古代史が動くのはやはり弥生時代に入ってからでしょう。
古事記ではスサノオはイザナギの子として天照大神、月読の末弟でした。
昨年の神在月に行った出雲の神社にはスサノオが祖霊として祀られていました。
しかし、出雲口伝ではスサノオの話は登場しないのです。
不思議ですよね??
出雲口伝ではインドのクナ国から渡来したドラヴィタ族の末裔とあります。
その長が出雲の王となりクナトの大神と呼ばれました。
古事記などの古典ではクナトの大神がイザナギ、妻がイザナミ、子がサルタヒコとされました。
出雲口伝では古事記に登場する天照大神、月読、スサノオの三貴子は登場しないのです。
出雲の国譲りとは徐福と天穂日による大名持、少名彦の拉致監禁致死により残った出雲王家が出雲から移住したと書きました。
そして、徐福がスサノオだと…
ここから先は出雲口伝にはない事を書いていきます。
もちろん一つの仮説であり考察ですよ!
出雲口伝では徐福=天火明=饒速日となります。
じつはもう一人重要人物がいます。
福井の人しか知らない人
都怒我阿羅斯等つぬがあらしと
wikiより
福井県敦賀駅前にある像がツヌガアラシトで敦賀の地名の元になった人です。
朝鮮半島南部にあった加羅国の王子が宝を持参し渡来したと言われています。
崇神、垂仁天皇の時代と言われ出雲の筍飯浦に渡来した。
兜に角🐃があったことから角鹿という地名にもなった。
敦賀には気比神宮があり、じつはこの敦賀の地は天皇家と密接なことはあまり知られていないのです。
個人的には神武天皇からの万系一世とは考察しておらず、少なくとも崇神王統、応神王統、そして継体王統が現在でも継続していると考えています。
じつは古代史を難解にしているのはこの万系一世でどうしても神武天皇から継続しているとしたいから記紀の改竄となるわけです!
少なくともどの古典には北陸にツヌガアラシトは上陸し出雲王家と共に統治しているのです。
それが応神天皇の系譜となり、六代孫の継体王統となるキッカケはこのツヌガアラシトなのです!
でもね!これを強調すると隣の人達がうるさくて🤪
隣はマトモな古代史など無いですからね…
というか、古代では半島南部も日本だったんで渡来という使い方は間違えで移動です!!
もう少し深掘りしますね!
福井県敦賀市にある気比神宮ですが、御祭神は伊奢沙別命いざさわけのみこと
そして、仲哀天皇、妻の神功皇后、子の応神天皇です。
イザサワケノミコトとはツヌガアラシトです!
気比神宮ではイザサワケノミコトは衣食住の神として気比大神や御食大神としていますがね…
神宮奥にある摂社角鹿神社⛩️はツヌガアラシトを祀っています。
筍飯浦に出雲の許しを得て上陸し、この地でこの気比神宮の祭祀と統治をしたのがツヌガアラシトです。
ここからですよ!🤭
日本書紀応神天皇記には応神天皇が父仲哀天皇ゆかりの角鹿に行った際、気比大神と名前の交換をしたとあります。
応神天皇は別名誉田別命ホムタワケなので!
交換前の名前は…そう!
伊奢沙別命
イザサワケノミコト
っていうことになります!
これは応神天皇がツヌガアラシトだという意味では無いでしょう!
あくまでツヌガアラシトは祖先で応神天皇の名前交換はツヌガアラシトの名前を受け継ぐ者だというお話しだと考察します。
応神天皇の母は神功皇后、これが重要Wordです!
そして、ツヌガアラシトは出雲王家の娘と結婚します。
娘の名は阿加流比賣神