CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その2 | A Flood of Music

CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その2

【お知らせ:2019.10.12】令和の大改訂の一環で、本記事に対する全体的な改訂を行いました。この影響で、後年にアップした記事へのリンクや、本作がリリースされた後に得た情報も含む内容となっています。


 本記事は「CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その1」の続きです。レビューの趣旨や留意点についてはリンク先をご覧いただくとして、前置きはなしで本題に入ります。

 ただ、一点だけ新たな注意事項を付け足しますと、以降の本文中で曲番号を表示する必要があった場合には、その前にDisc番号を副えることをご了承ください。たとえばDisc 1の一曲目に言及している時には、「1-01.」と表すといった具合です。曲名を記した小見出し(「01. 曲名」)は、当該のDiscに限定される情報ゆえに従来通りの表記をしますが、本文中では混乱を来すので区別をつけます。


Disc 2 CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection


 本記事ではDisc 2に収められている15曲をレビューの対象とします。16thシングル『夢じゃない』(1997)から30thシングル『春の歌』(2005)までの表題曲が通時的に収録されたディスクです。なお、この間には両A面の形式でリリースされたシングルが4作ありますが(18th, 19th, 22nd, 30th)、2nd A面に相当する楽曲については未収録となっています。


01. 夢じゃない



 1997年リリースの16thシングル曲で、4thアルバム『Crispy!』(1993)からのリカットです。ドラマの主題歌に起用されたことによる数年越しの時間差リリースで、シングル化に際してリミックスされています。本作に於いては曲名上の特記がありませんが、シングル時のクレジットにはきちんと「~remix~」と付されており、正確を期した表記はこちらのほうです。TNにはこの旨が記してあるため、曲名では省略したのでしょう。

 希望に満ちた曲題のせいか、次曲の2-02.と共に某TV番組でネタ的に使われていた記憶が新しいのですが、サウンドに漂う哀愁と歌詞の健気さ、そして上掲した落涙必至のMVのイメージも手伝って、表題の「夢じゃない」を文字通りに受け取るハッピーな解釈は、個人的にはしたことがありません。歌詞の"夢じゃない 孤りじゃない 君がそばにいる限り"は、素直に解すれば単なる条件文でしょうが、一方で「君がそばにいてくれたなら、僕は孤りじゃなかったのになぁ」という、仮定法過去完了的な捉え方も出来ると考えており、僕は後者を支持しているからです。その場合はそもそも、"君"と「僕」(本曲中の主人公を便宜的に規定する語)は同じ場所に存在していません。

 歌詞中の言葉を引用しながら、上記のイメージを補強します。「僕」は泳いで"最後の離島"に;つまりこれ以上探しようのないところまで来たのに、"君"はそこから見えるだけでふれられない存在だったと、舞台設定に照らせば水平線に沈む夕日のようなものだとわかったと、このような理解が前提です。"君を見つめていた"は、近距離でそうしているケースも当然想定可能ですが、後に"いびつな力で"と出てくるのは、遠距離ゆえの表現に思えます。"君にうもれていた"は、直接的な接触を示唆しているので一見反例となりそうなものの、"季節の魔法で"とフィクションで前置きされているため、やはり実際には二者間に乗り越えられない距離があるとの認識です。だとしても、この状況は「僕」にとってワーストではなく、"君"の姿を視認出来て、更に概念的なサポートも行えるのであれば、それは"夢じゃない 孤りじゃない"のことの証明となるのでしょう。


02. 運命の人

 1997年リリースの17thシングル曲。8thアルバム『フェイクファー』(1998)収録の「(Album Version)」より、キーが半音高いバージョンです。どちらを先に聴いたかによって印象も変わると思いますが、個人的には半音下げのほうが心地好く感じます。TNではサウンド面で「ブレイク・ビーツの融合」と評されており、この点はこれまであまり意識してこなかったものの、本曲のポップさを根底で支えているのは確かにその要素かもしれないと、新たな発見がありました。

 本曲に関しては歌詞の素晴らしさを特に絶賛したく、モチーフたる「運命の人」に端を発した、"愛"の描き方を高く評価しています。とりわけ気に入っているのは、"晴れて望み通り投げたボールが 向こう岸に届いた"で、個人的な経験談として告白に成功した時の場面を思い返してみると、まさにこのフレーズ通りのビジョンが脳内に浮かぶからです。ただ、これに続く一節が"いつも もらいあくびした後で 涙目 茜空/悲しい話は 消えないけれど"であることを考慮すると、本曲の主人公はボールを向こう岸に投げられなかった側の人間と取るのが、文脈上は自然でしょうね。しかし、ここで腐らずに"もっと輝く明日!!"と継いでいるのが真に魅力的な部分で、他にも"愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ"や、"自力で見つけよう 神様"などに代表されるように、"愛"や"運命"から逃げない姿勢を貫き通しているところに好感を持てます。この主人公はいずれ報われるであろうと、明るい展望が窺えますよね。きっと、将来は剛腕投手です。


03. 冷たい頬

 1998年リリースの18thシングル曲で、両A面のうちの一曲です。曲名にある「冷たい」を深読みして、死に結び付ける解釈も昔から割とポピュラーな気はしますが、個人的には歌詞内容はストレートに受け取るのが吉だと思っています。端的に表せば、"幻"と消えてしまった"恋"の歌であるとの理解で、2-02.で歌われているのが成功体験への希求とするならば、対してこちらで提示されているのは完膚なきまでの失敗体験ではないでしょうか。どんなに"君"との時間や世界を共有したつもりでも、"それが全てで 何もないこと"でオチる物語には、取るに足らないサイドストーリー未満の虚しさが残ります。

 そんな色恋沙汰の敗者となってしまった側に、無慈悲な現実を突き付けていくようなフレーズのオンパレードで、"あきらめかけた 楽しい架空の日々に/一度きりなら 届きそうな気がしてた"の淡い期待も、"ふざけ過ぎて 恋が 幻でも/構わないと いつしか 思っていた"の望まぬ不誠実さも、"壊れながら 君を 追いかけてく/近づいても 遠くても 知っていた"の自覚せし気持ち悪さも、"夢の粒も すぐに弾くような/逆上がりの 世界を見ていた"の現実逃避も、"手帖の隅で 眠り続けるストーリー"の閉ざされた展望も、総じて負け犬マインドに根差していて容赦がありません。

 メロディ構成の独特さも本曲の特徴で、【Aメロ×2 → サビ → 間奏 → サビ → Aメロ】といったシンメトリーのような楽想は、シングル曲としては殊更に攻めていると評せます。1-15.でも、解説記事にリンクする形で曲構成のユニークさにふれましたが、90年代後半のスピッツは、J-POPというメジャーシーンの中で何処まで定型からの逸脱が許容されるかを探る、実にロックバンドらしい冒険をしていた気がしますね。


04. 楓



 1998年リリースの19thシングルで、8thアルバムからのリカット且つ両A面のうちの一曲です。使い古されていて陳腐な気がするので、僕は普段あまり使わない形容を持ち出すことになりますが、「珠玉のバラード」という言葉が相応しい、非常に感動的なナンバーであると絶賛します。歌詞、旋律、編曲、演奏、歌唱の全てが同一のベクトルで一切ブレずに機能しているからこそ、ここまでの完成度の高さを誇っているのでしょう。

 別離を歌った曲の括りでも、本曲ほどの傑作はそうないとの認識です。"さよなら 君の声を 抱いて歩いていく/ああ 僕のままで どこまで届くだろう"とのシンプルな言葉繰りが、茫然自失の中から何とか前を向こうと絞り出した結果の産物だとわかってしまう切なさに、涙を堪えきれませんでした。2-02.の成功体験、2-03.の失敗体験の解釈を継続させれば、本曲では成功体験の後の失敗体験が描かれていると感じます。要するに、一度は想いを通わせた相手との別離にフォーカスしているとの理解で、なおのこと受けたダメージも大きかったのだろうと察せるわけです。この悲哀を最も鮮やかに切り取っていると思うのが、"瞬きするほど長い季節が来て"という時間感覚の矛盾をはらんだ一節で、喪失に伴う見当識の欠如は愛が深ければ深いほどに症状が重くなるということは、実感として思い至る方も多いことでしょう。


05. 流れ星

 1999年リリースの20thシングルで、1996年に辺見えみりに提供された楽曲のセルフカバーです。本曲に対する愛は、「その1」の記事でも紹介した過去のエントリー『ソラトビデオCOMPLETE 1991-2011』(2011)の中で殆ど語り尽くしており、昔の拙い文章とはいえ代用に足ると判断しました。一部補足をしますと、リンク先には「中学生のころに狂ったように聴いてました」との記述がありますが、当時の僕に本曲に関する特別なエピソードがあったというわけではありません。それなのにどういうわけか偏愛の念を覚えるほどに気に入っていた記憶があり、その経験自体が強烈だったということを伝えたかったのです。中二病の一種ですかね?笑

 そう冗談めかして片付けるは簡単ですが、あくまで分析的に当時の自分の感じ方を推測してみた結果、おそらく本曲の洋楽的な構成に衝撃を受けたのだと思います。表題の"流れ星"から始まるセクションは明確にコーラスだと言っていいでしょうが、他の二つのセクションは1番と2番で全く異なるメロディを有しているため、"僕にしか見えない"~をヴァース、"君の心の中に棲む"~をブリッジ(もしくはセカンドヴァース/プレコーラス)と表すのが、個人的にしっくりくる区分案です。これを邦楽的な言葉に置き換えると、【Aメロ → サビ → Bメロ → ラスサビ】となり、おおよそのJ-POPの定型からは逸脱するわけですが、未だ中学生でJ-POP以外の楽想をよく知らない認知のレベルからしたら、「なんだこの面白い曲!」と驚きにつながるのも無理からぬことではないでしょうか。2-03.でも書いた通り、僕に非定型の良さを教えてくれたという意味でも、スピッツには感謝しています。


06. ホタル



 2000年リリースの21stシングル曲。シングルのディスコグラフィー上では、本曲から明らかにサウンドが現代寄りになったことが窺えます。ミレニアムイヤーによる新時代への期待に加えて、TNにもあるように8cm(短冊形CD)と12cm(マキシCD)への過渡期であったこと、そして1-07.でも名前を出した悪名高い『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』(1999)のリリースも重なり、音を一新したくなる動機しかない状況だったのだろうなと納得です。

 今改めて聴いても、本曲は過剰なほどに格好良いナンバーだと感じます。きちんとスピッツらしさはあるので、過剰というのは決して悪い意味ではありませんが、曲が持つ儚さでさえ男らしく映る硬派なアウトプットは、従来のバンドイメージを打ち破るのにも充分だったことでしょう。この路線の集大成として、スピッツ史上最もロックな名盤・9thアルバム『ハヤブサ』(2000)が誕生したのだと思えば、商業的な思惑のみでの発売となった『RECYCLE』にも、カウンター精神を爆発させる役割として意義はあったと考えます。本作を含む『CYCLE HIT』シリーズも、先に『RECYCLE』がなければ出ていないかもしれないわけですからね。


コラム③:高音質化のジレンマ

 スピッツに限らず、長年愛されているアーティストの作品には等しく言えることですが、過去作のリマスター盤がリリースされると、先述した「〇〇から明らかにサウンドが現代寄りになった」といったような、当時代性と絡めた差分が聴き取りにくくなってしまうのが、致し方ない残念な点だと思います。従って、より良い音質を求めてリマスター盤を購入したとしても、リマスタリング前の音源のほうを依然素晴らしく感じてしまうのも、僕には間々あることです。他のミュージシャンで例示しますと、Underworldが定期的に出しているリイシュー盤についてレビューした記事に於いても、この点に関するもどかしさを記述しています。

 良質の音源を最良の機器で鑑賞することが至上であるのを大前提としたうえで敢えて主張しますが、旧時代ゆえの技術的限界に直面している従来の音源であっても、それは当時の技術の粋を集めて最適化したものであるため、決して不出来なアウトプットになっているわけではありません。それでも更なる高品質を目指す意図で、リマスタリングの実行やハイレゾ音源の生成は非常に意義深い試みではあるものの、より気軽に高度なリスナー体験を味わう手段としては、旧い音源を最新の機器で聴くというものがあります。勿論先に至上とした環境設定には敵わないけれども、当時の音源の空気感を残したまま新鮮味も覚えたいといった観点では、後発にリリースされた高音質音源に手を出すよりも、この聴き方のほうが目的に適う場合があると主張したいです。この点まで意識された理想の高音質化もないとは言いませんが、リマスターやハイレゾにはサウンドを強制的に現代の型に当て嵌める性質があり、それによって却って歪さが生まれてしまう音源もあると考えています。

 「その1」の記事のコラム①でも紹介した通り、スピッツのディスコグラフィーには過去作の高品質盤として、2002年のRemaster Series、2008年のSHM-CD、2017年のレコードのリリースが存在しており、自身の環境にあわせた選択が可能となっている中、上述した楽しみ方のためにネックとなるのは、8thまでのアルバム作品のオリジナルが現在では廃盤となっていることです。従って、古くからのファンは当たり前のように所持していても、後年からファンとなった方は中古店やネット取引でユーズドを入手するしかありません。オリジナル盤の8thまでの音質や音像を知っていてこそ、9thからのサウンド変化のインパクトも際立つので、機会があれば蒐集することをおすすめします。加えて、そもそもの観点として、リマスター盤の妙味を享受するためには、元のクオリティを知ってたほうが有利です。本コラムはともすれば、本作に於けるリマスタリングへの批判に映ったかもしれませんが、コラム①で「スピッツの場合はマスタリングに(中略)改善の余地がある」と述べたように、単純にその品質についてのみ語るならば、意義のある仕上がりになっていると認識しています。



07. メモリーズ

 2000年リリースの22ndシングル曲で、両A面のうちの一曲です。本曲は珍しい経緯を辿っており、時期的に本来の収録先となっていたはずの9thアルバムには、大胆にアレンジが変更されて大サビも追加されて曲名も異なる「メモリーズ・カスタム」の形で収められ、こちらの言わば無印バージョンが初めて収録されたアルバムは、2枚目の特別盤『色色衣』(2004)となります。従って、アルバムだけをリリース順に追っていたタイプのリスナーは、無印のほうを後から聴いたことになるはずです。

 「カスタム」は9thの作風に寄せたハードなロックサウンドが顕な変貌の遂げ方をしていますが、無印はメロディラインのポップさを素直に解釈したのであろうアレンジが特徴的で、クジヒロコさんのキーボードによるキャッチーなセンスが好い仕事をしています。ボーカルトラックに強めにエフェクトがかけられていることにも特筆性があり、草野さんの美麗なボイスを意図的に歪めるのは冒険心に溢れた決定です。ただ、サビメロはともかくAメロは旋律性に欠けるというかラップ調の側面があるため、このディストーションは効果的に機能しています。

 歌詞内容では、年齢を重ねてその重みがわかった気がする、"ひっぱり出したら いつもカビ臭い 大丈夫かな? メモリーズ"がお気に入りです。きちんと整理整頓をしておかないと、良いメモリーズも悪いメモリーズも曖昧になって、二度と思い出せなくなってしまいそうな恐怖心は確かにあります。"不自然なくらいに幼稚で切ない 嘘半分のメモリーズ"という自虐も、劣等感に対する表現が見事で素敵です。


08. 遥か

 2001年リリースの23rdシングル曲。10thアルバム『三日月ロック』(2002)収録の「(album mix)」ではなく、シングルバージョンでの収録です。本曲に対する思いも、『ソラトビデオCOMPLETE』のレビュー記事で述べた内容で大方満足しているので、お手数ですがリンク先を参照してください。またも一部補足をしますと、「やはりスピッツの曲は文学的で、マサムネは詩人でもあるなと思わされます」と語ったほどに好いているレトリックは、ありふれた言葉に付される修飾の豊かさです。"フツウの毎日"の前の"夏の色に憧れてた"、"I love you"の前の"ニオイそうな"、"「幸せ」とか"の後の"野暮な言葉"が好例で、"僕"のひねくれたポイント・オブ・ビューの提示の仕方が巧いと思いました。

 他にも印象に残る一節が多く、たとえば"思い出からツギハギした 悲しいダイアリー"は、2-07.と続けて収録されたことで同曲の歌詞を彷彿させるところがあると気付けましたし、"時の余白 塗り潰した あくびの後で"は、続く"「幸せ」とか"が本当に"野暮な言葉"なのかどうかを自問するような迷いを、日常的な生理現象の余韻に見出したと解せる点で高度な表現に映ります。"崩れそうな未来を 裸足で駆け抜けるような"は、シンプルに比喩が上手だと感じ、それを"そんな裏ワザ"で置き換える言語感覚にも脱帽です。


09. 夢追い虫

 2001年リリースの24thシングル曲。本曲については過去に「今日の一曲!」で大きく取り立てているので、レビューは全てそちらに委ねます。詳細に記してあるため、補足も特にありません。


10. さわって・変わって

 2001年リリースの25thシングル曲。本曲からプロデューサーに亀田誠治さんが起用されたことで、これまでのスピッツにはなかったタイプの「圧」がサウンドに付加されたと感じます。具体的には、プログラミングが介入することへの許容度が以前より増した感があると分析していて、この音作りへの最終的なゴーサインはクレジットにある通り、バンドと亀田さんがタッグを組んだからこそ出たのでしょう。実際に打ち込みを担当しているのは亀田さんとは限らないので(Disc 2の残りでは、本曲と次曲の2-11.は中山信彦さんによるもの)、全部が全部亀田ワークスによる産物だとは言わないものの、当人が元より高いネームバリューを誇っていたこともあってか、当時はこのニューサウンドに賛否両論あったと記憶しています。

 歌詞に対するニッチなツボを挙げると、僕は具体的な地名が登場する楽曲が好みなので、福岡県は"天神駅"から幕を開けるのは高評価ポイントです。出身地を贔屓にしている点もそうですが、"3連敗のち3連勝して街が光る"という趣味の野球に由来するのであろう一節も含めて、草野さんのパーソナルな世界観にフォーカスされているのを微笑ましく思います。余談ですが、本作のタイトルが『CYCLE HIT』であることに因んで、福岡ソフトバンクホークスのサイクルヒット達成記録を調べてみたところ、本記事に改訂を加える前の2017年の時点では該当者がいませんでしたが(ダイエーおよび南海の時代にはあり)、2018年には柳田悠岐選手が見事サイクル安打を達成しています。

 話を戻して、純粋に内容が好きな歌詞上のフレーズは、冒頭の"天神駅の改札口で 君のよれた笑顔/行き交う人の暗いオーラがそれを浮かす"です。待ち合わせの場面で、先に到着したほうが改札前でそわそわしている状況で、大勢の中から意中の人のみがパッと目に飛び込んでくるあの感じが、鮮やかに切り取られていると評します。また、歌詞表現に文彩のある草野さんが言うからこそ説得力があるのは、"言葉より確実に俺を生かす"で、この非言語コミュニケーションの重要性を説く一節こそが、表題の「さわって・変わって」の言い換えとなっていて技巧的です。


11. ハネモノ



 2002年リリースの26thシングル曲。1-05.でも編曲を理由に「ダンサブルなアプローチ」なる形容を載せましたが、軸をプログラミングに委ねてバンドサウンドを積み重ねていく方式の本曲もまた、わかりやすいほどに踊れるアウトプットとなっています。クラップの多用もいかにもダンスミュージックなファクターで、個人的に大好物です。従来のスピッツらしいとは言えない新機軸のトラックながら、緩急のあるハイスキルな演奏は流石としか言いようがなく、亀田さんの持つキャッチーな感性と中山さんによる打ち込みの妙が、バンドのキャリアと好いケミストリーを起こしていると感心します。

 ここでソースは脳内のレベルの曖昧な情報をひとつ披露しますと、本曲の歌詞に登場する"文字化け"という言葉は、リリース当時の2002年の時点では、比較的新しい語であったとの認識です。おそらくはワープロ専用機の時代から概念自体はあったと推測しますが、それに代わってパソコンが一般家庭に普及したことで、更に身近になった専門用語だと捉えています。この背景を意識してか、草野さんが「技術が進歩した後年になって、この"文字化け"の意味がわからなくなったら面白いから歌詞に使った」的なことを、何かの媒体で話していた記憶があるんですよね。記憶違いやデマにしては内容が具体的なので、ある程度は真実らしい気はしていますが、もしかしたら他の人物との発言と混同しているかもしれません。ともかく、この観点で"文字化け"に向き合ってみると、現在は昔ほど文字化けしたページに遭遇する機会は減りましたが、コンピューターに於ける文字表示の仕組み上致し方ない面があるため、死語になっているかと問われたら否でしょうね。ただ、Wikipediaにも多言語で項目が作成されている通り、寧ろ英単語として世界に羽搏いていった語なので、表題の「ハネモノ」らしさがなきにしもあらずと結んでおきます。


12. 水色の街

 2002年リリースの27thシングル曲。2-11.とは同日の発売で、26thを新機軸としたならこちらには王道のスピッツらしさがあります。バンドにはこの時点で既に15年近いキャリアがあるので、王道にも色々なパターンが存在しますが、この文脈では死を匂わせる歌詞内容と、寂寥感のあるサウンドに覚える刹那的なイメージをもって鉄板とする、本作の収録曲で言えば1-14.的な路線の作風についての言及です。同曲を引き合いに出した以上、同じようなことを再度書くことになりますが、"川"のモチーフは此岸と彼岸を隔てる象徴的なものとして打って付けですし、"水色のあの街"も何処か現実感に乏しく、あの世の構造物の如き印象を受けます。サウンド面でも、本曲のパワフルなドラムプレイは宛ら奔流のようで、容易に川を渡れないビジョンとは即ち、安易に渡ってはならないという向こう側からの警告ではないでしょうか。"会いたくて 今すぐ 間違えたステップで"も、正道を外れていることの証左に映ります。

 以前にも別アーティストの記事で述べたことがありますが、サビに具体的な意味を持たない言葉(本曲の場合は"ラララ…")を据えた楽曲をリリース出来るのは、「自信と技術が共にある」ことを明らかにするとの認識です。更にそれをシングル曲として発表したとくれば、そのチャレンジングな姿勢を支持しないわけにはいかなくなります。この立脚地は僕が古くから抱いているものでしたが、TNにも近しい記述があって共感&安心しました。笑 言われてみれば、由紀さおりの「夜明けのスキャット」(1969)も確かにそうですね。


13. スターゲイザー

 2004年リリースの28thシングル曲。TNでもふれられている通り、当時は『あいのり』効果強し!と思いました。僕も同番組にはご多分に洩れずハマっていた口ですが、この頃のフジテレビは本当に乗りに乗っていたよなと遠い目です。恋愛を主軸としたバラエティ番組の主題歌に相応しく、1番の歌詞はかなりわかりやすい仕上がりになっている一方、2番以降の歌詞では俄に表現のレベルが上がり、この二面性に迎合だけでは終わらない反骨精神を見たことを覚えています。たとえば、"すべてを嫌う幼さを 隠し持ったまま/正しく飾られた世界で 世界で"は、草野さんが普段得意としている(と僕が勝手に思っている)詩的な巧さとは異なる、回りくどいけれど理知的な文体が新鮮です。そう感心していたら、次の一節には"魔球"と半フィクションの用語が出てきて、表現の振れ幅に驚かされます。そもそも「スターゲイザー」という横文字の表題にもセンスの良さが表れていて、歌詞中にその語は登場せず且つ外来語は"ドラマ"しかないくらいには日本語オリエンテッドな歌詞だけに、なおさら意表を突かれた思いです。

 メロディの面では、大サビにあたる"明かされていく秘密"~のセクションの盛り上がり方が堪りません。主にドラムパターンの影響で、直前の2番サビに抱いてしまうある意味では単調な印象を、力強く拭い去っていくだけの熱量が当該の部分にはあります。ドラムの手数が多くなっているのは明確な対比として、ベースとギターが奏でる上昇志向のラインにも覚醒の感があり、このピークがあるからこそ敢えて直前はシンプルだったのだなと得心がいきました。これを経ると、ギターリフに宿る流星のイメージもなお鮮明になりますね。


14. 正夢

 2004年リリースの29thシングル曲。おそらくミキサーの違いによる音感の差だと推測しますが、本曲は従来のスピッツらしさを前面に押し出した回帰的なサウンドに根差していると捉えています。同じく亀田さんのプロデュース下にあるナンバーでも、2-10.~13.までは工藤雅史さんによるミックスでしたが、本曲は高山徹さんによるミックスなのです。高山さんは2-09.のミキサーでもあり、同曲とあわせて氏のワークスから窺える特徴を書き出しますと、ザラっとした質感を付与することに長けていらっしゃると評価出来ます。この手の良い意味で擦れたアウトプットも、スピッツのバンドサウンドにはよく馴染むと好感触です。楽器のクレジットを見ると、弦の実演に金原千恵子ストリングスが、弦の編曲と打ち込みに亀田さんが参加しているとわかるので、もっと装飾が目立つ編曲になってもおかしくないように思えるのですが、実際にはそうなっていません。この裏には、制作に携わった全員が「本曲はバンドが主体であることを強調したほうが響くだろう」と、その判断に至る共通理解があったように感じます。

 歌詞にも従来のスピッツらしさがあり、これも僕が勝手にカテゴライズしているだけの話ではありますが、デビュー当時からずっとはみ出し者の気持ちを歌い続けることを信条としているバンドとの認識ゆえ、歌詞の"ずっと まともじゃないって わかってる"は、自虐めいていながら端的なところがお気に入りです。ただ、真の美点はここでネガティブ一辺倒で終わっていないところで、"『届くはずない』とか つぶやいても また/予想外の時を探してる"や、"小さな幸せ つなぎあわせよう 浅いプールで じゃれるような"、"デタラメでいいから ダイヤルまわして/似たような道をはみ出そう"に、"愛は必ず 最後に勝つだろう そうゆうことにして 生きてゆける/あの キラキラの方へ登っていく"と、あくまでスタンスは前向きであるとわかるのが、幅広い感性の人に愛される所以でしょう。


15. 春の歌



 2005年リリースの30thシングル曲で、11thアルバム『スーベニア』(2005)からのリカット且つ両A面のうちの一曲です。TNで解説されているように、アクエリアスのCMソングに起用されていたこともあってか、2000年代の作品の中では2-13.に次いで、一般層に対しても高い知名度を誇るナンバーだと見ています。加えて、10年以上後には映画『3月のライオン』後編の主題歌として、藤原さくらが本曲をカバーしたことで更に有名になりました。セールス的な話をしますと、スピッツの楽曲は1-07.や2-01.や2-04.が好例であるように、リカットでもきちんと人気を博す点が地味に凄いと思います。人気があるからこそリカットされるといった面も当然あるでしょうが、この手の洋楽的な売り方を物に出来ているのも、スピッツの強みと言えるかもしれませんね。

 歌詞のわかりやすさというか直球勝負の内容も、ヒット要因のひとつであるとの分析です。表題を含むフレーズ、"春の歌 愛と希望より前に響く/聞こえるか? 遠い空に映る君にも"と、"春の歌 愛も希望もつくりはじめる/遮るな 何処までも続くこの道を"のストレートさは、新たな生活への応援歌として多くの人の心を揺さぶったことでしょう。ここまでの道程の過酷さの描写もイメージしやすく、"重い足でぬかるむ道を来た トゲのある藪をかき分けてきた/食べられそうな全てを食べた"や、"平気な顔でかなり無理してたこと 叫びたいのに懸命に微笑んだこと"などは、草野さんにしては簡明直截な言葉繰りですよね。

 演奏の面では、アウトロに相当する3:50~の軽快さとナチュラルさが大好きで、Cメロの"歩いていくよ サルのままで孤り/幻じゃなく 歩いていく"という歌詞のビジョンを、そのまま音楽に変化させたかのようなプレイだと喩えます。独りでも自然体で生きていくことを受け容れた心と体の中で、高らかに鳴り響く「前進」のサウンドスケープです。



 以上、Disc 2に収められている全15曲のレビューでした。総括的なことは「その3」の記事でまとめて述べるので、本記事の〆には続きとなる「CYCLE HIT 1991~2017 / スピッツ その3」の記事へのリンクを貼るだけにしておきます。


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