今日の一曲!夢みるアドレセンス「舞いジェネ!」【平成28年の楽曲】 | A Flood of Music

今日の一曲!夢みるアドレセンス「舞いジェネ!」【平成28年の楽曲】

 【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:平成の楽曲を振り返る】の第二十八弾です。【追記ここまで】

 平成28年分の「今日の一曲!」は夢みるアドレセンスの「舞いジェネ!」(2016)です。レーベルをソニー系に移してからの3rdシングル曲で、アルバムとしてはベスト盤『5』(2017)に収録されています。



 当ブログで単独テーマを立てるのは初となる夢アドですが、嗜好・遍歴紹介記事には前からリストアップしていますし、別のアイドルにフォーカスした記事にも名前を出したことがあり、後者には僕が音楽好きの面から評価しているアイドルについての簡単な言があるため、筆者のスタンスを知る程度には参考になるはずです。

 今回の平成振り返り企画に於いて、何処かでアイドルソングにふれるべきだとは当初から考えていたので、遅くなりましたが本記事をその分とします。僕が小学生の頃にはモーニング娘。をはじめとしたハロー!プロジェクト系が流行っていて、世代ゆえこの辺りはしっかりと通ってきているため、平成10±2年あたりで取り上げるプランもあったんですけどね。


 この頃はまだ純粋にアイドルとしてアイドルを好んで(=対象の存在自体を魅力的に感じて)いましたが、中学生以降はあまり興味を持たなくなってしまった界隈で、後に僕がお気に入りとしてアイドルの名前を挙げることがあっても、それは良質な音楽を伴っていることが大前提*1となっています。従って、残念ながら僕には所謂ドルヲタ的な心得がなく*2、その浅学さでアイドル性を語るのも却って失礼だと考えるため、以降に記すのはあくまでも音楽的な観点から発展させた内容であることに留意してください。たとえそれがアイドル性に結び付けられる類の言及であってもです。

 *1 *2 この前提は二次元でアイドルをテーマとしている作品の嗜好に関しても同様となります。詳細は前掲の紹介記事内にある「リストCの説明」をご覧ください。ここに名前を載せている作品の場合は、僕がキャラクター像やストーリーの文脈まで把握出来ているため、作品観を語るといったスタイルで音楽以外の面も掘り下げられますが、これらの要素を現実に置き換えて、メンバー像やグループの歩みまで含めてアイドルを語れるかと言ったら、僕には難しいという意味です。



 立場の説明で前置きが長くなりましたが、話を夢アドに戻します。同グループの音楽の質が高い理由のひとつには、楽曲制作を名の通ったミュージシャンが担っていることを挙げられます。具体的な面々はレーベルのサイトなりWikipediaなりで確認してくださいと丸投げしますが、とりわけ近年の邦ロックが好きな層が流入しやすいラインナップであることは間違いありません。

 【追記:2025.7.16】 同じくベストに収録の「大人やらせてよ」(2016)をレビューした際には、楽曲の制作陣についてやや具体的な言及をしたので併せてご覧いただければ幸いです。 【追記ここまで】

 今回レビューする「舞いジェネ!」も、作詞と作曲をロックバンド・OKAMOTO'Sのオカモトショウが、編曲とプロデュースを音楽制作プロダクション・agehaspringsが、演奏をOKAMOTO'Sのメンバー全員がそれぞれ担当しており、クレジットからも本気の程が窺えます。両者とも一応当ブログで名前を出したことはあるので、気になる方はブログ内検索をご活用ください。ageha~については、所属クリエイターの名前(e.g. 蔦谷好位置, 飛内将大, 田中ユウスケ)で検索すればより多くの記事がヒットします。




 背景情報の解説を終えたところで、愈々楽曲の中身を見ていきましょう。曲名の「舞いジェネ!」は、歌詞にもあるように"マイ・ジェネレーション"との掛け言葉だと考えられますが、アイドル戦国時代とも形容される2010年代の、それも後半を戦い抜くアイドルを象徴する一節と言えそうなのが、サビ頭の"日本がもし終わっても 夢みるアドレセンス"という歌詞ではないでしょうか。

 自分たちが活躍の主戦場とする国の有様をどう切り取るかに、時代が表れるといった視点です。この性質上、以降の文章には多少イデオロジカルな成分が含まれるものの、その是非を問うているわけではないことは強調しておきます。夢アドおよび本曲に辿り着くまでが長くて恐縮ですが、きちんと着地させるので回り道をご容赦ください。


 さて、実は先にモー娘。の名前を出したのは伏線でして、彼女たちの代表曲「LOVEマシーン」(1999)の歌詞を例に取るところから始めましょう。"日本の未来は(Wow Wow Wow Wow)/世界がうらやむ(Yeah Yeah Yeah Yeah)"。この有名な一節を、敢えて煽情的な或いは恣意的な解釈で読み解くと、愛国心に満ちた内容であるとも言えます。リリース時の1999年は世紀末で(厳密には翌年ですが、2000年はミレニアムの印象が強いゆえ便宜上です)、終末論に傾きがちになる時期だからこそ希望を…との風潮は理解出来ますし、何より当時の日本ひいては世界には、後に9・11が起こることを考慮すると結果的には勘違いだったとしても、明るい展望が優勢だったと記憶しているので、同曲の歌詞は世相を反映させた得心のいくものでした。この時期の他の例としては、嵐の「SUNRISE日本」(2000)にも近いエッセンスを感じます。

 このように希望を希望のまま受け取れる余裕がまだあった気がするのはゼロ年代までで(もう少し早めてリーマン・ショックまでとしても構いません)、10年代に入ると発信側と受信側の双方で希望の捉え方に変化が生まれてきた印象です。大きな要因としてはやはり3・11の発生が挙げられ、以降で明るく前向きに日本を描くナンバーを発表した場合には、どうしても言外に復興の意味合いが加わり、巨大な絶望を文脈とする状況が不可避となりました。言外どころか明確な応援ソングですが、ももいろクローバーZの「ももクロのニッポン万歳!」(2011)はその好例でしょう。

 この時点でもある程度はコミュニティとして成立していた認識ながら、10年代も後半に入るとスマートフォンの普及によって一層SNS文化が隆盛を極め、一億総メディア時代となったことは、9・11や3・11に匹敵するほどの大変転だと考えます。数多の個が鬩ぎ合う時代となって浮き彫りになったのは、各人が思い描く自国像も実に多様だということです。従って、一口に愛国心と言っても、国粋的なものから批評的なものまで幅がある現実が意識されてか、必ずしも全体主義的な歌ばかりが日本らしさではないという土壌が形成され、そのカウンターとして個人主義的な向きで日本を描く歌も支持を集めるようになってきたと理解しています。大所帯であることとユニゾンが中心であるというグループの特性上、寧ろ対極の属性が似合いそうな気がする欅坂46も、「サイレントマジョリティー」(2016)、「不協和音」(2017)、「アンビバレント」(2018)、「黒い羊」(2019)と、抑圧された個に関するナンバーを毎年リリースしていますしね。


 超有名どころに絞って20年前からアイドルソングを振り返ってみましたが、まさに"マイ・ジェネレーション"が変わったと表現するのが端的かと思います。夢アドもこの新しい時代に生まれたアイドルであるからこそ、個性の大切さを説いた楽曲に恵まれているイメージで、その代表格に「舞いジェネ!」を認定したいのは前述の通りです。しかし、かと言って上掲の欅坂46の楽曲から窺えるような被虐的な世界観が濃いわけでもなく、良い意味での適当さを宿している点が;それこそモー娘。全盛期の頃にあったような根拠の無いポジティブさに満ちている点*3が、僕が本曲ひいては夢アドを好きな理由であると自己分析します。

 "日本がもし終わっても 夢みるアドレセンス"は仮定の話ではあるものの、あまり国家の枠組みを重要視していないことの表れに映り、この点では先の全体から個人へと偏重する考え方の変遷が見て取れますが、続く"恋をしていると きらめいて見えるよ 私たちの未来は (ヨイヨイヨイ良い!)"は、「LOVEマシーン」の歌詞と何ら変わらないですよね。笑 このハイブリッドなポイント・オブ・ビューが実に魅力的で、日本人という個々が生きてさえいれば国家的な精神性を誇示せずとも日本は健全なのでは*4といった、坂口安吾の『日本文化私観』(1942)を彷彿させる自国像を、知ってか知らずか再現している歌詞だと絶賛します。

 *3 *4 「舞いジェネ!」ではまだ"未来"が意識されていますが、次のメジャー4thシングル曲「おしえてシュレディンガー」(2016)では、"ごめん!未来でハッピーエンドのわたし!/にせんひゃく年に 笑えなくてもね/それはそれ!これはこれ!"と刹那主義的な立脚地が披露されていて、現在の自分が未来に責任を負わなくても良しとする姿勢もまた、更に個人主義を昇華させた楽観性でお気に入りです。ただし、曲名から明らかであるように元ネタは量子論の有名な思考実験であるため、全体で言わんとしているのは未来の不確定性についてであろうとは付け加えておきます。両曲の結び付けが唐突に感じられた方のために補足しますと、「おしえて~」の間奏には「舞いジェネ!」のコーラスが引用されているので、関連性があるものとして序でに紹介しました。

 "「いい時代だった」と 思い出磨きばかりしてる大人達よ"で「明るい展望が優勢だった」過去を、"暗い暗いニュースも無関心ここ日本で"で「巨大な絶望を文脈とする状況」下の現在を、"Twitter、Facebook、ワイドショー誰もが御意見番"で「一億総メディア時代」の到来を、それぞれきちんと描き出していて、そんな厄介さが極まった時代でも未来志向で好きに生きていこうといった、前向きなメッセージが込められているところが本曲の美点であるとまとめます。


 そして、この主張が最も効果的に響く音楽として、歌詞にも示されている通りの"ダンス・ミュージック"を持ってきたのは、大正解とするほかないでしょう。ロックバンドが手掛けた楽曲ゆえ、パッショネイトなギターリフとグルーヴィーなベースラインでつなぐダンスロックチューンの向きが強いですが、10年代でダンスと言えばEDMだと、安易な路線に走るよりは好意的に思えます。

 アイドルソングには定番の合いの手の多さも、"舞い"が意識されていることによって、本来の邦楽的なもしくは民謡的な質感が滲んだものとなっているので、サウンド面できちんと日本らしいエッセンスへの敬意が払われているとわかる点も好ましいです。

 あとはもう感覚に訴えかける話ですが、MVの内容も含めたラスサビから迸る多幸感には、得も言われぬ充足を覚えます。J-POPの楽想に宿るシンプルな良さが際立っていると表現しましょうか、キャッチーなサビメロは3度目ともなると初聴だろうが何となくは口遊めるくらいに耳に馴染むので、"ええじゃないか"の輪の中に自分の居場所が出来たような気がするからですかね。ここまでに個を取り立てたレビューをしておきながらあれですが、何だかんだで仲間との調和を重んじたいのもまた、日本人らしさの一側面でしょう。


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