たぶん今回で終わると思うんですが…💦 微妙爆笑









いままで出雲の国譲りは海部氏、物部氏らスサノオ氏族の出雲王家簒奪だと書きました。



その後、神話では神武の東征ですがここでは物部氏の東征とも書いてきました。



その時期の日本の歴史では倭国大乱と言われていました。



倭国大乱こそ卑弥呼の時代で小国同士の争いが100年以上続いた時代です。



縄文人は争わず婚姻や話し合っていたので17,000年も続いたのでしょう。



しかし、弥生期になり大陸、朝鮮半島から渡来人が入り武力による侵略が始まりました。



縄文人は争いを好まなかったのでしょう…



その争いが倭国大乱で欠史八代の時期と重なります。



このシリーズではスサノオ=徐福、ツヌガアラシト、天日矛、天火明、饒速日と書いてきました。



そうですね!


ここでは記紀をほぼ全否定しています。



スサノオは天照大神の弟ではなく弥生期に渡来した大陸の人です!



イザナギ、イザナミもクナト大王夫婦がモデルです。



スサノオ氏族だから物部氏も出雲系?と思うかもですがここでは天孫族となります。



出雲族とはクナトの一族の子孫であり、弥生時代に渡来した一族ではないからです。



新羅から渡来したツヌガアラシトこそが牛頭天王スサノオです。



天火明と名乗り子孫で海部氏を作り



饒速日と名乗り子孫で物部氏を作った。



天孫とは饒速日尊なので物部氏も天孫族となります。



ここで天孫族は九州南部の日向族と考えるのが一般的でしが縄文弥生時代には栄えたエビデンスさえないのです。



あえて言うなら高千穂峰も伝承しかないえー




日向族、隼人族は弥生以降はいましたが…



一つ例を出すと天武持統天皇の奈良時代の神社で神郡(朝廷からの社領)を所領しているのは八社ありますが九州では北九州の宗像大社のみです。



もし本当に瓊瓊杵命が高千穂峰に降臨し、日向に都があり、神武がいたなら当然宮崎日向や高千穂に神郡があるべきではないのか??



ちなみに八神郡の神社は西から宗像大社、出雲大社、熊野大社、日前神宮、伊勢神宮、香取神宮、鹿島神宮、そして安房神社です。



この中で天照大神を祀るのは伊勢神宮のみ…ニヤリ



高千穂も巡りましたが天孫降臨を感じることは無かった。



北九州の宗像大社はスサノオの娘もしくは妻の宗像三女神で市杵島姫と饒速日の子孫が物部氏です。




物部の東征は日高見国がある常陸国まで来ましたが日高見国も抵抗しました。



常陸国風土記にも物部軍の殺戮が記載されています。



物部氏は香取神経津主神を氏神としていました。


香取鹿島周辺を天孫族の補給基地としたのでしょう。



物部一族の香取連を香取神宮を祀らせました。



前回書いた常陸国の水戸辺りにあった大井神社の御祭神が建借馬命が祀られており元鹿島と言われています。



ここから考察すると鹿島神宮の元宮が大井神社であり、御祭神建借馬命は武甕雷神だろうと…



すると!



武甕雷神は日高見国の神だった!?


となります。さらに!



同じ東国三社の息栖神社の御祭神はクナト大神です!



まさに、クナトの大神は縄文出雲族の最重要神です!



元鹿島社の建借馬命


息栖神社のクナト大神



残る香取神宮の経津主も出雲系なのか??



やはり、日高見の神でしょ?爆笑



経津主神は物部氏の神なので武甕雷神はむしろ敵?



ですが実際戦ったのは物部氏です。



しかし、ここでも一つ疑問がありましたえー




天香香背男

甕星香香男です!




東国平定に最後まで抗った神で経津主、武甕雷の二柱が従わさせることが出来なかった神です。



天香香背男の正体を考察しましたが、天火明すなわち饒速日と思いましたが間違えていました。



饒速日は天孫族なので縄文出雲族ではない!



ふと!出雲のある神さまを思い出しました!!



大物主です!



最古の神社とされる大神神社の御祭神



大乙貴命の別御魂とされる神で大国主とも言われています。



大物主の別名は…



倭大物主櫛甕玉命 ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト




天香香背男は星🌟神では流星☄️、火球、流れ星です。



闇夜に流れる火球は明るくゆらゆら尾を引きながら落ちる姿が龍🐉に見えたんですね!



縄文出雲族は龍🐉蛇🐍信仰です。



また、平田篤胤は天香香背男の甕は金星を表していると言ってます。



創造神

天之御中主


は天の中、すなわち宇宙の真ん中で輝く星🌟



北極星でしょう。



天香香背男が大物主=大国主なら…



取、島、すたわち経津主、武甕雷にを向ける男



大国主もしくは事代主(少名彦)なら納得ですね!!



しかし、実際にはあくまで神話で日高見国が物部の侵略に対する地元の逸話でしょう。



大国主は香取鹿島神に抗った神としてね…



そして、建葉槌命という機織神が天香香背男を石に閉じ込めたとされています。



建葉槌命は記紀では武神とされていますが…



この神は機織りの神、倭文神なのでとても鹿島香取神より強いとは言えない。



しかし、この地域には高房神社があり、鹿島神宮や息栖神社にも摂社としてあります。



建葉槌命ですが…



経津主の娘?


という逸話があります?



香取鹿島二神は建葉槌を天香香背男と結婚させて服従させた…



建葉槌命が武神で経津主、武甕雷より強いとは説得力が無さすぎる



しかし、建葉槌姫命だったならまだありえるかと…てへぺろ




この建葉槌命の正体こそ国譲りの謎でしょう。





前回書きましたが、この地域は未だに古代安房忌部氏が住んでいます。



そして安房忌部氏の祖は天孫降臨に随行した天太玉の一族、天日鷲です。



安房忌部氏は麻栽培を房総半島に持ち込みました。



先程書いた通り安房神社は神郡を待つ神社です。



天太玉は天孫瓊瓊杵命と降臨しましたが天孫降臨した地は日本でいちばん早く日が登る鹿島灘だったのではないか??



そして、天孫とは瓊瓊杵命ではなく饒速日ではないのか??



実際には饒速日はスサノオなので降臨してないですが物部氏は饒速日を太陽神としていました。



神話として天孫饒速日が十種神宝を持参し、天磐舟で降臨したちが高天原だと初期の神話の設定だったとしたら…



伊勢神宮より前に創建されたのは香取鹿島神宮なんです。



いよいよ高天原の場所ですが…



現在でも高天原という地名です。



茨城県鹿嶋市高天原です!



江戸時代の学者、新井白石は高天原は常陸国多賀郡

としていて現在は日立市でやはり鹿島灘です!ニヤリ




ではなぜ今に伝わる神話になったのか??



歴史は勝者のモノ


天照大神もホツマツタエなどでは男神でした。



饒速日は天照国照櫛玉彦火明饒速日尊とも言われ、天照は高天原、国照は出雲、彦火明は渡来系、全ての統治者が饒速日すなわちスサノオだったんだと考察しています。



しかし、これを全て改竄する必要があった。



天照大神を女神とし


国譲りも物部海部氏ではなく日向の天孫族という設定


神武東征も物部の東征ではなく


大和王権の権威と神武天皇以来の皇統の正統性の為の記紀改竄だったんでしょう。



あとは大和での権力闘争の歴史



ここも古代史をわからなくしてますよね〜爆笑爆笑爆笑




では高天原に行ってきます!



やっぱり終わらなかったよー😭