサビに於ける同じメロディの部分;"転びながらよろけながら"が、歌詞内容に合わせてか「つんのめるような(=舌足らずな感じの)ボーカルディレクション」を背後に感じさせるアウトプットになっているところは、殊更耳に残るものでした。

 楽想とメロ変化に関して言えば、サビ前までにCメロまで進み、且つそれをBメロでサンドイッチしているという曲の構造が、そもそも珍しいと評します。1番のみですが、【A → B → C → B → サビ】の展開はあまり目にしたことがないなと。それでいて、通常はCに位置付けられるであろう2番サビ後の位置(=落ちサビ前もしくはラスサビ前と換言しても可)には、先のラップ調のセクションが来るので、アルファベットはDまで進められますし、ラスサビの後に再度Bが来てクロージングを迎える楽想も、中々にプログレッシブではないでしょうか。この言わばラストBメロに於いては、"先生さようなら"から旋律にひねりを加えてくる変化がニクいですね。

 前述したスクラッチ云々の文章中には上手く盛り込めなかったため、最後に補足的に書き足しますが、このパートの"結構なお点前で"の弄り倒し方は、都合6回も繰り返されるのに全く同じものがなくて、見事なDJマインドであると絶賛します。主に[ke]("結構"の「け」)の刻み方による差異ですが、パンの巧みさで左右を自由に行き来させているのも細かいです。僕の耳の性能に間違いがなければ、定位は【1回目:左、2回目:右、3回目:左、4回目:左右交互、5回目:右、6回目:左から右】でしょう。