妄想生まれの詩神 -5ページ目

目標無き旅人

あなたはどこへ向かおうとしているのだろうか?
答えることは出来なかった。私は風来人だからだ。
旅が終わることは一生ありえない。
死んだ場所が墓場である。でも、魂は旅を続ける。
向かう目的地は存在しない。


それが私なのかもしれない。


などという話を始めにした今回の話は、


あなたは誰を尊敬しているか?だ。
親・親友などお世話になった人を言うかもしれないが、
作家などの創作家としての話である。


大抵の、作家の卵や、ミュージシャン、漫画家、
スポーツプレイヤー、芸能人ETCに話を聞くと
「プロ」として偉大で、影響を受けた人が最低1人は出てくる。


なぜなら、その人をきっかけにプロになろうと決心し、
人生を変えて、目標とし、現在があり、未来があるからだ。


もし、どこかで落胆し、落ち込んだ時に、その人の残した言葉や
作品を見て、気持ちを持ち直す。


人が人であるが故に、人は人に頼る。
人は一人では生きていけない。だから、信頼出来る人がいる。
それが、尊敬出来る人だ。


しかし、私には目標とし、尊敬出来る人はいない。


だから、何回もプロになろうとし、失敗している。


今回、ブログに書こうとした、きっかけは
他でもない。実は、自分の作品だった。


丁寧に日付まで書かれた、その日は2002年まで遡った。


見れば見るほど、単純な思い付きを発展させて
準備周到にも関わらずその作品は、計画だけで終わっている。


そして、次のページをめくると新しい作品に話は移っている。


「この時、もっと頑張っていれば良い線行ったんじゃね?」


あれからたくさんの作品に触れた。
本もたくさん読んだ。知識も増えた。経験もいろいろした。


でも、過去の作品から感じる印象は
前よりも強くなっている気がした。


なのに終わっている。


その時に、私は大事な事を書き忘れていた。


どこかに、失敗し、落ち込んだ時のための言葉が無かった。


目標を失った旅人は、旅を止めて、死んでしまったのだ。


しかし、私の創作家魂は不死鳥である。
死んでも、転生を繰り返し、形態、考えを変えて舞い戻る。
ある意味で強さがある。弱さは、次への強さを生み出す。


旅人は永遠に旅人である。


目的地はあれど、死ぬ場所はない。それが、私だ。

ペンネームの変遷

稲田ネオ。これは、過去のペンネームである。


私のペンネームは、今の近藤黎児に至るまで幾つかの変遷を経ている。


では、その歴史を見てみよう。


最初に、本名でない名前を付けるきっかけになったのはゲームだった。
ファミコンで某RPGで遊んでいる時だった。


「自分の名前でやるなんて、ダセェw」


友人の一人に言われたのが最初だった。
ゲームで使う専用の名前・ゲーム名(通称・ゲー名)を
考えようと思ったのは、更に時が経ち別のゲームをした時だ。
(昔もデフォルトネームはあったが、それもダサい


今もDSでリメイクを遂げている、「ファイナルファンタジーⅤ」は
私の中でかなりヒットした作品だ。

ジョブシステムによる選択性の高い戦闘。
植松伸夫による洗練された音楽。
2Dの感情豊かな表現…。
挙げれば枚挙にいとまがない名作である。

ラスボスの名前は、「ネオエクスデス」と言った。


そこから取って「ネオ」というゲー名を付けた。


あまり名前らしい名前とは当時思わなかった。
ゲームで使うだけなので、どうでも良かった。
だが、大ヒット洋画「マトリックス」で
主人公の名前が「ネオ」なのは驚いた(゚д゚)


趣味で少しの間、絵を描いていた。


ネオというのはあったが、それでは寂しかろうと
苗字として、小学生来の親友である「狼凍(ロト)」の
苗字を、お世話になった意味を込めて「稲田ネオ」とした。


作品を作るたびに、ペンネームは進化を遂げた。

第2の人格として、「ネ」「オ」を頭文字になるように
「根藤オウミ」(桜実 と書く時期もあった)
なんてのも生まれ、たまーに使うときがある。


私は、姓名判断を信じる。

だから、画数を有名作家と同じにするようにし
それを文章を書くときの名前として、現在も使っている。


近藤黎児(こんどう れいじ)


本当に同じかどうかは知らんが、その時に数えた同じ画数は
現在使っている、近藤黎児である。


ブログなんて個人名でやるもんじゃないから、
適当に付けている人が多いかもしれん。

それはそれで良いんじゃないでしょうか。

私は日本語を一つ作った


妄想生まれの詩神-シバい川 その日は、今のように寒い日だった。


私は家から、駅まで自転車で向かう通勤中だった。

赤信号を目の前にして、スピードを緩める。


ふと、目を前から横へと逸らし、川を見つめる。


「シバいな」


ふと、私はその川を見て口走った。

工業用水も流れるその川は、

グレーのような濁った色をしていた。

時折鼻を曲げるような匂いもする。


あとで冷静になって考えた。

「あれ?『シバい』ってどういう意味だ??」

意味が分からないのも無理は無かった。
そんな日本語は存在しないからだ。


当時は、文章に熱中していた時期である。
私が取った行動は、人が思いもよらぬ方向に発展する。


「そうだ。意味が無いなら作れば良い。」


私は、その日から「シバい」の意味を作るべく行動し始めた。
現在では「微妙」や「言葉にならない言葉」の一つとして認識し

「シバい」話を提供しようと行動している。


このブログでも、シバい話をちょこちょこしていくつもりだ。