はるか古代も現在のように太陽☀️は東から上り西に沈みます。


そして、闇夜に輝く月🌙と星⭐️


現代人よりも古代人は太陽と月と星の位置で方角を理解していました。


星🌟の代表は北極星、金星、オリオン座、シリウスなどがあります。


自然崇拝の古代人は太陽神と星を宇宙神ととらえていたと思います。


それは古代日本だけではなく全世界共通なのです。


古代日本では創造神は国常立神、天之御中主となります。


個人的には天之御中主は宇宙神ではなかったのかと思います。


そこから神代七代となりイザナギ、イザナミとなります。


しかし、縄文時代にインドから渡来したクナトの一族、すなわち縄文出雲族はサイノカミ信仰、龍蛇信仰、そしてこれが合わさったミシャクジ信仰やアラハバキ信仰として日高見国の自然崇拝とされて来たのでしょう。

※龍蛇信仰と塞の神道祖神信仰です。


このシリーズ最後のキーワード


太陽と星です!

皆さんは太陽神と言えば…


やはり天照大神ですよね?


では星は??ニヤリ


今回正直、書いていてほとんどの人が興味ないと思いますが個人的にはめちゃくちゃ楽しんでいますのでご勘弁下さい!爆笑










では高天原は日高見国にあり、最後の考察です。



じつは数年前から古事記日本書紀の国譲り神話が腑に落ちなかったんです。



出雲にも行きましたがやはり腑に落ちずにいましたが先日の常陸国神社巡りでやっと自分なりの国譲り考察が出来ました!



もちろんど素人の考察なのでエビデンスなんてないただの妄想です!爆笑




なので古代史にご興味がある方はそんな考察もあるのか?程度にお付き合いください!爆笑




記紀の疑問として出雲の国譲りに半ば強引に武甕雷神と経津主と建御名方をゴリ押しした展開にしたのではないか??と…



さらに、私は鹿島武甕雷神、香取経津主神は日高見の神ではないのか??



天照大神はやはり男神ではないのか??



などなど疑念を持つようになりました。



まぁ〜そんな事を考える人はいないんですけどね…てへぺろ




上手く書けないのですが…



古代に神宮とつく神社は伊勢、香取、鹿島の三神宮でした。



なぜ香取鹿島に神宮はあるのか? 大和から遠くないですか??



記紀では東国を平定した後、二柱は香取鹿島を治め高天原に戻ったとされてます。



出雲で大国主に国譲りをさせ、天孫瓊瓊杵命が降臨したのが出雲ではなく高千穂ってなんで??えーえーえーえーえーえーえーえー


何のために出雲で大国主を殺したのか?


高千穂に降りるなら出雲を奪う必要がなあたのでは?



さらに武甕雷神、経津主神は東国の守護って何?



あえて言うけど太安万侶おかしいやろ!!爆笑爆笑爆笑





その辺りの疑念を持ち調べていると…



ついにわかったっちゃったんですよ!!爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑



東国三社と呼ばれ香取神宮、鹿島神宮、息栖神社がありますが、以前は常陸国二宮の静神社⛩️

東国三守護神と言われてきました。



この考察は後ほど…ニヤリ





所詮、記紀は700年前後に書いた各地の風土記を参考にした藤原勝者の歴史書なんですよ!



記紀が事実ならなぜ瓊瓊杵命は出雲に降臨しないのか??



よほど出雲口伝の方が信頼性が高いです。




弥生時代に二度目の渡来で饒速日と名乗ったスサノオ(徐福)の子孫の物部氏と安曇氏、そして一度目の渡来で天火明と名乗ったスサノオの子が海部氏らが出雲王家を簒奪した事が出雲の国譲りだと書いてきました。



ではなぜ記紀で国譲りが変わったのか??



この記紀の矛盾ですがこのように考察したら見事に納得出来ました。



①日高見国は古代出雲系縄文人の連合国家だった。

おそらく岩手県北上から房総半島は出雲系多.大.意富氏や忌部氏など天日鷲、天太玉を祖とする古代忌部氏が日高見国(常陸国から房総半島)を治めていた!!

※意富氏、大氏などは後ほど書きます。



スサノオ(牛王ツヌガアラシト)の手下の天穂日が先に渡来し、出雲王家に取り入りスサノオ渡来の準備をした!


※ ツヌガアラシトは以降、スサノオにします!



③渡来したスサノオは天火明と名乗り出雲王家に取り入り子孫は海部氏となる。



④は出雲の王になりたく大名持(大国主)と少名彦(事代主)を殺してしまう。



⑤報復を恐れたスサノオは出雲を出て秦に戻り職工や童子を多勢連れて再度北九州に渡来した。その時は饒速日と名乗る。



⑥記紀の国譲りは物部氏海部氏らのスサノオ系氏族の出雲簒奪だった!



⑦神武天皇の東征は物部氏の東征だった!



⑧高天原は日高見国の常陸国にあった!


⑨物部氏の東征で日高見国と争い鹿島神、香取神が戦ったとした。実際は戦わず!


⑩日高見国との争いに勝った物部は氏神である経津主神、武甕雷神を東北の備えとして神宮に祀ったのではなく東国の守護神として祀った。


11.物部氏が滅ぼされた後、中臣氏が鹿島神宮と武甕雷神を簒奪した。


12.神武天皇は物部氏が祭りあげた北九州の人



縄文出雲族はインドのクナ国から何代もかけて移住した一族です。



樺太から北海道、青森県三内丸山で太平洋側と日本海側に分かれ南下しました。



日本海ルートは砂鉄を求め出雲で定住しやがて出雲王家を意宇(おい)に作りました。



また、太平洋ルートは岩手県北上川周辺、そして茨城県鹿島灘周辺にも縄文出雲族の多.大.意富(おお、おう、おほ)氏が治めていました。



こちらを見て下さい。



鹿島神宮の北にある大井神社の御祭神は建借馬タケカシマです。



タケカシマ

タケミカヅチじゃね??



この大井神社は元鹿島と言われています。



もう〜ですよね!照れ照れ照れ



意富氏は神武天皇の子の子孫で日向族と言われていますが…



私は出雲系と確信しています!



古代出雲の府は意宇で富は出雲の東王家が富家です。



さらに大和大神神社では大物主の子孫、大田田根子に祀らさせた。



大田田根子日本書紀表記で古事記では意富多多泥古なんです。



神武天皇の九州勢より出雲族だと考察します。



確証はないですがこの一族は出雲、阿波、常陸、上総、下総など関東に多い古代氏族です。



まさに出雲系だという証拠ですね!



出雲の国譲りでは物部氏、海部氏らの簒奪にあい、さらに物部氏の東征により縄文出雲族は関東常陸国辺りまで攻め込まれていたのだと考察しています。



次回、ホントに最後か?



ついに高天原の場所がわかりますよ!!